第50話:相談は夜に
トカゲらが店を後にして、宿で寝始めた頃。雪が月光を反射し、明るい空。ハルヴァンは土地柄珍しい天気を眺めながら、物思いに耽っていた。
――ドン、ドン、ドン。
不意打ちのように鳴り響く一定間隔の音。ぷつりと集中が切れたハルヴァンは、叩かれたドアに向けて歩き出した。一歩、また一歩と距離が縮む間も、ドアは等間隔で啼き続ける。その等間隔が誰の手によって成っているかを知った彼は、軽く挨拶をしながらドアノブに手を掛けた。
「こんばんは。もう遅いのに、寝なくていいの?」
部屋と廊下の境界線がなくなり、客の顔が露わになる。廊下に立っていたのは――普段通り、相も変わらず安定の不機嫌を顔に出している女。腕組みをした彼女は、不愛想に返した。
「それは早寝してる人間のセリフだろうが。さっさと寝ろ」
「そんなことを言うなら、夜に訪ねてこないでよ」
「知るか。反応したアンタが悪い。寝たふりでもしたらいい話じゃねぇか」
「それはまた、無茶苦茶なことを言うね」
困ったように頭頂を掻きながら、シルバを招き入れる。部屋の鍵を閉めてから彼女の後を追い、そのまま先回り。ハルヴァンはベッドの掛け布団を捲ると、彼女に声を掛けた。
「もし良ければ、話の間はここ使って。今日は体を温めないとだろうし」
「断る」
何の躊躇いもなく、バッサリ両断。
「誰が男の部屋にやって来て、のこのこ寝床に入るってんだバカタレ」
「そう言わない。シルバは今日、臨界顕現使ったでしょ? 体、砕け散るよ」
シルバが昼間に使用した臨界顕現――『氷雹無想』は、外気から冷気を集める形態を捨て、代わりに彼女自身が冷気の化身へと変貌を遂げるものである。本人が冷気の発信源となるため、冷気の収集効率は比較にならないほど改善される。しかしその性質上、彼女の身体は発動と同時に芯から冷え切り、発動後数日は凍傷を負ったように脆くなるため、後発的なケガを防ぐには体を温めなければならない。
正論を返されたシルバは、何も言い返せず、貧乏ゆすりをしながら仁王立ちを貫く。ハルヴァンは心配の眼差しを向けると、目だけで抵抗を訴える彼女と距離を詰めた。
「分かったらここ、使って」
シルバが指を指された場所を見る。彼女は諦めたように『ハッ』と漏らした。ここまで来れば既定路線が待っている。数秒前までの抵抗など、どこ吹く風。あっさりハルヴァンの指したベッドに上がり込んだ。脚を伸ばして座ったまま筋一本動かさず、男が掛け布団を掛けてくれるのを待つ。
「ったく、あたしはアンタの世話がないと生きていけないような、やわな女じゃねぇって」
このやり取りも何度目のことか。もはやこんなやりとりは恒例行事であり、彼らにとっては日常風景でしかない。今回の一連の流れでさえ、形式化しただけの行為に過ぎなかった。
「……それで。改めて聞くけど、何の話?」
シルバの隣に浅く腰掛け、ハルヴァンが問いかける。しかし彼の視線はシルバに向くことはなく、先ほどと同様に窓の外に向けられていた。
シルバはその背を不満げに見つめた後、正面を向き直して話を切り出した。
「相談だ。……明日以降の動きと、昼間の戦闘についての」
「具体的には?」
「前者は男どもの訓練と、支部との協力体制が欲しい、ってとこか。後者は違和感があった、ってことの共有」
無駄のない雑な返答。ハルヴァンは信頼の溜息を吐いた。
「気が合うね。僕もさっきまで、同じことを考えてたよ。もっと詳しく聞いても?」
「男どもは今日見て思ったが、ソロモの瞳の……いや、一般的な護衛としても貧弱すぎる。あの程度の堕魂如きに劣勢になってるんじゃ、頼りないったらありゃしない」
