第45話:財布から飛んだ怒号
酒屋を出たトカゲたちは、大急ぎでガッツが財布を落とした最有力地点である坂道に戻った。右に左に、花壇の裏に。徹底的に捜索に入る。昼の眩しく暖かな陽が彼らを照らすが、当人たちの心は曇りに曇っている。中でもガッツは格別に焦りを覚え、顔面蒼白もいいところだった。
「もう一回聞くけど、ガッツの財布って何色? 素材とか分かるなら教えてほしいんだけど」
「茶色い革製の財布だ。大きさは……そうだな、開いている時ならば、まな板の四分の一程度か」
「こりゃまた、随分と分かりにくい例えだねー」
坂を一歩上るごとに三人で隅から隅まで隈なく目を凝らすが、ガッツが言ったような物は一向に見つからない。花壇に植えられた赤や黄色の花々は目に入るが、茶色い物体などどこにも見当たらない。
坂の頂上まで辿り着いても財布を発見出来なかった三人は、少しずつ坂を下りながら、別の場所に落とした可能性を考慮し始めた。可能性としては少年たちと衝突した時が最有力だが、他の場面での紛失も否定出来ないのである。
「もしや、別の所で落としたか?」
「じゃあ、展望台にでも行ってみます?」
「そーねー。無いもの探しても時間の無駄だし、次に移ろっか」
トカゲが先導して展望台に戻ろうと足を踏み込む。そこから一拍置いた時だった。
「何してんだ、テメェら! このクソガキども!」
トカゲたちがいる地点から右方向。突然言葉遣いの荒い女性が説教する声が響いた。
「あらあら、結構お怒りみたいだね。石でも投げられたかな?」
トカゲがいつも通り軽口でアヤメ、ガッツに話し掛ける。だが世界とは面白いもので、偶然とは思えない続きが待っていた。
「人の財布を盗むだなんて、度胸だけは一丁前だな。 ……支部にでも突き出してやろうか?」
偶然とは思い難い続き。財布を盗んだという発言に、三人は顔を見合わせた。
「あの、これってあの子たちだったりします?」
アヤメが出した推論に、男二人も相槌を打つ。
「奇遇だな。俺もそうではないかと睨んでいたところだ」
「どーかん。少し寄ってく?」
小道を一本跨ぎ、少しだけ顔を覗かせる。彼らの視線の先に見えたのは、四人分の人影だった。
ガッツとアヤメに衝突した、例の少年二人。彼らに対して怒り心頭、杖を持った銀髪の小柄な女性。それから女性を宥めている水色の髪の男性だった。被害者と思われる男女のぱっと見の年齢は、トカゲやアヤメとさほど変わらないであろう。
銀髪の女は殺し屋のような目つきで少年たちを睨みつける。威圧感に圧倒されてか、少年たちは腰を抜かして口をパクパクさせていた。
「ガキのくせに泥棒だと? ふざけた真似しやがって。ア゛ア゛?」
あまりの剣幕にコチラまで怒られているような錯覚に陥る。トカゲは裏社会出身で手が汚れていることもあり、軽口を挟んで誤魔化さないと見ていられなかった。
「うーわ、チンピラみたい」
トカゲたちの視界の奥では女性の方が足を地面に叩きつける。彼女の隣に立つ男は控えめな声を出した。
「まあまあ、ちょっと落ち着いて。この子たちだって、さっき言ってたでしょ? 『不景気でお金がない』って。その辺にしておいてあげてよ」
「それとこれとは話が違う」
「そこを何とか」
男性が顔の前で両手を合わせ、少年たちを庇う。女性の方は男性を数秒ジトっとした目つきで見つめた。
しかし男の方は退く素振りを一向に見せない。しばらくすると、女は折れた。舌打ちに、溜息。
「おい、坊主ども」
低く唸るような女の声に少年たちは狼狽える。極めて小さい、声にならない声だけが発されるが、顔は上げられないようだった。
女は組んでいた腕を解き、左手の親指で隣の男を指す。
「今回はコイツに感謝しろ。盗んだもん全部返せ。それが出来たら今日は見逃してやる」
女は右手を少年たちに差し出し、『早く返せ』と言わんばかりに手招きする。少年たちは震える手で盗品を返していくが、その中には二点、見慣れたものが――。
「俺の財布ではないか!」
女の手中に戻された物品の中には、ガッツの物であろう茶色い財布と長期任務手帳があった。
少年たちは『ごめんなさい、ごめんなさい』と平謝りをする。それを見た白いコートを着た男性は、にこやかな笑みを浮かべた。彼は女性の手から財布を取ると、万札を二枚ほど用意する。そしてそれを少年たちに向け、手渡しした。
「大丈夫。よく出来たね。大した額ではないけど……これで今日のご飯でも」
少年たちは万札を受け取ると、涙を浮かべながら何度も頭を下げ、帰っていった。
彼らの足音が聞こえなくなる。一段落つくと、女の方は左肘で男の脇腹を突いた。
「いっ……いったぁ……」
「うるさい。ったく、お前は誰に対しても甘過ぎなんだよ。犯罪者なんか全員牢にぶち込めばいい、ってのに」
「そんな極端な。あの子たちはまだ若いし、更生の余地はあるって」
