8.意外な救世主
アンナは一体どこに行ってしまったのだろう……?
セリの心はざわついた。傍らでアレクシスとエリオットは厳しい表情をしている。
この場所の存在を知っているのは、サロメの関係者と自分たちだけだったはずだ。だが、実行犯がこうして縛られているということは、この件を知っている者が他にもいるということだ。
一体、誰が?
一体、どこに?
アンナが攫われて、丸一日。攫われたその日の内に、サロメの元には成功の報告が入っている。男たちが襲われたのはその後ということだ。
サロメが動いた理由は、アナベルのためだった。
クリストフの婚約者になることを望んでいるアナベルにとって、突然現れたセリの存在は面白くないものだった。
グランフェルト王国で二大勢力を誇るバシュレ公爵の孫娘にあたるアナベルは、次期国王クリストフの婚約者候補筆頭だった。ライバル関係のデュアイン公爵家の血縁には年齢の見合った娘がいない。いるのは、いずれクリストフの片腕になるだろうと言われている長男のエリアスと、病弱でどこかで療養中だと言われていたエリオット。アナベルにとって脅威ではなかった。
それが、死んだと思われていたクリストフの双子の弟アレクシスが生きていた上に、エリオットも病弱さの欠片もなく共に学院に入って来た。その上、長年行方不明だったデュアイン公爵の姪が見つかったという。しかも、公爵自らが後見人となり、王宮学院にやって来たのだ。新たな婚約者候補として。
所詮は庶民だと相手にしていなかったアナベルだったが、セリは初めからアレクシスやエリオットと親しく話していた。自然と、クリストフもその輪に加わる。学院でクリストフと更に親しくなろうと思っていたアナベルの考えは打ち砕かれ、徐々に焦り始めた。
「アナベル様の方がすべてにおいて優れておりますわ。きっとクリストフ殿下は照れてらっしゃるのですわ」
そう話すロクサーヌに、はじめサロメは同調しただけだった。
「それに、クリストフ殿下はお優しい方ですから、庶民出身という立場を憐れんでお声をかけてさしあげてるだけですわ。あの娘がいなければ、そんなお気遣いもされずに済みますのに……」
「――いなければ……。そうね、サロメ。あの娘がいなかったら、すべては丸く収まりますのにね」
「え……アナベル様……それはどういう……」
「あなたのお父様のこと、おじい様に口添えして差し上げてもよろしくてよ?」
それは事実上の命令だった。
サロメの家、ラシュレー侯爵家は、バシュレ公の領地があるラングドンにあった。こうして父の名が出た以上、この命令に背けばサロメの家は危ない。サロメはやるしかなかったのだ。
この計画を、サロメがいつから立てていたかはわからないが、誰かに話しているとは考えにくかった。
気を失っている犯人をアンリに任せ、三人はシュヴァリエ家に戻ることにした。何の手がかりも得られず、帰り道を歩く足取りは重い。
「アンナ……どうしよう。サロメは何か知ってるかしら?」
「いや……それは考えられないな」
だが、シュヴァリエ家では意外な人物が三人を待ち構えていた。
「よぉ」
「コニーおじさん? それにマリアまで……」
引っ越してからというもの、めっきり会うことが少なくなったコニーと、まだ仕事中であるはずのマリアがそこにいたのだ。
「どうしたの? 仕事中じゃないの? また何かあったの?」
昨日の今日で二人揃ってシュヴァリエ家に現れたことを思うと、嫌な予感しかなかった。
「アンナが見つかったんだ」
「えっ?」
「今、家に送り届けてきたところさ。少し疲れておなかを空かせているけど、怪我もないよ」
「――失礼。一体どういうことですか? 僕たちはたった今、アンナが囚われていたという場所に行ってきたところなんです。でも、アンナはいなくて、いたのは怪我を負い気を失った犯人と思われる男たちだけでした」
「ん? ああ、そいつらは俺がとっちめたんだ」
「コニーおじさんが!?」
「おう」
「詳しく、聞かせてもらえますか」
アンナが無事だった――!
