第52話:作戦会議は唐突に
オルグリスに来てから初めての朝。窓の外の雪は止み、酷く暑い日常が戻ってきていた。爽やかな風が吹く街で、今日もまた冗談のような言葉が飛ぶ。
「さーて、忘れ物はないね。可愛い笑顔もちゃーんとあるみたいだし」
とある宿の一室。トカゲは自分の頬に両手の人差し指を当てながら言った。いつもと変わらずアヤメに軟派な発言が向けられるが、当の本人はもはや聞き慣れている。特別気にしている様子はない。
「またそんなこと言って。そういったことは普段から言ってると、いざっていう時のありがたみが無くなるんですよ」
「いーじゃない。アヤメちゃんが可愛いのは事実なんだし」
アヤメは呆れたような顔をした。本音ともお世辞とも読める適当をこいたトカゲがドアに手を伸ばし、二人で部屋から出ていく。
見える廊下に『おはよう』と挨拶だけして、二人はガッツと合流する予定だった。ところが、想定に反して合流先が多い。トカゲが手を伸ばしたドアの向こうには、ガッツ以外の二人も立っていた。仏頂面を貫く女が、朝から元気に暴言を吐く。
「おはようクソガキ。朝っぱらから女口説いて楽しそうだな。ほら帰った帰った」
しっしっし、とシルバが手を振る。トカゲは『ちょ、え? え?』などと情けない声を出しながら後退するしかない。そして彼の後ろを歩くアヤメもまた、部屋の中へと押し込まれていく。ドアがシルバの手によって勢いよく閉められ、部屋の中には三人。
部屋に入ってから、シルバは部屋中を隅から隅まで見て回った。床に張り付き、掛け布団を捲る。トカゲとアヤメはベッドの上に座ったまま、ただただ混乱した頭で、不審な行動をする銀髪を見ているしかなかった。
ひとしきり確認が終わった後、シルバはドアの方へ歩いて行く。
「確認は済んだ。入れ」
平常運転の不機嫌そうな声が響き、男二人も部屋へと押し寄せてくる。
♢ ♢ ♢
「……事情はね、うん。分かったよ? けどさ、もーちょっと加減ってものはない?」
「立場を弁えてから言うんだな。女物の下着の一枚でも落ちてたら、男ども入れねぇだろ?」
「……ねえ、しれっとボクはテキトーな扱いじゃない? 落ちてたのがボクのだったら? ボクのプライバシーは?」
「誰がテメェのパンツ見て恥ずかしがんだよ?」
「いや、あのね、ボクよ? ボクが恥ずかしい思いをするんだよ? そこんとこ、分かってる?」
ガッツとハルヴァンが参入した部屋で、トカゲとシルバが文句をぶつけ合う。ハルヴァンはその様子を見て頭を抱え、ガッツはまたやってるのか、とでも言いたげに立っている。アヤメは容赦なくシルバの口から飛んでくる『パンツ』だの『下着』だのといった単語を恥じてか、下を向いて黙り通していた。
状況整理。
シルバが唐突に押し掛け、トカゲらを押し戻した理由。作戦会議をするため。公の場で話す訳にもいかない。
会場がトカゲたちの部屋になった理由。借りた部屋の中で唯一の二人部屋であり、広いため。
シルバが変態染みた行動をしていた理由。アヤメの私物が落ちていないかの確認のため。
しばらくしてトカゲとシルバの双方が何も言わなくなる。静かな時間が数秒続くと、ハルヴァンは話を始めた。
「よし、いいかな? じゃあ早速だけど、時間もないし……本題に入ろうか。この後の話だけど、班別行動をするのはどうかな?」
「班別行動……」
確かめるように、トカゲが復唱する。ハルヴァンは首を縦に振って答えた。間髪入れず、ハルヴァンの視線は男二人、続いて女二人に流れる。
「班は男女で分けようと思う。具体的には、男性側はこの後僕と少し稽古、女性側はこれから支部に、といった感じで想定してる。女性側には昨日の戦闘とエバリスさんだっけ? ……の調査をしてもらうよ」
控えめにアヤメが手を上げた。
「あの、オルグリスの支部との協力は、昨日拒否されちゃったんですけど……大丈夫なんですか?」
「そこは気にしないでもらって大丈夫。今朝、僕から協力要請を出しておいたから、フォンさんはきっと応えてくれるよ」
「そうですか……」
流石はハルヴァン。『人類最強』として知れ渡っている著名人が関与すれば、支部も協力は断れなかったようである。
しかし納得したのも束の間、ガッツが口を挟んだ。廊下での待機中、ガッツは何も聞かされていなかったようである。廊下も公の場であるため、当然の話ではあるのだが。
「すまんが、稽古というのは何故だ? 班分けは分かったが、俺たちも調査に回った方が良いのではないか? 調査には霊力の残滓を追うようなものもあるだろうに、人手は多い方が良いだろう?」