「だから育てたい、って?」
それまで眉が吊り上がっていただけのシルバが、ムスッとした顔になる。
「いいよ。彼らの訓練ならシルバの時みたいに、僕が買って出る。代わりに……」
「あたしは支部に行って、アイツらが言ってた件の男を調べときゃいいんだろ?」
言葉を遮って、シルバが言い切る。ハルヴァンは無言のまま頷いた。
「ってことで、次。こっちが本題だが……アンタは昼間の戦闘、何かおかしいとは思わなかったか?」
「……思ったよ。なにせ、指揮系統があるみたいに動いてたからね。自然に生まれた堕魂なら、あんなに綺麗な群れを成すのは滅多にない」
意見を求めるように、ハルヴァンが振り返る。彼の視界に入った少女は、左手で顎を支えながら俯いていた。
「やっぱそう思うか。こっからはあたしの勝手な憶測になるが、昼間の戦闘の裏には誰かしら悪意を持ったヤツが絡んでる気がする」
大きく息を吸い、全て吐き出す。窓から差し込む銀光を反射しながら、少女は自身の考察を語り出した。
「前提として、堕魂は人間の言うことは聞かない。聞く個体がいたら、それは人間を馬鹿みたいに喰い続けて、人間に近い存在になった個体だ。けど、今回の堕魂どもは、その域に達するまでは喰っちゃいねぇだろうし……何より、人間の体は持ってなかった」
ハルヴァンの脳裏には、昼間に港にて交戦した堕魂が浮かぶ。どの個体も海洋生物の肉体を基本とし、そこにところどころ人間でない哺乳類の身体的特徴を有していた。
「となれば、考えられる可能性は二つ。一つは堕魂同士で結託して、どういう事情か、同時に襲ってきた場合。一応知性さえ身に着ければ、アイツらも連携はしないことはねぇからな」
「でも今日のは、さっき言ってた通り、コミュニケーションを取れるほど知性があるようには見えなかったよね」
「ああ。だからあたしは、この説が最有力だと睨んでる」
雪が降りしきる、本来は温暖なはずの港町。異常が浮き彫りになった世界で、シルバの推論から『異常』が弾き出される。
「恐らく裏で仕込んでるのは……半分堕魂の血を持つ人間。――穢人どもかと」
核心に迫ったシルバの目が鋭くなる。
「時期も時期だ。アイツらがこの街にやって来た当日に、あんな物騒が起きてる。昨日まで何の音沙汰も無かったのによ。トカゲの野郎が言ってた、《月華の五芒星》とかいう連中がソロモの瞳を狙ってるなら、関係がないようには思えねぇ」
ハルヴァンが悲しそうに目を伏せる。いつにも増して、弱気な声が漏れた。
「……信じたくはないけど、その結論になるよね。半堕種なら、堕魂との意思疎通は可能だから」
言葉を紡ぐ彼の迷いに呼応するかの如く、窓の外ではゆっくりと微細な氷の結晶が舞っている。
「でも、何のためにアヤメくんを狙うんだろう?」
「知らねぇよ。トカゲも言ってたじゃねぇか」
シルバが頬杖を解き、天井を見上げる。天井と壁の境には、縁取るように付けられた木の骨組み。
「……けどまぁ、唯一言えることは、『ろくなもんじゃねぇ』って話だろうな」
揃って現実を否定するように、二人は窓の外の幻想に目を馳せる。窓の外には港。オルグリスのまた違うどこかで、同じ港に関する話題が上がっていようとは、二人は一切知りもしなかった。
【今日の一言】
『穢人』とは『半堕種』の俗語、及び、差別用語です。『半堕種』と呼ぶ人は極めて少ない。精々国のお偉い様が立場上口にする程度です。ハルヴァンは理想主義、平和主義が行き過ぎた男なので『穢人』とは言いませんが。半堕種は次話以降、本格的に登場しますので、お楽しみに。




