第46話:荒れている海にはご用心
先程までの見事な晴天は、堕魂の襲来を告げるかの如く曇天へと姿を変えていた。爽やかで軽かった風も体に纏わりつくように重く、心なしか波も多少の凶暴性を奏でている。澱んだ雲の下を駆けるトカゲたちがそこへ着いた時には、既に戦場がお出ましのようだった。
「チッ、遅かったか」
口を固く噛み締めたガッツが目にした風景。そこでは十匹程度の魚のような風貌の堕魂と、現場にいただけであろう霊力保持者たちが戦闘を繰り広げていた。港には堕魂特有の匂いか、或いは負傷者の傷からする匂いか、鉄に似た匂いが充満している。
ガッツは歩調を速め、前を走っていた二人を追い越す。剣を右肩、右腰からそれぞれ引き抜くと、戦場の第一波に飛び込んで行った。一瞬だけトカゲの方を振り返り、手短に伝言を。
「トカゲ、お前はアヤメの保護だ! アヤメは戦場に出すな!」
「はいよ」
戦場にそぐわぬ軽い返事をして、トカゲは立ち止まった。左手はアヤメの前に出し、彼女を制する。腕を伸ばした際にアヤメの不安そうな表情を見たトカゲは、能天気な声を取り繕った。
「まーまー、安心してよ。アヤメちゃんにはボクっていう専属の護衛様が付いてるんだから。他の人たちも戦えてるし、大丈夫だって」
トカゲはわざとらしく首を傾げながら『ね?』とアヤメに語り掛けた。
しかしアヤメはの顔は晴れない。それもそのはず。今回の襲撃は段階が分かれており、続きがあることは容易に想像がついた。海岸から少し離れた場所には、第二波の堕魂の霊力が観測されている。
今はまだ目の前で地元民、及びガッツが善戦している。堕魂らは魚の姿をしているだけあって、陸での活動は得意ではない。精々跳ねて体当たりをするのがやっと、といった具合だった。鱗も大した硬さではなく、いとも容易く捌ける。
しかし第二波はどの程度の堕魂が現れるかは分からなかった。
オルグリスで《月華の五芒星》の計画が進んでいる可能性は大いに考えられる。ともなれば、何かを喰わされた強めの個体が出現しても不思議ではない。そのような個体が出た際には、どれほど捌き切れるか皆目見当がつかないのである。これがアヤメの不安の種だった。
――そして、『不安』というのは得てして的中してしまうものである。
訪れる第二波。胸鰭が動物の四肢に置き換わったような、珍妙な個体の群れが襲来する。
ある個体は羊の脚が生えたタイ。またある個体は熊の毛皮を持つイカ。エバリスが『トリメルカ急襲事件』の際に連れて逃亡した堕魂と部分一致する。数多の魂を内に蓄えた奴らの戦闘力は、文字通り一線を画した。
「があ……!」
「……ヒュ」
見た目は海洋生物。多くの個体は、多少奇妙な風貌をしているが、結局はいわゆるただの魚。されど実態は、魚の姿に至るほど多くの魂を喰らい続けた堕魂である。平時は自然発生する堕魂の相手が主である現地民だけでは、到底歯が立たない。
戦闘経験素人同然。そのような現地民の負傷者が増え始める。それに伴い、ガッツは彼らが堕魂の餌食とならぬように《インフェルノ》による炎の焼却力も利用し始める。彼の足は一層前へ、前へ。やがてそれは、彼の捨て身の行動を招いた。
「ガッツ!」
叫んだトカゲの視界の先では、負傷者に襲い掛かる牙に自らの身を捧げた大男が弾き飛ばされていた。
息をつく暇もなく、次から次へと倒れたガッツに堕魂が群がる。ガッツは振り払おうと必死だったが、抗い切れていないことは誰の目にも明らかだった。
トカゲはアヤメの顔を覗く。彼女に宿った神の目を貫くと、瞳孔は大きく開き、怯えているのは明白だった。けれど、このままではこの港は崩壊し、現場にいる全員が助からない。
――このままじゃ、いずれアヤメちゃんも危ないかな。
トカゲは『キッ』と歯を食いしばると、その身を血の戦場に投じた。
「あ……ま、待って!」
震えるアヤメの声が、トカゲの鼓膜を揺らす。しかし『アヤメの保護』という名目を使ったトカゲの判断は覆らない。トカゲは背後に目を向けることもなく、大声で言い放った。
「ごめん、ボクも出る! 危ないと思ったら逃げて!」
吐き捨てられた言葉に、彼の命の勘定はない。トカゲは軽薄を象った仮面を被ると、囮になるために大声を出した。
「ほーらキミたち! ここにもーっと旨い餌が待ってるよ!」
この場にいる堕魂たちには、言語を理解するまでの知性はない。だが大声で叫び、腕を振って示す存在があれば、それは餌だと認識する。
堕魂たちはトカゲに気を取られると、それまで噛みついていた人間から離れた。代わりに向かった先は、言うまでもなくクリーム髪の少年。
「馬鹿! やめろ!」
「トカゲさん!」
ガッツもアヤメも叫ぶが、彼らの声は実に無力。今のトカゲは相手を殺すことしか考えていない。
「さーて、皆さんはどーなることをご所望で?」
