山神の陽炎
森の向こうから湯煙があがり、ほのかに匂いが漂う。一度も噴火したのを見たこと無いが、ここには火山があり、昔から信仰されていたそうだ。
足元はごつごつした石となり、ときどき足を取られて転びそうになった。
村を出てから、ミオは口数が少なくなっていて、心の中で自分を責めているようだった。
なので、転んだ時も心ここにあらずだった。
手を取り、怪我をする前に助けた。
「ボーっとするなよ。危ないぞ」
「あ……うん」
山道では魔物以外にも毒蛇が出てくる。
名前の無い花を手折り、鮮やかな花束を作り、ミオから髪留めを取り、茎の根元を束ねた。
「はい。集中してね。集中するなら花束あげる」
分かりやすい女だな……夜明けのように顔が明るくなった。
「ありがとう! 嬉しい……」
まあ、道草の花だけどね。喜んでくれるなら、良いや。
午後の颪が花弁をさらった。貝紫色の花弁が、小さな梟のもとに落ちた。
「わあ、梟だ。可愛いなぁ」
「拾ってきたところに、捨ててきなさい」
ミオが手を伸ばすと、羽ばたいて手に乗ってきた。俺は周囲を見て、梟の巣が無いか探してみたが、何も見つからなかった。天敵である烏の気配も無い。
そして、人に慣れ過ぎている。
ミオの肩に乗ると、体を頬に寄せてきた。
「ねえねえ、飼っていい?」
「別に良いんじゃない」
俺の違和感はすぐに解決されることになる。
道は土混じりになり、緩やかな下り坂となる峠に、死体はあった。
旅人が肉体を穿たれて絶命している。
梟が亡骸に擦りより泣いていた。
「ミヤビの飼い主?」
ミオが独断で梟の名前をミヤビとつけていた。
地面に複雑な『雅』という文字を書いた。
「……古代文字か?」
「まあ、そういうところかな」なんて言っていた。
時間がかかったが、墓を作り、旅を再び始めた。
ふと、後ろを振り向くと、今は遠くなった峠のところに何かがいた。
「なにか。いるね」
「うん。いるな」
峠に煙があがり、何かが走ってきた。
「……あ、あれは……山の神っ! に、逃げて、滅茶苦茶足が速いよ!」
確かに速い……走るところに煙が出るし……何より顔が怖かった。岩で顔を形成しているが、サルの顔面を棒で殴打した痕のようだ。苔が生え、蔓が全身を覆っている。
俺はミオを担いで、坂道を駆け下りた。
「さすが、山の神、下り坂も速い!」
なにかミオが興奮しているが、あの化物に接近もされたくなかった。おそらく旅人が体を穿たれたのもアイツのせいだろう。
と思い、後ろを振り向くと、すでに最初見たときの半分まで距離を縮められていた。
「マジか! マジかマジか」
はえーよ、山の神。
俺も怪盗をやっていたから俊敏性には自信があったけど、これは……。
真後ろにいた。
俺はミオを上に投げて、短刀を両手に構えて、宙で回転した。
向かい合うと、俊敏性だけではないのが分かった。全身が筋肉の鎧で覆われていた。掴まれたら一捻りだろう。
大きな右腕が顔面に迫ってきた。
右短刀を逆手で刺し、山の神を中心に回転して背後に回った。左腕を首に回して締め上げ、右手を道の脇にある茨を掴んだ。掌が悲鳴を上げ、首と腕が破裂したような音をたてて、山の神は転がった。
「オズ! 大丈夫?」
「あんまりだな」
戦闘の興奮でそれほど痛くは無いが、終わって冷めてしまえば痛くなるだろう。
山の神は首を折ったかもしれないが、まだ蠢いていた。
俺たちは逃げ出すまえに山の神に短刀を刺したが、何度刺してもへらへらと笑うだけだった。寒気がして、今すぐ逃げろと足を駆り立てた。
両腕が痛い。
ミオが心配そうな表情を浮かべている。
ミヤビの鳴き声もうるさかった。
だが、幸運があった。
大きな崖を越える、桟橋がある。
揺れながら桟橋を越え、橋を越えてから縄を短刀で斬りつけた。
だが力が入らず、なかなか切れなかった。
ミオも必死で切ろうとしているが、切れなかった。
山の神が橋の向こうから砂煙を上げて走ってきた。
まずい。
まずいまずいまずい!
橋に足をかけた。
俺は短刀を歯で噛み、橋に倒れるように体重をかけて縄を断ち切った。
橋が崩壊して、縄が弾け、板がバラバラと粉砕、山の神も崖に落ちて、どしゃぶりのような音で川に落ちた。
傷で痛む手をミオが握ってくれた。
茨で血だらけになった手だ。
ぬるぬるとして、滑らかな手が心地よかった。
力任せに体を戻して、ミオの体に覆いかぶさってしまった。
口から短刀を離して、息を整えてから、ミオから離れようとした。
だけど抱きしめられていた。
また、ふざけているのかと思ったら、泣いていた。
「良かった。本当に死んじゃうかと思った」
ミオが泣き熄むまで、俺たちはしばらく休憩した。




