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魔法の教科書と鹿の毛並み

 食事を終えて一度自分の部屋に戻って簡単に片付けをする。

 ベッドとライティングデスクと椅子が一脚あるくらいのシンプルな部屋だ。

 壁に据え付けの本棚が設えてあるのが魔法使いの弟子達の部屋らしいところだ。

 あとは部屋の隅に鍵のかかる大きな収納箱があった。

 これに貴重品を入れるのかもしれない。

 さすがに泥棒は入らないだろうけど、誰かが部屋に入るかもしれないし、あまり大事なものを入れるつもりはない。

 奥の壁にはちょっと小さめの窓があって、鎧戸を開けると森の木々が見える。

 直接日差しは入らないけど、部屋は随分と明るくなった。

 鎧戸の下の窓台にはランタンが置いてあって、夜はこれを使って明かりをとるんだろう。


「よし。じゃあ、まずは教科書を取りに行かないと」

「クルッ」


 元気に返事するみたいに鳴いて、イナリがベッドの上からわたしの肩の上まで駆け登ってきた。

 そのままイナリを連れて廊下を出て、ミカヅキの部屋の扉をノックする。


「どうぞ!」


 扉の向こうからミカヅキの返事が聞こえた。

 素っ気ない声色から察するに、勝手に入れってことなんだろう。


「失礼します」


 扉を開けて中に入ると、ミカヅキはベッドに腰掛けて使い魔の鹿にブラシがけをしているところだった。


「それで、何の用?」


 ミカヅキはこちらを見ずに、確かロクサイとかいう名前の鹿に丁寧にブラッシングしている。

 鹿の方はうっとりと眼を閉じていて、こちらもわたしたちを見ていない。


「えっと、先生に教科書を受け取るようにって言われたんです。基礎の魔術に関する本が四冊あるって聞いたんですけど」

「ああ、あれね」


 そう言って、やっとミカヅキは鹿のブラシがけを止めた。

 ロクサイも我に返ったみたいに目を開けて、ちょっと驚いたみたいにこっちを見ている。


「たしか本棚にしまってあるはずだけど」


 ミカヅキが本棚の前に立ち、並んだ本に顔を近づける。

 わたしはロクサイの鼻先にそっと手を差し出した。

 ロクサイは手の甲のにおいを嗅いでいる。

 ちらっとこちらに視線を向けてきたけど、どうやら肩の上のイナリが気になるらしい。

 イナリの方はロクサイから視線を外して、わたしの首の周りをくるっと回って、マフラーを巻くみたいな体勢をとった。

 ロクサイのことは気にせず居眠りをするポーズだ。

 わたしがロクサイの顎下を軽く撫でると、リラックスした表情で眼を細めた。

 イナリが緊張を解いたから、ロクサイも安心したらしい。


「ちょっと勝手にロクサイに触らないでよ!」

「あ、ごめんなさい」


 勝手に他人の使い魔に触るのは良くなかったかもしれない。


「あんたも呑気にしてんじゃないの!」

「ムイッ」

「なに! わたしは心配していってやってるんじゃない!」


 ミカヅキは本を手にしたまま、鹿の使い魔と口げんかを始めた。

 そういえば、鹿を使い魔にするってよくあるのかな?


「仲良しさんなんですね!」 

「何言ってんの? 主人と使い魔が仲が良いのは当たり前でしょ」


 まあ確かにそうなのかもしれない。

 ミカヅキはまたベッドの上にドスンと腰を下ろすと、ロクサイはその足下に寄って行く。


「これ、基礎の魔術についての本。持ってっていいけど、読み終わってもう必要なくなったら戻しに来て」


 ベッドの上に本を置いて、ミカヅキが言った。

 そのまま鹿のブラッシングに戻りそうだったので、わたしは本を手に取らずにロクサイの側に立つ。


「あのさ、わたしもロクサイのブラッシングしていい?」

「あんた何言ってんの?」


 ミカヅキは奇妙なものでも見るように眉を寄せた。


「鹿のブラッシングって初めて見たから、わたしもやってみたくって」

「まあ、好奇心があるのは良いことだけど。あんた、変わってるね」


 ため息を吐いたミカヅキがブラシをこちらに差し出した。

 ゴワゴワとした動物の毛が植えてあって、たぶんイノシシか何かの毛なんじゃないかと思う。


「じゃあ、始めるよ」


 わたしはブラシを手に取ると、ロクサイに向かって言った。

 ロクサイは前を向いてビシッと身体を伸ばす。

 最初は軽く毛先だけブラシを当てる。

 首元から背中に欠けて、身体のラインに合わせてゆっくりとブラシを動かしていく。

 特に嫌がるそぶりは見せなかったので、毛先だけじゃなくて全体で梳かすようにする。

 おなかの横あたりにブラシを当てたとき、ロクサイがちらっとブラシを見たので手を止める。

 もしかしたら、ちょっと当たりが強かったかもしれない。

 少しだけ浅く、ゆっくりとブラッシングしていくと、ロクサイは心地よさそうに眼を細めた。


「ロクサイ。君、けっこう毛が抜けるね」

「換毛期だからね。そろそろ夏毛になるから」


 ミカヅキがわたしのブラッシングをじっと見ながら言う。


「もしかして、角も生え替わる時期ですか?」

「まあね。脱落したらしばらくはちょっと魔力は落ちるかな」

「そうなんですか?」

「角のある動物の使い魔はそこに魔力が貯まるからね」


 なんとなくだけど、ミカヅキはロクサイの話をする時はちょっと楽しそうだ。


「なるほど、勉強になります」

「あんたやっぱり変わってるよね」


 ミカヅキがあきれた感じで言う。


「そうですか?」

「普通、使い魔を連れてる魔法使いは、鹿の使い魔に興味なんて示さない」

「イナリは使い魔じゃありませんよ」


 自分の話題になったからか、首の周りに巻き付いていたイナリがちょっと顔を上げた。


「そんなわけないでしょ。だったらそいつは何なの」

「イナリは友達です」

「クルッ」


 うれしそうに鳴いて、イナリがわたしの顎下に頭をこすりつけてくる。

 ミカヅキはしばらくこちらをじっと見てから、ふいっと目線を外した。


「まあいいけど。あんた、変わり者枠か」

「変わり者枠?」

「ここに来る魔法使いは、傲慢でいけ好かないやつか、変わり者か、だいたいこの二つのどちらかだよ」


 ミカヅキがちょっと長めのため息をついた。


「そんなに変ですかね?」

「鹿の使い魔のブラッシングをしたがるやつなんて初めて見たし、まあ、今ここにいるのはみんな変わり者だけどね」

「こんなにかわいいのに」

「ムイッ」


 褒めたのがわかったのか、ロクサイがうれしそうに鳴いた。

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