第41話:出発前の確認は外せない
翌朝五時半を過ぎた頃、トカゲとアヤメは宿を出た。
空を見上げてみれば、まだ太陽が昇っていないため薄暗く、僅かではあるが星が見える。熱を奪う風を正面で受けながら支部へ向かうと、待ち合わせ地点には既に赤鎧の双剣士が立っていた。
ガッツは二人が合流すると少し驚いたような顔をした。
「思っていたよりも準備が早いな。まだ待ち合わせまでは時間があるだろうに」
集合予定時刻は六時。対して、現在時刻は五時四十五分辺りである。尤も、腕時計のようなものはないため、正確な時刻は当人たちは把握しえないのだが。
「確かに、ちょっと早かったでしょうか?」
「まあ、遅刻するよりはマシでしょ。そーゆーガッツも、ボクたちより先に来てたみたいだし? まさか、遠征が楽しみで寝られなかったとか?」
トカゲはガッツの言葉に返すなり、すぐにニヤニヤしながら軽口を叩く。その流れは息を吐くように自然。
ガッツは相も変わらずヘラヘラとしているトカゲに呆れたような溜息を吐き、突き放すように言った。
「俺はガキではないから、お前と違ってそんなことはない」
そう言って視線をアヤメに向け、言い放つ。
「アヤメ、コイツは放っておいて行くぞ」
「あ、はい」
多少困惑しながらもアヤメが歩き出したガッツの背を追う。トカゲは敢えてすぐには動かずに、その場で立ったままわざとらしく声を出した。
「ガッツってば酷いなー。ボクのことだけ置いていくんだー?」
「あんまり騒ぐな。まだ早朝だぞ。近所迷惑になるだろう」
「はいはーい」
小声、でも騒がしいやり取りを繰り返しながら、三人は次の目的地、トリメルカの西門に向かって歩き出した。
♢ ♢ ♢
地平線が明るくなり始めた六時十分頃、三人は終点である西門に辿り着いた。支部長から指示された集合時間まではまだ二十分程余裕がある。しかし支部長も横に数人の支部職員を立たせながら、予定時刻より早く待機していた。
「おはようございます。皆様、随分とお早い集合で」
「まあ初の遠征に出発する大事な日ですし、遅刻は出来ませんから」
「その心構えが見られただけでも、あなた方に遠征をお任せして良かったと思いますよ」
朝の挨拶を軽く交わし、三人は辺りを見渡す。今回乗っていく馬車はまだ来ていないのか、どこにも見当たらない。
周囲の観察を終えた三人の視線が再びルコールに集中する。すると、ルコールはトカゲだけを呼び寄せた。
「トカゲ様、少々こちらへ来ていただけますかな?」
ガッツ、アヤメから少し離れた場所に誘導され、小声で話しかけられる。
ルコールが足を止めると、トカゲは要件を問いかけた。
「それで、何でしょう?」
「貴方にお渡ししておくべきものが。こちらを」
差し出されたルコールの左手に握られていたのは、一つの封筒だった。赤い封蝋で閉じられた白い封筒であり、一般庶民では滅多にお目にかかれないような代物に見える。
「そちらはオルグリスの支部にご提出ください。私の方から直々にエバリス殿の捜索協力を依頼した手紙です。ご到着後、日が経たぬうちにお願いします」
「分かりました」
折り目や傷を付けないように丁寧に受け取る。パーカーのポケットに差し込むと、ルコールが小声で言った。
「それから、アヤメ様のことですが」
アヤメの話題が挙がった瞬間、トカゲにはその先の言葉が読めた。粗方『守ってやってほしい』『トリメルカでの護衛以上に厳重に注意してほしい』とのことだろう。
トカゲは軽く右手で支部長を制止しながら、微笑んで言葉を紡いだ。
「ご安心を。ボクはルコール支部長から直接アヤメちゃんの護衛を委任された人間ですよ。それに――ボクもあの子の信頼を裏切るわけにいかないので」
首だけ振り返り、アヤメに向かって悪戯をする。
「ね? アヤメちゃん」
少し遅れて、離れた場所のアヤメが動く。
「え? あ? ガッツさん、今の話って何か分かります?」
「いや、知らん。全く聞こえなかったな」
急に話題を振られたアヤメが遠くであたふたするのを見て、クスリと笑いながらルコールに目を合わせる。
「まあ、こーゆーことですよ」
ルコールは目を細めると安堵の声を漏らした。
「でしたら、安心ですな」
