第36話:拝啓、遥かなる時を越えた貴方へ
日付が更新される時刻。ガッツに別れを告げて、その後無事に宿も見つけて、トカゲは安らかに眠りに落ちた――はずだった。
トカゲは《精神の淀み》ともまた違う、奇妙な世界に迷い込んでいた。
♢ ♢ ♢
「……どこだろうね、ここ」
わざとらしく声を出してみるが、誰の返事も返って来ない。普段ならば独り言に反応するソロモもいるはずなのだが、何故か今回ばかりはソロモも自我を出さない。今のトカゲの周りには、何者もいない。それどころか、彼の目に映るのは――。
「灰色ばっかり。見映えがしないねー」
視界を埋め尽くした世界は、ただ平坦に伸びて地平線を描くだけの無機質な土地。動物がいるようには見えず、植物すらも生息していない気がした。
トカゲは周囲の異質さを把握すると、自身の状態も調べようとした。しかしどうしたことか、猛烈な違和感が彼に襲い掛かる。
「あれ? おかしーな」
腕が動かない。首が曲がらない。歩けない。視界は眼球の動く範囲のみ。口が動くのは確認済みだが、他にあるのは心臓の鼓動だけである。呼吸の感覚はなかった。
そしてそこに付随するように、人間では誰も理解出来るはずのない浮遊感。いや、浮遊しているというよりは重力に逆らっていると言い換えた方が適切であろう。
だがトカゲは諦めが悪い。彼はせめてどこか自分の肉体の一部でも見えないかと思い、体の至る所に力を入れて動かした。諦めの悪さが好転してか、左腕だけは自分の意志で稼働させられることだけは確認出来る。
取り敢えずは自身の一部が見えたことで、安心して目線を戻した。
次の瞬間、トカゲは突然の景色の変遷に目を疑った。
「……は?」
ほんの一瞬目を離した隙に、トカゲの視界の奥には明らかな文明が築かれていた。人が街中を歩いている。街並みも竪穴住居のような古めかしいものではない。どちらかというと、既にどこかで見た光景、それこそトリメルカの市中のようだった。
歩いている感覚はないが、少しずつ視界だけが後退していく。
かと思えば、次に気づいたときには、トカゲは誰かの隣に座っていた。相手とは互いに向き合うように座っている。しかし、顔はおろか、輪郭すらもぼやけて見えない程に解像度が悪い。
「*************」
「……何? ごめん。よく聞こえないし、もう一回」
「*******」
自分の声は把握出来るため聴覚は機能しているはずだが、聴覚はその他の音を拾おうとしない。相手が返事をくれているのは肌感覚で察しが付くが、その内容は闇の中である。
この一連の流れで分かった情報は三つ。
相手は何かを語り掛けてきていたこと。
何かを渡してきていたこと。
そしてその相手とトカゲは仲がいいのだということ。
トカゲと接点があるのはアヤメ、ガッツ、ルコール支部長、ソロモ、メギラナ、エバリス辺りである。けれども、後ろになるほど仲がいいとは言い難い関係になっていく。
――じゃあ、この人は誰?
どれだけ思考を巡らせても相手の正体に辿り着かない。視界から得られる情報がもう少し鮮明であれば分かったかもしれないが、今の情報だけで推測することは不可能だった。
眉をひそめたその時、初めてトカゲの五感が正常な機能を取り戻した。そして瞬時にそれらは活発に仕事を果たし始める。
街角で酒の中のアルコールが燃焼するような甘い匂い。肌をジリジリと焦がすような熱。視界を染め上げた火柱に、血のように紅い空。そして、どこかで聞いたような泣き声。
景色はまさに地獄そのものだった。丹精込めて積み上げてきたものが一つ一つ破壊される景色。勿論トカゲは何も積み上げてなどいないのだが、そんな気がした。
「――お前のせいだ、***! ****、今ここで***還せ!」
所々フィルターにかけられたようにぶつ切りになって聞こえないが、明確にトカゲに殺意が向けられる。正面には人型をした何かの輪郭だけが見えるが、正体は分からずとも、明らかな敵。
トカゲは殺される前に殺してしまえと左手を振るった。しかし何故かアニムが発動出来ない。同時に『殺せない』『殺したくない』という情が芽生える。他人の意志が流れ込んでくるような、異質な感覚が脳を満たした。
――何で? 敵は初対面じゃないか。どうして!
考える余裕はなかった。トカゲの頭には槍のような何かが突き刺さり、頭が爆ぜた気がした。
♢ ♢ ♢
「……ッ!」
掛け布団を跳ね除け、トカゲは上体を勢いよく起き上がらせた。悪夢に魘されたように、呼吸が乱れている。
何も分からぬ頭で辺りを見渡す。映った世界は先ほど酔ったアヤメと共に借りた宿の一室だった。奥にある机も、ランプも、窓の外の三日月も全て平然としてそこにある。外界の様子に変わりはない。
視線を窓から戻すと、トカゲは体中を触った。まずは爆ぜたように感じた頭部。触ったところ、皮膚のぷにぷにした感触とその奥にある固い骨の感触を感じる。続いて鼓動を確かめるために胸。次は腹、腰、脚と徐々に下半身に手を伸ばすが、感触は疑うまでもなく、自分の肉体だった。
――生きてる。確実に死んだ感覚がしたのに。
――でも、何で?
寝起きで思考力も不十分、挙句混乱した頭をフル稼働して、今の今まで見ていた『世界』が何なのかを考える。
やがて、一つの結論が弾き出された。
――そうだ、今日は人生初の酒を飲んだ日。飲酒後は頭痛を訴える人も出るし、夢の内容も突飛なものになりやすい。軽い酔いだろう。
トカゲは先ほどの奇妙な『夢』は飲酒によって引き起こされたものだと結論付けると、そのまま軽い放心状態に突入した。
十秒ほど経ち、徐々に思考が落ち着きを見せ始める。するとトカゲの左方から、耳が聞き慣れた音が入った。
「……う……うぅ……」
ランプを挟んで隣、左のベッドを見ると、そこにはいつものように泣いて魘されているアヤメの姿がある。
もはや考えるまでもない。トカゲは慰めるために、ベッドを抜け出す。隣のベッドのアヤメを踏まない場所に腰を掛け、頭を撫でる。するとアヤメが縋るように寄ってくる。彼女の腕がトカゲの体を締める力は、トカゲより一回り小柄な体格からは想像もつかない程強い。
毎夜毎晩、お決まりのルーティン。
「大丈夫、もう怖がらなくていいよ。ちゃんとここにいるから」
腹に抱き着いてくるアヤメの頭頂に手を伸ばして、赤子を宥めるように優しく包み込む。力加減を一歩間違えたら壊れてしまうモノを壊さぬよう、丁重に。
次第にアヤメが泣き止み、それを確認したトカゲもその場で睡魔に逆らうことを諦める。コクリと垂れた頭は、朝を迎えるまで持ち上がることはない。
その晩、トリメルカの街で異変が起きていたことなど、二人は一切感じ取っていなかった。
今日の一言:今話にはモデルになった曲があります。是非とも考察してみてください。ヒントはトカゲが五感を取り戻した後の情景描写の地の文です。
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