第35話:お酒と隠し事は程ほどに
時刻は二十三時を回った頃。ガッツが顔を紅潮させながら口を開いた。
「まさか、こうなるとはな」
「ね。これはボクも予想外」
二人の視線が交差する先。空いたグラスや酒のつまみの皿を避けたテーブルの隙間に、アヤメが力なく突っ伏している。
「アヤメはもう少しイケる口だと思っていたが……案外弱かったのか?」
「んー、まあこんなもんでしょ。言ってもそこまで強そうには見えないっていうかさ」
それぞれの前に置かれた空きグラスを数える。ガッツは七杯と飲み途中の一杯、トカゲは一杯。本命のアヤメはと言うと、二杯と半分程残された一杯だった。
トカゲはアヤメの顔の前に右の手を出すと、ひらひらと振ってみせた。しかし一切の反応が見られない。ただ深い呼吸に伴って、突っ伏した肩が上下に動くだけである。
「今頃は夢の国かなー」
アヤメは寝言を言うこともなく、完全に酔い潰れていた。トカゲは手慣れた手つきで自らが羽織っていたパーカーを脱ぐと、アヤメにかぶせた。
「お前、いつも過保護なのか?」
「うーん……まーねー」
軽々しく答えるトカゲにガッツが小さく溜息を吐く。
「お前がいない時にアヤメが不安がる理由が、少しだけ分かった気がするぞ」
「そう?」
トカゲはチラリと視線を正面に向け、その後隣の少女に向け直す。
「なんか、放っておけないんだよね。何でこんなにいい子があんな目に遭わないといけないんだろうって。理不尽じゃない? 望んでソロモの瞳を宿したわけでもなかろうにさ」
誰がどこで何を聞いているかは分からないため、『ソロモの瞳』という言葉を直接口にすることは避ける。
トカゲは手を伸ばすと、アヤメの顔にかかった長い金髪を払いのけた。魘されているようなこともなく、安心して眠っていたアヤメの顔が露わになった。
「一緒に過ごすと分かるけど、アヤメちゃんって本当にただの女の子なんだよね。今でこそ怯えるのが常だけど、きっと本来はもっと笑うだろうし、怒ったりとか、嫉妬とかもすると思うんだ」
――なのに、どうしてこの子だけが追われないといけないのか。
トカゲは自身の胸の内を明けると、ガッツの何か言いたげな目に気付いた。
「そのことなのだが、少しいいか?」
「いいけど、急に改まってどーしたのさ?」
ガッツの視線がトカゲの左腕をなぞりゆく。その先にあるのは左手。今現在はパーカーをアヤメに貸したために、テーブルの下に隠されている。
「お前が地下に籠っていた間に聞いた話なのだが……お前、左腕を隠しているようではないか」
隠せていたと思っていたものは、現実は違ったらしい。トカゲは少し物憂げな声になった。
「……ああ、そのこと」
「アヤメが嘆いていたぞ。お前があの日以来ずっと隠し事をしているようだ、とな。聞けば左手が黒く染まっているとのことだが、何故そこまでして隠す?」
トカゲは何かを隠すように右手で頭を掻いた。けれども詰められて観念したか、トカゲはもぞもぞと左腕を動かし出す。テーブルの影から露わになった彼の左手は、他の何にも例え難い漆黒に変貌を遂げていた。
「ボクの左手ね、あの日戦ったことで、変わっちゃったんだ」
握っては開くを繰り返す。動作に異常はなく、感覚も賭けて失う以前の手と完全に同じである。
「見た目はご覧の通り。なんともまあ、不気味じゃない? 呪われたみたいでさ」
ガッツの方に向けて左手を振る。
「あの日の戦いはアヤメちゃんを守るためだった。んで、その結果がコレだよ」
トカゲの視線は隣で眠る少女の方へ。彼の瞳の奥には、どこか悲しそうな色が宿っていた。
「アヤメちゃんは今、凄く傷ついてる。そんな子が『自分を逃がすために戦った人が犠牲を負った』なんて知ったら、今度はどれだけ自分を責めちゃうことか。こればっかりはボクにも読めなくてねー」
左手を自らの元へ引き戻し、視線をそこへ固定する。
「少しでも負担を減らそうと思って見せずにおいたんだけど……裏目に出ちゃってたかな?」
「分かってるではないか」
ガッツは目の前のグラスに手を伸ばすと、一口だけ飲んで喉を潤した。
