137.レヴィ2
昔住んでいたアパートに帰って来たのは6年ぶりなので当然母親のアンや同僚のウオンさんも滞在期限切れで故郷のベトナムへ帰っている筈だった。
それでもこのアパートはベトナム農業実習生寮になっていたので無下な扱いはされないだろうと期待してチャイムを鳴らす。
中から顔を出したのは思いもしなかったウオンさんだった。
母とウオンさんは滞在期限切れとなる前に日本人男性と結婚して日本国籍を得たらしい。
そしてウオンさんから自分の母親が今から出産することを知り一緒に病院へと向かう。
複雑な事情があり母との面会を諦めて新生児室にきょうだいが出てくるのを待っていると、窓際に置かれていた保育器の中で未熟児の赤ちゃんが死んでいくのが目に入った。
その時アイリーンの体内で眠っていたイノマンの残滓が覚醒してその新生児に石井光一の魂を移す。
それは光り輝く中で行われた行為で、あたかも白い羽を持つ天使が命を与えている様に見えていた。
それが奇跡の新生児豊福昴くん誕生の逸話になっている。
けれどもその後いつになっても石井光一の魂は覚醒することなく昴くんの体内で今なお眠り続けている。
そのことをいま走馬灯の様に思い出そうとしたのをアイリーンは躊躇った。
そして彼女は下を向いてしまう。
うなだれたアイリーンを見たリバイヤさんは彼女が誠心誠意を込めた最大限のお願いをされたと勘違いする。
「わかりましたわ。そのお気遣いに感謝の言葉もありません。ですから私もこれからは最大限の助力をさせて頂きますわね、あと私が父の名前を引き継いでリバイヤって名乗ってましたけど父が助かるのであれば私のことをレヴィって呼んでもらえないでしょうか、そうしないとなんか落ち着かないんです」
リバイヤさんが言う。
「そうよねその通りよ、九論がイノマンに成り変わったってうちは九論って呼んでるけどさ……(あまり関係なかったわね)でもイノマンって呼ばないといけない時があるのよね例えばここはイノマン研究所でしょう」
頭をコツンと叩きながら舌を出す。
「アイリーンが言い出したことは主旨がかなり脱線してるんじゃないかと思うぞ。それでもまあこれからはレヴィと呼ぶようにしたほうが良いだろうな」
九論が話を戻そうとする。
「そうだよ、レヴィって名前のほうが絶対可愛いよ」
昴くんが何も考えず自分が思ったことを素直に言葉にした。
間髪を入れずアイリーンがお尻をつねってくる。
「痛い、なんでつねるの!」
「あらごめんなさい指が勝手に動いたみたいね、うちの目の前で他の娘に色目を使うとまた無意識で痛い目に遭わせちゃうかも知れないから気を付けることね」
「い、色目なんか使ってないよ~」
昴くんがお尻をさすりながら弁明した。
「いい加減にしないか夫婦喧嘩するにはまだ早いだろう、明日の朝は荷物の積み込みで大変なんだから今晩は早目に休むほうがいい」
九論があきれ果てて疲れ切ったように言う。
「「誰が夫婦だって言うのよ」」
二人は憤慨しながら顔を見合わせる。
「そうね明日も大変な一日になりそうだわ九論はここで寝るのよね、うちと昴くんはスターキッドに戻って休むわよ」
二人はスターキッドに戻るとそのままそれぞれのカプセルベッドへと向かう。
翌日の早朝からイノマン研究所での引っ越しが始まった。
早朝と言っても太陽が昇る訳でもないので『うちが8時間寝て起きた時が朝よ』と昔アイリーンが提案していた時間で行動している。
何せキャプテンの言うことだから多少の弊害は許容していた。
〈お願いだから積載オーバーにならないようにして下さいよ〉
スターキッドAIが切実にアイリーンに頼んでいる。
どこで下ろすのか分からない多量の荷物を積み込んだままで危険な冒険の旅はしたくないとの思いが強いらしい。
「大丈夫よ、半分くらいは地球防衛基地で下ろすわ換金するのよ、本当ならルナ・ターミナルまで行って買い鳥さんに高値で買い取ってもらいたかったんだけどさ、今は時間のほうが貴重に思えたんで諦めたわ。それに基地ではオビス司令官が待ってるだろうし、もたもたしてて巡察艦の目に触れたら面倒なことになりそうだからね」
「いっそ巡察艦も地球に連れていったら駄目なのかなあ」
昴くんが手拍子で言う。
「ダメよあいつらは融通ってもんが利かないのだから、例えオビス司令官の免罪符や航行手形があっても捕まって長いこと質問責めに合うのよ、オビス司令官の口利きが直接あるまで解放されないと思うわ」
「だったらさあオビス司令官も一緒に来てもらおうよ」
「昴くんあなたなんて冴えてるのかしら見直したわ、そうね免罪符なんてまどろっこしいことせずにオビス司令官から直接『リバイヤサンの疑惑は晴れた、よって無罪放免とする。これにて一件落着、のちほど冤罪賠償金の支払いがあるので金庫番より受け取るように』と言ってもらえばいいのよ」
