第44話:行き詰まりの『やけくそ観光』
太陽が頂点から少しずつ傾き始めた頃、トカゲたちは港町の中では比較的内陸に建てられている巨大な白い石の建造物――オルグリスの保安協会支部――の扉を開け、屋根の外に足を踏み出した。爽やかな潮風が彼らの間を自由奔放に駆けていくが、当事者たちの足取りは実に重い。
彼らの中に会話が生まれたのはバン、と支部の扉が閉じる音が静寂を裂いてからだった。三人は道の脇に寄ると、支部の対応への不満を口にする。
始めの一言を飾ったのは、腕を組んだままのガッツだった。
「まさか支部同士の連携が上手くいかんことがあるとはな」
眉を下げて言うガッツに対し、調子の変わらないトカゲが答える。
「ねー。まあ制度側ってのはそんな好き勝手動けるもんじゃないし、仕方がないんだろーけど。あんな言い方しなくてもね?」
半刻ほど前にオルグリス支部の長、フォンから言われた言葉を思い出す。
『オルグリスでの堕魂の被害は特段増えていませんから、あまり信じられた話ではありません』
『近頃は漁獲量が減っていて、オルグリス全体の収益が減っていまして。その影響で支部にも経済的な余裕がないのです』
『ですから今この状況で即座に戦力を派遣するのは、支部にとっては悪手です。何も問題がなかった場合、資金だけ失うことになってしまいます』
アヤメの保護に対して向けられた言葉もまた、納得がいかない。
『私は神話やら宗教やらは信じませんよ』
『ですから、ソロモの瞳とやらの保護もあなた方で行ってください』
『一人の人間を守るなら、二人もいれば十分でしょう』
会談の途中で一人話を遮ってまで茶を飲んでいたフォンの姿を思い出し、トカゲたちは煮え切らない思いだった。彼らはオルグリスもトリメルカのような惨劇に見舞われることを本気で危惧していたために、尚更不満は強まり募っていく。
「事情は納得出来る感じでしたけど、でももう少し協力的でいてくれてもいいですよね」
「一応『検討はするから数日待ってほしい』とは言われたけど、やっぱ腑に落ちないねー」
愚痴が三人の中で一周する。重い空気とは裏腹に、彼らの間を涼しい風が通り過ぎていく。
僅かに沈黙が続くと、ガッツが組んでいた腕を解いた。
「……で、この後はどうする?」
「うーん、どうしよっか。返事を待ってる間ずっと手持無沙汰、ってのも勿体ないからねー」
トカゲが溜息を吐く。けれども溜息が吐き終わるよりも早く、トカゲは妙案を思い付いた。右手をパチンと鳴らし、トカゲがアヤメの方を向く。トカゲは勢いのまま、オルグリスに到着したばかり瞬間の出来事を話題に出した。
「そー言えばさ、アヤメちゃん海行きたいって言ってたよね? そこ行っちゃう?」
急に話を振られ、アヤメは戸惑った素振りを見せる。
「え? まあ言いましたけど、任務中にいいんですか?」
「いーでしょーでしょ。だって他に出来ることもないし」
トカゲは少女から目を離し、大男の方へ目を回す。
「ガッツはどう思う?」
話題を振られたガッツが『うむ』と言いながら顎に右の握り拳を当てる。
「確かにその通りだな。やれることもないのなら、好きにするか」
「よーし、じゃあ決定! オルグリス観光行ってみよー!」
右腕を大きく天に掲げ、あからさまに大きな声で話すトカゲが大きく一歩を踏み出していく。その後を追ってアヤメが駆け出すと、ガッツもまたその影をなぞっていく。
こうしてエバリス拘束の協力を得られなかった三人は、当初の予定外のやけくそ観光に出発していった。
♢ ♢ ♢
支部のある通りを抜け、地理の分からぬ三人は当てもなく街中を彷徨っていく。まず彼らが寄ったのは、何の変哲もないただの住宅街だった。住宅街などどこにでもあるのだろうが、いざ探してみると店に隠れて案外見つからないものである。
「この石、どこで取れるんだろね?」
見た感じは大理石、或いは花崗閃緑岩だろうか。この街特有の白い石でできた建物を指差したトカゲが呟く。
「どこでしょう? 海の底、とか?」
「海の底にしかない石なんてあるのか?」
大して詳しくもない周辺地域についてあれやこれやと議論しながら街を練り歩く。
次に彼らが行ったのは、清く澄んだ海を一望出来る展望台だった。街中を吹き抜ける風よりも穏やかで優しい風が頬を撫でる。柔らかい日差しが直接届き、支部への不満など忘れ去ってしまう。
「へぇ、綺麗……!」