「俺はお前以上にその子を知らんが、これだけは言っておく。アヤメはお前を一番信用しているんだ。だから、せめてお前くらいは隠し事をせずに接してやれ」
「はいよ」
短く不愛想な返事。しかしその言葉は嘘ではなかった。ソロモの瞳がなくとも『嘘ではない』と断言出来るような、そんな声の色だった。
一段落つくと、トカゲが再び同じ話題を続けた。
「じゃあ話も挙がったことだし? 聞いてみてもいいかな?」
「何を聞くつもりだ?」
口では言いつつも、互いに内容は伝わっている。
「ガッツってこれが何か分かる?」
「『分かる?』とは他人任せな言い方だな」
「ガッツの方がアニムや霊力のことは詳しいだろうから聞きたいんだけど、アニムを使った後、肉体が変化することってある?」
顎に右手を当てながら、やや右斜め下を向くガッツ。
「無い……わけではない。どれ、少し見せてみろ」
言われるがままトカゲは左手を差し出した。差し出された彼の左手には、微かに宿る霊力と、アニムの痕跡がはっきりと見える。ガッツは自分の幼少期の思い出を振り返りながら、問いに答えた。
「そうだな、これは極めて珍しい現象だが……アニムの『暴走』だろう」
「暴走?」
「ああ。慣れないうちや短期間で一気に使用すると起こり得る。俺も一度だけ暴走させたことがあるが、確かに見た目は変わったな」
ガッツの挙げた条件は当時のトカゲとピッタリ一致していた。このことを踏まえれば、彼の言った通りトカゲの左手の変質はアニムの暴走によるものだろう。
しかし問題なのが『ソロモに賭けた』ということだった。ソロモ関連の話題はガッツでも知りえないだろうと踏んで、トカゲは話題にしなかった。そもそも『賭ける』という行為自体のアニム特有の挙動なため、ガッツに尋ねても意味がない。
「心配は無用。時間さえ経てば元に戻るはずだ」
「ふーん。そんな概念があったなんてねー。いい勉強になったよ」
話に終止符が打たれると同時に、テーブル中央に安置されていたキャンドルの灯が消えた。仄かな花の香りがなくなり、代わりに煙の匂いだけが停滞する。
「もうこんな時間か。そろそろ――」
「――お開きとしますか」
席を立ちながらガッツが告げる。
「お前は大して飲んでないように見えるが、いいのか?」
「まあアヤメちゃんが寝ちゃった以上、連れ帰る役が必要だからね」
「……まさかとは思うが、最初からそこまで読んでいたのか?」
「流石に。そんなことはないよ」
またもや分かりやすい嘘を、と思いながらガッツが財布を取り出し、トカゲに指示を出す。
「俺は会計に行ってくる。お前はアヤメを頼んだ」
「りょーかい」
ガッツの背が遠くなるのを見届け、トカゲは小声で呼びかけた。
「もしもーし、お眠り姫さーん」
反応なし。肩を揺すってみるが、特に状況は変わらない。
「……仕方ないなー」
トカゲはアヤメの腕を担ぐと、彼女を左に支えて歩き出した。左手を隠すような真似はせず、彼女を左腕にしがみつかせている。
♢ ♢ ♢
ガッツが会計を終えて店を出てくる。空には無数の光の粒と、くっきりとした三日月が浮いていた。多少の雲と重なり、先ほど飲んだ《月泡》を思い出す。
「宿はすぐ近くにあるが、その状態の二人で行けるか?」
「行ける行ける。ご心配どーも」
爽やかに答えるトカゲを見て、ガッツは密かに微笑んだ。月明かりの指す方向の関係上、トカゲからは視認出来ないが。
「いい顔になった」
「……何か言った?」
「いや、何も言っておらん」
ガッツは組んでいた腕を解くと、二人に背を向けた。
「誘った俺が言うのも違う気がするが、今日はしっかり休めよ」
「はいはい。ガッツこそ今日は飲んだんだから、早く寝てちゃんと肝臓さん休めてあげなよ」
互いに挨拶を終え、歩き出す。ガッツは自宅へ、トカゲとアヤメは宿へ向けて。空に浮かんだ星々が彼らの行く末を見守っていた。
今日の一言:ガッツは酒豪です。本来ならばもっと飲みます。アヤメは人並み。トカゲは今回は大して飲んでいませんが、恐らく下戸でしょう。