アイリーンが時代劇の見すぎじゃないかと思うばかりのジェスチャーを交えて話す。
「昴くんの言うことには一理あるがオビス司令官の予定もあるだろう。しかしまあ駄目元と思って頼んでみる価値はあるな」
九論はとりあえず賛成してみる。
「決まりね、そうと決まれば司令官へのお土産を用意しなくっちゃね」
「愛鈴、賄賂は駄目だよ」
「お土産よ、お・み・や・げ、うちと『オビスのおっちゃん』の仲なんだし今までたくさん奢って貰ったわ、ここでまとめてお返ししてもおかしくないわよ」
((まあ、彼女が渡そうとする物は何を置いても酒だろうから大丈夫だろう))
九論と昴くんは高を括った。
スターキッドAIが悲鳴を上げる直前まで荷物を積み込むと予定通り九論を冥王星に残してアイリーン昴くんレヴィの三人は地球防衛基地へと向かう。
冥王星から地球防衛基地までスターキッドを光速の10%、秒速3万キロメートルまで加速しても問題ないと航路計算が出た。
そうすると50時間後には基地へ到着するので三人はスターキッドの中で普通に過ごす。
今回の行程ではその殆んどをオートパイロットで航行するのでアイリーンと昴くんは席から離れてレヴィの話し相手をしている時の方が多い。
出発して6時間が経過した頃になってアイリーンがレヴィに話し掛けた。
「海王星が遠くに見えるけど懐かしいんじゃない」
アイリーンは沈んだ表情を浮かべているレヴィに気を遣って言葉を掛ける。
「私たち父娘は海王星には降りてないの、ずっと海王族の旗艦『シードラゴン』の中で生活していたのですよ」
「ブフッ…… 」
昴くんが小さく吹き出す。
「痛い!」
アイリーンに再びお尻をつねられる。
「二人とも、どうかしたの」
レヴィがアイリーンと昴くんのいちゃつき振りを気にしてない風を装って聞く。
「ごめんなさい『シードラゴン』ってのが昴くんのツボにはまったみたいなの」
「何故かしら?」
「『シードラゴン』ってのは、地球の海に住む生物でタツノオトシゴって言うのオスがねお腹の袋で赤ちゃんを育てるのよ、大変珍しいのだけどとてもドラゴンとは思えないほど愛らしい生き物なの『ドラゴン』って分かるよね」
「はいその通りです。シンボルマークも『タツノオトシゴ』が描かれてました。それに名前の由来通り冷凍保存された海王族の赤ちゃんになる前の卵が一杯積まれていたのです」
「旗艦と言うからさ戦艦かと思ってしまったけど違うのね、強いて言えば育成艦かしら」
アイリーンが知恵を絞ったふうにして言う。
「育成艦と言うのもどうかと思いますけど、まあ確かに戦闘能力は高くはなかったです。だから護衛艦に守られていました」
レヴィは説明しながら千年も前のことなので自分の記憶のまま言ってもいいものだろうかと考えていた。
「でも私の記憶は千年前のものですから今も現存するかは分からないです」
「そうよね、過去のことを思い出させて悪かったわ」
「それは良いのですけど今の海王族の方々が冤罪とは言えリバイヤサンのことをどう思っているのか分からないのでその……不安のほうが大きいです」
「昴くんはどう思ってるのかしら、 ねえ昴くんもしかして寝てるの?」
昴くんはアイリーンの側で立っているとまたつねられるのではないかと思って副操縦席に座っていた。
「嫌だなあちゃんと起きてるよ、海王族の人たちがリバイヤサンのことをどう思ってるかなんて誰にも分からないと思うよ千年前からずーっと引きこもってるんでしょう」
昴くんが言う。
「同じ引きこもりとして気持ちが分かるかなと思ったんだけど」
「アイリーンさんそんな酷い言い方しては昴くんに失礼ですよ」
レヴィが半分くらいは本気で怒っている。
「あっ、昴くんごめんなさいね思ってもないことを言ってしまったわ、毎日が単調で詰まらなくなってきてるのでこの口が悪いことを言ってしまったのよ、だからお詫びにつねっても良いわよ」
アイリーンが素直に謝ってきた。
(つねるとか別にいいけどさ、愛鈴の頬っぺに触れる機会って二度とないかも知れないからな……ちょっとだけなら良いかな)
「柔らかい……」
アイリーンは『本当につねってくるとは思わなかったわ』と言いたかったのだろうけど、頬っぺたをつねられているので実際の発音は『ハヒフヘホ』みたいに聞こえてくる。
「なんだって?」
昴くんが手を離して聞く。
「本当につねってくるとは思わなかったって言ったのよ」
「つねるほど強くは触ってないと思うけど柔らかくて良く伸びたね、でも痛くはなかったよね」
「び、ビックリしただけよ」
アイリーンの頬がつままれたせいではなくて赤らんでいる。
〈う~っ、ゴホン、オホン、エロホン、いい加減にしてもらえますか〉
ついに、我慢の限界を超えたスターキッドAIの声がスピーカーから流れ出した。