ルコールが言い切ると、後方から馬の鳴く声と車輪が地面に擦れる音が聞こえた。音の方角を見てみれば茶色い馬と、それに繋がれた控えめな赤茶色の箱が見える。
「そろそろ馬車の方も準備が整い始めたでしょうか? 私は最後に馭者の方と少しお話をして参ります。その間にトカゲ様はお二人をお呼びください」
ルコールは軽く頭を下げると、馬の手綱を引く男性の方に寄っていった。
トカゲは少し離れた場所で待機していた二人に駆け寄る。
「さっきのは何の話なんです?」
「ん? ああ、オルグリスの話。それより、そろそろ出発だってさ。馬車の方に来てくれって」
トカゲから指示を受け、二人は馬車の方へ。
トリメルカの地面を踏みしめた後、三人で揃って馭者の男に頭を下げる。馭者も頭を下げ、自己紹介を始めた。
「本日はよろしくお願いします。皆様の旅のご案内をさせていただく、スズキと申します。代表の方はパルヴィス様と伺っておりますが……どなたでしょうか?」
「俺だ。こちらこそよろしく頼む!」
ガッツが握手を交わして挨拶を終え、次の話題は馬車の説明に移る。
「えっと、お席の話なのですが、誠に恐縮なのですけれど……馬車の大きさと堕魂襲撃の可能性との兼ね合いからどなたかお一人、私の隣に座って頂けないでしょうか?」
三人で目でやり取りをする。誰が何を言うまでもなく、ガッツが名乗り出た。
「では、代表として俺が座ろう。お前たちは中でゆっくりしているといい」
「りょーかい。ありがとね」
「ありがとうございます」
「お決まりみたいですね」
馬車の席配置が決まり、残すは馬車に乗り込む動作だけ。スズキが馬車までゆっくり歩いて行き、馬車の扉を開ける。トカゲとアヤメは彼の背について行き、ガッツだけは馬の方へと進む。
「では、足元にお気をつけてご乗車ください」
トカゲが真っ先に乗り込む。
支部が手配したのだから安全性はお墨付きなのだろうが、念の為の安全確認は欠かせない。右に、左に、上に、下に。それぞれ危険物と思わしき物がないと判断すると、トカゲはアヤメに手を伸ばした。
「はい、どーぞ。そこの段差、気を付けて」
「ありがとう」
二人が席に座ると、外からルコールが話しかけてきた。
「いよいよ出発ですね。皆様の健闘を祈ります」
「こちらこそ、ご期待に沿えるよう頑張りますよ」
――バタン、ガチャリ。
ルコールと別れを告げると、扉が閉められた。馬車の中には金属の噛み合う音が響き、外の世界からは完全に隔離される。程なくして馬の嘶きが聞こえ、遠征隊の三人を乗せた馬車はオルグリスへ向けて出発した。
♢ ♢ ♢
馬車がトリメルカの街を去って、ルコールを始めとするトリメルカの支部関係者は支部に帰り始める。道中で、それまでは黙っていた秘書がルコールに問いかけた。
「良かったのですか、トカゲを任務に加えて?」
「……今更何故そのようなことを?」
「あの者は戸籍も不明、アニムも前代未聞、過度な拷問も行い、加えてメギラナ被告死亡の際に残滓の影響も受けなかった数少ない人物です。得体が知れません。そのような者を易々と遠征に派遣してもよろしいのですか?」
トカゲの動向を常にルコールの隣で見ていた秘書の口は止まらない。その声には恐怖と疑念の混じった色が籠められている。
「トリメルカで監視して……それこそ彼のアニムの調査担当たちも『国家案件だ』と言っていましたし、調査対象として国に明け渡すためにも、残しておくべきだったのでは?」
職員の不安そうな顔を見て、ルコールが小さく口を開く。
「確かに、彼にはまだ分からないことが多い。これは覆らぬ事実です。だが、あの方は少なくとも我々に害を成す者ではなかった。ならば支部としては、最も有効に使うべき。それが今回は結果的に遠征任務になった、という話です。問題はない」
「……左様でございますか」
以降、秘書が何かを話すことはなかった。ルコールは支部へ帰る道すがら、胸の奥で密かに三人への思いを反芻していた。
――どうかご無事で。期待していますよ。
今日の一言:
第一章はこの話で事実上終了です。次話は閑話ということで、少しだけサービスシーンでも書きましょう。甘酸っぱい恋模様がお好きな方は是非ともお読みください。