トカゲは薄気味悪くニヤリと笑う。流れるように左手を振り、カードを顕現させる。黒く変質して以来初のアニムの発動。僅かに手首が跳ねるような動きが挟まる。だが、彼はまだその違和感に気付いていなかった。
「はいはい、お刺身いっちょーね」
眼光を消したトカゲは自傷のリスクなど考えず、無作為に全てのカードを投げつける。六体の堕魂に斬撃やら炎やら重撃による圧殺やらの効果が現れた。一枚ハズレが混入していたようで彼の右肩で小規模の爆発が起きた。けれども確実に堕魂らには何らかのダメージが入っている。成長した堕魂どもに攻撃が通ることを確認したトカゲは、そのまま戦闘を続行した。
その後トカゲは次々にカードを放り、標的を無に還していった。
だが、このまま簡単に終わるなどということはない。トカゲが奮闘し、数体の堕魂を還したタイミングで――第三波の到来。相手は合計して約二十体ほど。トカゲ一人で持ち堪えている現場の状況は、絶望そのもの。トカゲは乾いた笑いを漏らした。
「あらあら、流石にちょっと手厳しいねー」
この発言に含まれた諦観が、後に彼に牙を剥き、命取りとなる。
トカゲが次なる攻撃を構えた時のことだった。彼のアニム《ギャンブル》 の発動手順は左手を振る。至極単純。それだけでしかない。トカゲは毎度同じく左手を振るおうとした――だけ。
「――ッ! ……は?」
左手を振ろうとしただけ。ところが、彼の黒く変質した左手は、まるで他人のものかのように言うことを聞かなくなった。トカゲの意思に反し、勝手にあちこち訳の分からない方向に手首がうねる。捥げ落ちそうなほど暴れた手は、トカゲの行動を縛り、隙を生ませた。
その後は語るまでもない。攻撃の機会をそのまま無様な隙にしてしまったトカゲに、波のような堕魂が襲い掛かった。
――あー、しくじったな。どこかのタイミングで、一回くらい検証しておくんだった。
避ける間もなく堕魂の体当たりを受け、トカゲは尻もちをつく。そしてガッツの時と同じく、彼が起き上がる前に堕魂が覆いかぶさる。
危機に瀕したトカゲに対し、遠くのアヤメが身を投げ出そうとした。依存から来る行動故、ブレーキはない。戦力もないアヤメが一歩前に出た。
途端、新たな餌に反応した堕魂のロックオンがかかる。アヤメが我に返り、眼前の現実を理解した時にはもう遅い。
「……あ……」
反射で漏れた声だけが置き去りになる。大きく開かれた堕魂の口は、アヤメを呑み込もうとしていた。恐怖からアヤメは目を閉じる。何かを考えるまでもなく、ただ。
けれども一秒先、未来の彼女に攻撃が届くことはなかった。
「――アイシクル・エッジ!」
どこからともなく聞こえる女性の声と、劈く悲鳴。悲鳴の発生源はアヤメの目の前と、トカゲの目の前それぞれ。アヤメが目を開けた時に見えたのは、開いた口に氷柱が突き刺さり、頭部を貫かれた堕魂だった。トカゲが目撃した光景も同様である。
消滅していく魂から微かに感じる霊力。どこかで感じたことのあるもの。海面から目を逸らし、街の方を見てみれば、その霊力の張本人。
「あーあ。もうちょい粘れっかと思ったけど……ほんっと役に立たねえ奴らだよ」
「そう言わずにさ。ここまで頑張ってくれたし、いいんじゃないかな?」
青いローブにジトっとした目つきの銀髪と、その連れの水色の毛髪。ガッツの財布を拾ってくれた、あの男女だった。
彼ら、特に男の方を見た現地民の瞳に希望が宿る。現地民は生還の可能性を見出すと、口々に言った。
「は、ハルヴァンだ!」
「助かったぞ! もう大丈夫だ!」
ハルヴァンと呼ばれた男に対しては期待、賞賛の嵐が巻き起こる。対して女の方は名前はおろか、話題にすら上がらない。女の方は不服そうな顔をし、舌打ちをした。
「んだよ、あたしはおまけか。今のだって、あたしの手柄だったろうが」
「ごめん、僕が有名なばっかりに」
「うるさい。んなこと知ってるっての」
バッ、と女は杖を持った右腕を横向き、水平に伸ばした。同時に、ただでさえツリ目で威圧感のある女の目が、一段と傾斜を増す。その瞳に宿っていたのは、確固たる強い意志。
ハルヴァンはそれを見て軽く微笑んだ。隣に立つ者に引けをとらぬよう、彼も臨戦態勢に入る。彼の手の平には眩い光が煌めいていた。
「でもなんだかんだ、シルバは助けてあげるんだもんね」
「目の前で死なれちゃ、気分悪いからな」
シルバ、という名の女性が大きく息を吸い込む。
「仕方ねえ。助けてやるよ。感謝するんだな!」
声高らかに叫んだシルバと、その隣に立つハルヴァン。新たに参入した二人によって、戦況は変わるのだった。
【今日の一言】
ネタバレになるのでまだ核心は説明出来ませんが、トカゲのアニム《ギャンブル》は、相手が誰であろうともダメージを通します。ゲーム的に言えば「必中・防御無視の攻撃」ということになります。