「そこは、確かにそうだけど……でも昨日の戦闘を見た限り、ガッツさんもトカゲくんも、戦力としては物足りない。シルバも今は戦えないし……」
不穏な発言が飛び、トカゲが即時反応。
「は? 何で? ってか、アヤメちゃんの保護は平気なの?」
「あ……」
口を滑らせ、ハルヴァンが何とか誤魔化そうと画策する。けれども、彼の言葉が出ることはなかった。彼の言葉が出るより早く、シルバが舌打ちで役目を奪った。
「舐めんな。戦えねぇわけじゃねぇよ。昨日臨界顕現使って、激しい運動が出来なくなっただけだ。そこらの堕魂程度なら負けねぇよ」
「《月華の五芒星》は? 言っとくけど、ソイツらは人間だよ? 堕魂とは訳が違う」
「負けねぇって。アンタらがこれから稽古つけてもらうこの男に、あたしは何年鍛えられたと思ってんだ? 腐っても元・国防軍だっつーの」
バチバチに言い合う空気の中、言いにくそうにハルヴァンが割り込む。
「ごめんね。でも、二人とも素質はあるように思う。だから、女性に一旦仕事は任せて、君たちは僕が強く鍛え上げてみせる。昨日の堕魂なんかには、負けないくらいにね。戦力はその後でいい。敵も消耗してるだろうから」
話に区切りがつき、静けさに包まれる。固定された空気をシルバが破る。彼女はアヤメの腕を強引に掴み、外に出ていこうとした。
「てなわけだ。もういいだろ。さっさと行くぞ」
「え? やだ、待って!」
華奢な体からは想像もつかないような力で、アヤメがシルバの腕を払いのける。
「何だよ?」
シルバが振り返り、金髪の少女を見た。彼女の目に映ったのは、ベッドから引きずり出され、小刻みに震えながらトカゲを捉えて離さないアヤメの姿。本人が自覚しているかは曖昧だが、アヤメはトカゲの護衛が離れることを怖がっていたのである。シルバは目の前の少女の恐怖を汲み取ると、その場で何も出来なくなってしまった。
――こうなったら埒が明かないよな。仕方ない。
トカゲはじっと動かないアヤメと、珍しく何も言い出せないシルバを交互に見ると、珍しく首を突っ込むことにした。ベッドから立ち上がり、怯える少女の前で屈む。優しく微笑み、柔らかい声で諭すように。
「ごめん、行ける? ……って言っても、無理だよね。怖いんだと思うし。ボクも離れちゃうしさ。でも、数日だけ我慢してもらっていい?」
アヤメは手を震わせるだけで、何も答えない。トカゲは軽い調子で続けた。
「確かにねー、くやしーし、認めたくはないんだけど。でも今のボクは残念ながら、アヤメちゃんを完璧に守ってあげられるほど、強くはないんだよねー。でもボクがアヤメちゃんを守ってあげたいのは本当。だからさ……」
トカゲが小指を立てた右手をアヤメに見せる。
「ちょっとだけ、時間をもらってもいいかな? ボクがハル君に鍛え上げられて、もう一回アヤメちゃんを守れるように、強くなるための時間」
腕を伸ばし、小指をアヤメに差し出す。
「絶対に数日でルバ姉もハル君も超えてみせる。だから、ちょっとだけルバ姉と……お願い」
指を差し出したまま静止したトカゲを、アヤメが見つめる。彼の瞳の奥、濁りのないことを確かめるように射抜く。ソロモの瞳に映る境界は絶対的な本質を示し、疑いようがない。多少の冗談が混ざっていようとも、嘘はない言葉。それを真正面から受け取ると、アヤメはとうとう指を交えた。
「……分かった」
大した力も籠っていない指で、それでも確かに指を重ねる。伝わってくる体温は、彼女を世界に留める唯一の依り代。互いの指が離れると、その熱が無くなるよりも早く彼女は動く。アヤメはシルバの方へ向いて立ち上がった。
小さな声で『行くぞ』とだけ言ったシルバについて、アヤメが歩き出す。彼女は部屋を出る直前、僅かに振り返った。
「じゃあ……トカゲさんも稽古、頑張って」
「うん、頑張るよ。いってらっしゃーい」
女性二人組が出発する。トカゲはアヤメの後ろ姿が見えなくなっても、しばらく手を振り続けていた。やがて、手を下ろした彼が頭を下げる。
「ごめんね。アヤメちゃんは……まあ色々あったみたいで、今は少し怖がりさんでさ」
謝るトカゲに、ハルヴァンは首を横に振る。彼は部屋のドアの方へ体を向けながら言った。
「さてと。じゃあ僕らも……そろそろ始めようか」
先陣を切ったハルヴァンが、部屋を出ていく。ガッツも迷うことなく歩き出す。一方でトカゲは先ほどまでアヤメが座っていた場所を数秒見てから、ようやく重い腰を上げた。
【今日の一言】
アヤメがシルバの腕を振り払う場面がありましたが、実のことを言うと、アヤメよりもシルバの方が小柄です。シルバは軍人経験があるのでそれなりに力はあるのですが、訓練前であればアヤメの方が余裕で力があります。