腕を組んだ銀色が隣の水色に呆れたように文句を言う。そのタイミングでガッツが彼らの前に出ていった。トカゲとアヤメはその場から動かず、角からガッツを見守るだけ。
「すまない、お前たち」
ガッツの声を受け、銀髪の女、水色の男の両者が振り返る。男の方の様子はつい先程までと比べても何も変わらない。女の方も変わらないが、それは不機嫌そうな表情も含めてのことだった。
ガッツは二人と会話出来る距離まで接近すると、挨拶などを挟むでもなく、いきなり本題に入った。
「先ほど子供たちと揉め事があったようだが、彼らから返された盗品の中に財布と長期任務手帳はなかっただろうか? 俺も彼らの被害に遭ったのだが、俺の物がないか確認がしたくてだな」
銀髪の女性が自分の手の平に乗った茶色い財布と手帳を見る。
「多分それのことじゃないかな? 返してあげたら?」
「はぁ? いきなり来た変な男の話を聞くってのか?」
「結構困ってるみたいだからさ、ちょっとくらい聞いてあげようよ」
男が指を指し、催促する。女は面倒くさそうに手帳を開くと、ガッツに名を尋ねた。開かれた手帳の中身は、ガッツからは見えない。
「アンタ、名前は?」
返してくれそうには返してくれそうだが、一筋縄では行かないように見える。ガッツは名前を聞かれた理由が分からず、首を傾げた。
「名前だと? 何故そんなものを聞く?」
「バカ言え。長期任務手帳は支部から経済援助が得られる代物だ。たまにいるんだよ、他人が落とした手帳を『自分のだ』って言い張って奪う輩が」
長期任務手帳に記載されている情報は二つ。担当者の指名と担当する件名である。この世界にはまだ写真技術などという便利な技術は存在しない。手帳がその人物の物であると証明出来る情報は『名前』だけだった。
「なるほどな。そういったことであれば、理解した」
「そんで。もう一度聞くけど、アンタの名前は?」
女のジト目がガッツを貫く。ガッツは軽く息を吸い込むと、普段通りの大声で堂々と名乗りを上げた。
「名乗ればいいのだな? 俺の名は、ガッツ・ライン・パルヴィスだ!」
「うるっさ」
ガッツの声の残響が消えてなくなるまでの沈黙。遠くの海岸のさざ波の声が届くほど静まると、男の方が口を開いた。
「この人で間違いないと思うよ」
再び女が呆れたようにジト目になる。雑な素振りでガッツの前に手を差し出し、やれやれと頭を振って悪態をつく。
「ったく。支部の人間ならもうちょいしっかり管理しとけっつーの」
「すまないな。感謝する」
ガッツが女性の手の平から手帳と財布を取り戻し、安堵した顔をする。一部始終を陰で見ていたトカゲとアヤメもまた、ほっと胸を撫で下ろした。
「これで一件落着、ってことでいーのかな?」
「ガッツさんは帰ってきませんけど……そうだと思います」
トカゲとアヤメは角から顔を覗かせ、ガッツの方を見る。彼らの数メートル先ではガッツが『礼に酒を奢る』などと言って、手帳と財布を取り戻してくれた男女を困らせていた。特に女の方は心底嫌そうな顔をして『やめろ、暑苦しい』などと言っている。
「ガッツも一回あーなると退かないもんねー」
いつものようにトカゲが軽く言い放って終わる――はずだった。けれどもアヤメから返って来たのは軽口への返事ではなく、短く息を吸ったような音だった。
嫌な予感がしたトカゲは左手のアヤメを確認する。数秒前まで笑顔だったアヤメの表情は怯えた表情へと変わっており、目を大きく見開いたまま硬直していた。
「……アヤメちゃん、どうかした? 具合悪い?」
強張った動きでアヤメが首を横に振る。そして震える声で告げる。
「何か……何かがコッチに来て……」
アヤメはソロモの瞳によってオルグリスの『境界』を知覚し、そこへ踏み入って来た存在を認識していた。彼女が言った何かの存在は、遠くの霊力を辿れば容易に分かる。トカゲは迫り来る大量の気配を察すると、角から顔を出し、ガッツを大声で呼びつけた。
「ガッツ、港の方! 何か起きた!」
「何だと!?」
ガッツもその一言を受け、堕魂の襲来に気付く。
「後で礼は必ずするから、少し待っていてくれないか?」
ガッツはそれだけ告げると、返事もろくに聞かぬままトカゲたちに合流。トカゲたち三人は港へ向かって駆けて出していった。その背を見届けた男女は、互いに目配せをする。
「なあ。アイツら、大丈夫だと思うか?」
「うーん、財布は失くしてるし、怯えてる子もいたしで、ちょっと不安」
「だよな」
苦笑しながら溜息を吐き、女の方が歩き出す。
「仕方ねぇ。あたしらも出るぞ」
「そうだね。行こう」
坂を下りだした女に続き、男も歩き始める。彼らの足が向かけられた先は、どういうわけか、港の方だった。
今日の一言:
今回の話で登場した男女ですが、盗難被害に遭ったのは男の方です。女の方が犯行現場にて少年らの首根っこを掴み、流れでそのまま説教に移っていました。




