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基礎魔法の謎とプロジェクト管理の入口

 ミカヅキの部屋から戻ったわたしは、ベッドの上に借りてきた本を積み上げた。

 これが基礎的な魔法の教科書らしい。

 ためしにパラパラとページをめくってみる。

 思ったよりも文字が大きくて、ところどころに図解もあり読みやすい。

 一冊につきひとつの魔法について書かれていて、合計四つの魔法を学べるようだ。

 ここではいわゆる学校みたいな授業はないようなので、まずは本を読んで学んでいくしかない。

 わたしはブーツを脱いでベッドに上がり、壁に背を預けた。

 イナリは肩の上から飛び降りて、本の匂いを嗅ぎに行っている。

 ざっとひと通り目を通してみて、だいたいどんな魔法なのかはわかった。

 コップに入ったミルクを熱くする魔法、ドアの前に来た人間を見分ける魔法、寝る前に窓を閉める魔法、薄めたワインから水を抜き出す魔法の四つだ。


「なんか変な感じ」

「クルッ」


 イナリが折り重なった教科書の上に乗ってこちらを見ている。

 どうしたのって訊いている感じだ。


「一冊目のミルクを熱くする魔法はなんとなくわかるんだよね。熱をコントロールするってことだから、これは魔力のコントロールに似てるし」

「クルッ」

「ドアの前に来た人を見分ける魔法も、窓を閉める魔法もわかる。感覚の拡張と物体の運動のコントロールだから」

「クルッ」


 イナリが律儀に合いの手を入れてくれる。


「でも、薄めたワインから水を抜き出す魔法、これがわからない。化学実験みたいだけど、そういうんじゃないよね」


 たぶん何か意味があるんだろう。

 結局、詳しいことは本を読んでみないとわからないのだ。

 とりあえずわたしは、ミルクを熱くする魔法の本から読み始めた。

 最初になんだかよくわからない概論がある。

 ここでは無駄に抽象的な議論がなされていて、その次からはいきなり呪文だ。

 それから魔方陣。

 この組み合わせで魔法を使うらしい。

 魔力の操作のやりかたとかは一切なし。

 いいのか、こんなんで。

 今まで猫の王様に教わってきたことと違いすぎる。

 あっちは魔力の操作が基本だった。

 魔力を手足のように使い、その性質を変化させる。

 わたしとしては、感覚的にわかりやすかった。

 でもこの教科書の魔法、人間の魔法はわかりにくい。

 どうしていきなり呪文と魔方陣なんだろうか。

 しかもこれだと、本当にミルクを熱くすることしか出来そうになかった。


「うーん」


 教科書から目を上げて、軽く首の周りを揉む。

 イナリは本の上で丸くなって寝ていた。

 窓の外の日差しから察するに、ここを出て家に帰る時刻までにはもう少し時間がありそうだ。

 とりあえず今日はこの本を最後まで読んでしまおう。


 ただ、その前に今後の方針をはっきりさせておきたい。

 今日たそがれの魔女から出された三つの課題をどうクリアするのかを考えなくちゃいけない。

 そうだな。

 まず、基礎的な魔法を習得するってのが、最初にやることだ。

 これは粛々と進めるしかないから、特に迷いはない。

 次に、迷宮を攻略する課題。

 これについてはもう少し情報が欲しいところだ。

 課題の内容を分析して、攻略法を定めて実行する必要がある。

 思うに、他の三人がまだクリアしてないってことは、どこかに問題があるはずだ。

 もしかしたら、これは問題解決型の課題なのかもしれない。

 もうちょっと内容を見極める必要がある。

 それから最後は、他の三人をまとめてチームにして迷宮を攻略するって課題だ。

 これは前も思ったけど、プロジェクト管理だ。

 バラバラのメンバーを束ねて、目標に向かってプロジェクトを進めていく。

 難しい課題だけど、わたしには多少のアドバンテージがある。

 前世の経験を参考にすればいいのだ。


 まず最初に大事なのは、わたしたち四人がチームになることだ。

 現状では全員バラバラだし、それを問題だとも思っていない状態なわけで、これは短期間ではどうにもならないかもしれない。

 とりえあず、基礎的な魔法を習得する間に、チームになるための下準備も進めておこう。

 まずは三人と仲良くなるところからかな。

 良く知らない相手と手を組めって言われるよりは、好感を持っている人とチームになれって方が了承しやすいだろう。

 前世の頃からコミュ力は高い方じゃなかったけど、ここはテクニックで何とかしよう。

 わたしがアラサー社会人でディレクターをやってた時、面識がないメンバー達とプロジェクトチームを組まなきゃいけないことも何度かあった。

 この現状はその時と似ている。

 プロジェクトメンバーと円滑に仕事をするためには、こちらに好感を持ってもらえると都合が良い。

 可能ならば信頼感を得るところまで行きたいところだけど、それはなかなかハードルが高い。

 だから最初は、好感を持ってもらう程度でいいのだ。

 とはいえ、別に巧みな話術とかは必要ない。

 そもそもわたしは凄いコミュ力の持ち主ってわけでもないし。

 実はやることはシンプルだ。

 相手の好感を得るためには、一緒に居る時間を増やすのが手っ取り早い。

 腹を割って話をするとか、お互いを理解して親交を深めるとかそういうのは必要ない。

 毎日少しずつでもいいから、顔を合わせて何か話をする。

 短い時間の積み重ねで構わない。

 話題はなんでもいいけど、相手が興味を持っていることだとやりやすいだろう。

 例えば、前世でのわたしはプロジェクトの立ち上げ時期には、よくメンバーの机を回って短い雑談をしていた。

 午前中の始業直後とか、午後いちとか、それぞれのメンバーが忙しくないタイミングで顔を出して、たわいもない話をする。

 短くても毎日。

 それだけでも、ずいぶんとメンバーの態度も変わってくるのだ。

 今日はミカヅキのところで使い魔の鹿の話を聞いたけど、ああいうので良い。

 これからも毎日みんなの顔を見に行こう。

 いきなり親友にはなれないだろうけど、多少話をするくらいだったら出来るはずだ。


 あとは情報収集かな。

 わたしにみんなをまとめろって言うってことは、やっぱり迷宮攻略には何か難点があるにちがいない。

 その問題点を早めに割り出しておきたい。

 情報収集って言うと面倒そうだけど、毎日三人に会うときの話題づくりにはちょうど良い。

 基礎魔法の勉強の仕方とかと一緒に、迷宮の事を教えてもらうって形で話をしに行こう。

 とりあえず直近の方針が決まったので、わたしは教科書の読解に戻った。


「クルッ」


 集中して教科書を読み進めていると、突然イナリが本の上に顔を出した。

 ページの端に小さい手を掛けて首を伸ばしてこちらを見ている。

 わたしは指先でイナリの顎下を撫でた。


「どうしたの? もしかして寂しくなっちゃった?」

「クルッ」


 イナリがひと声鳴いて窓の方に顔を向けた。

 つられてそちらを見ると、窓の外の日差しはずいぶんと弱くなっている。

 もうそろそろ帰らなくちゃいけない時間だ。


「そっか。時間を教えてくれたんだね。ありがとう」

「クルッ」


 わたしは得意気に鳴くイナリの両脇に手を入れて抱き上げた。

 長い胴体がさらにぬるっと伸びる。

 そのまま鼻先を近づけると、うれしそうにイナリも鼻を寄せて来た。

 湿った鼻の感触をしばらく堪能して、わたしは素速く帰り支度を始めたのだった。

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