「宝石みたいだね」
展望台の柵に手をつき、トカゲとアヤメは波打つ境界線を見る。浜には白い砂があり、太陽光を反射してキラキラと輝いている。総じて白い街と青い海のコントラストがよく映えていた。言葉にするのが難しいほどの絶景。
海に見惚れていると、トカゲの背をガッツが軽く叩いた。
「おい、アレを見てみろ」
言われてアヤメと共に振り返る。ガッツが示した先には、同じく展望台にいる一人の男性の姿があった。逆さまの金属バケツに座ったまま左手にパレットを持ち、少しばかり海を見ては目に焼き付けた景色をキャンバスに写している。
「トリメルカじゃ見ない景色だね」
「ですね」
トカゲはしばらく絵描きの男性の軽快且つ繊細な筆使いから目を離さなかったが、アヤメは即座に目を逸らし、絵ではなく海に興味を示す。アヤメが海に対して並々ならぬ情を抱えているのは、一目で分かった。
「ねえ、そろそろ海そのものに行ってみる?」
「うん!」
眩しい笑顔が花咲くと、彼らの足はようやく海へ。
しかし高台から去り、少し下りの坂道を歩いていた時だった。
「うお!?」
「う……!」
左側を歩いていたアヤメとガッツが、後ろから駆けてきた地元の少年二人に衝突される。
体格のいいガッツはさほど危険な目には合わなかったが、彼と比べたら遥かに小柄なアヤメは勢いで転びそうになる。下りの坂道で転ぶのは危険。トカゲはすんでのところでアヤメ支えると、走り抜いていった少年たちに珍しく不機嫌な声を投げた。
「ちょっと君たち、危ないでしょ! 気を付けてよ」
振りかった少年たちは反省するような素振りもなく小馬鹿にしたように返す。
「あー、悪い悪い。ごめんな」
その態度がトカゲの癪に障ったのか、少年たちが去った後にトカゲは舌打ちをした。
「全く嫌だね。うちのお姫様がケガしたらどーするのさ。目が後ろにでも付いてるのかな?」
「まあまあ、私はケガしてないですから、その辺で」
そんな一悶着を経て坂を下る。
そして長い旅の後、一行は無事に海に着く――はずだった。ところが今彼らはある店を訪ねている。その店とは、酒の店。ガッツが匂いに釣られ『行きたい』と言ったのだった。
ガッツがズラリと並んだ酒瓶を見ているが、それを見守る二人には何が違うのか見当がつかない。
「月泡楼行った時にも思ったけどさ、ガッツってよく飲むよね」
「ですね。二日酔いとかしないんでしょうか?」
酒飲みに対して話しているうち、商品棚から嬉しそうに酒瓶を持ったガッツが帰って来た。ガッツの手元をトカゲが指差して問う。
「それ、買うの?」
「ああ。どうやらここの地酒らしい。是非とも飲んでみなくてはな。一旦持ってくれ」
そう言ってガッツが強引にトカゲに酒瓶を押し付ける。ガッツは懐を探り始めた。
だがいつまで経ってもその手が止まることがない。次第にガッツの顔が青くなっていき、様子がおかしいことが露見する。
「ガッツ、何してんの?」
「いや……それがだな……」
次の一言はトカゲとアヤメの度肝を抜くには十分な破壊力を持っていた。言い辛そうにしたガッツから、普段の豪快な声からは想像もつかない程気弱な声が発せられる。
「財布と、長期任務手帳を失くした」
一瞬間が空いて、困惑の声が二つ。
「は?」
「え?」
あれ程トカゲの物の管理に首を突っ込んできたガッツが物を失くしたという事実に、気の抜けた声しか出ない。
「それって結構大事じゃないですか?」
「ああ、相当な。片方ならまだしも、両方ないとなると余計に具合が悪い」
ガッツが青ざめた顔で酒を商品棚に戻す。その間、トカゲの中では失くした可能性のあるタイミングが一つ、浮かび上がっていた。帰って来たガッツにその旨を伝える。
「ねえ、もしかしたらさ、失くしたのって――」
「ああ。恐らくだが……子供たちとぶつかったあの坂、ではないだろうか?」
アヤメと見合い、トカゲが頷く。
「早いとこ行かないと。特に財布なんか……誰に盗まれてもおかしくないからね」
三人は慌てて店の外に出ると、ガッツの紛失物が無事であることを願って、元来た道を戻っていった。
今日の一言:
オルグリスの観光の場面ですが、地中海のような場所を想像していただけると分かりやすいかと思います。
面白い・続きが気になるという方はブクマ&評価をお願いします。コメントも創作の励みになりますので、是非ともお願いします。