セリは安堵で涙が溢れてきた。サロメの手下以外にも、姿の見えない敵がいてこちらの様子が透けて見られているようで恐ろしくて仕方がなかった。
それが、コニーが潜伏先を見つけてアンナを救い出したと言う。
怪我はないと聞いたが、アンナの無事をこの目で確かめたい。だが、今はその時ではないとわかっていた。一体なぜコニーがあの場所を探り当てたのか聞かなければならない。セリは袖で乱暴に涙をぬぐうと、まっすぐコニーを見た。
「なに、簡単さ。実はテオが仕事を辞めてから、俺も別の仕事を探していたんだ。護衛の仕事は単独では雇われにくいからな。そこで、マリアに店に用心棒が必要じゃないかって交渉してたんだよ」
「実は、ここのところこの界隈も道路の整備や空き家の管理の手が入ってね。下層階級の連中にゃそれが困るやつらもいる。それでちょっとばかし、いざこざが多くなってたのさ。それで、コニーをお試しで雇ってみたってわけだ」
そうは言っても、一日に配達する量は多い。王都の丘全域に渡って何人もの配達人が散らばるのを、どうやってコニー1人で用心棒をするというのだろう。
「俺はその日の配達のリストを毎朝マリアから受け取っていた。勿論、誰が担当するかもだ。俺はいくつか目星をつけて、見回りをした。配達場所が点在してても、通る道や休憩に使いそうな広場なんてたかが知れてるしな。目的地が分かってりゃ目星はつけれる」
アンナが戻って来ていないと昨晩マリアから聞かされたコニーは、急いでアンナの配達先に向かった。運よく、夕方近くに大通りを歩くアンナを確認していた。その場所と時間からアンナが持っているであろう配達物の量と行き先を照らし合わせて探したのだという。すると、2件未配達だった。運よくその2件は同じ通りにあったため、その周辺に絞り捜索していると、夜遅くに、空き家から出てくる黒づくめの男を発見した。
「それって……」
「ああ。どこかに報告に行ったようだった。すぐに戻ってくる危険性もあったから、隠れて様子を伺っていたら、男はすぐに戻ってきた。その時、開いた扉から別の男の声がした。それで敵が二人組だって分かったんだ。二人組なら、なんとかなりそうだったから、翌日動きがあるまでそこで張ってた」
「そうだったの……」
良かった……本当に良かった……! 話を聞き終わってようやくホッと胸をなで下ろしたセリの頭を、コニーが大きな手で優しく撫でた。
「ごめんな。怖かったろう。すぐに知らせられりゃ良かったんだが、夜中に場所を変えられたらたまったもんじゃねえからさ。俺もその場を動けなかったんだよ」
「ううん! 私こそ、アンナに抜け道なんて教えたからいけなかったんだわ。アンナが空き家に抵抗なく入ったのなら、それは私のせいだもん」
昨晩の内に、抜け道の目印の存在をセリから聞いていたマリアは大きなため息をついた。
セリがそんなことをしていたとは知らず、よく今まで何もなかったものだと思っていたのだ。
「ああ、それな。マリアから聞いたよ。あのな、誰が潜んでるかわからねえ場所に飛び込んで、今まで何もなかったってのが奇跡だ。これからはやったらダメだ。お前は、誰よりも道に詳しくてすばしっこいかもしれねえが、だからって戦いに慣れてる男の敵じゃねえ。いいな?」
セリはコニーの言葉に、神妙な顔つきで頷いた。
今度アンナに会ったら、直接謝らなければ……。だがひとまずは、解決したことに安堵していた。
「てなわけで、マリア。俺はこれで正式採用だろう?」
「ったく……仕方ない。確かに今回は助かったからね。じゃあ、うちで雇ってやるよ」
コニーはこの機会を逃すまいとマリアに交渉し、正式採用の約束をもぎ取った。
そのやり取りに思わず、セリから笑みがこぼれた。
「いやー。今回のことは大変だったが、誰も怪我はねえし、悪いやつの元締めも分かったし、俺の就職も決まったし、結果的にはいい方に転んだんじゃねぇか? なあ?」
「コニーおじさんったら……! アンナはひどい目にあったのよ?」
「悪い悪い。だがな、そこから良かったことを見つけにゃ。セリちゃんだって、今回の件で学んだことだってあるだろ」
「……うん」
ちょっと道に詳しいから、ちょっと配達が速いから。それだけで随分調子に乗っていたと思う。セリは深く反省していた。
結果的に、それがアンナを危険な目にあわせたのだ。
素直にそう言うと、コニーが優しく目を細めてまたセリの頭を撫でた。
「分かったらいいんだよ。これからは、無理はしねぇな? 約束できるか?」
「うん。約束するわ」
「よし、いい子だ」
「じゃあ、あたしとコニーはこれからもう一度アンナの家に向かうよ。ご両親も戻ってるだろうしね。あぁ、あんたはここにいるんだ。ここからは雇い主であるあたしの仕事だからね」
「……はい」
アレクシスとエリオットも、屋敷に戻ることにした。
今回の件をデュアイン公爵に報告しなければならない。サロメにはああ言ったが、人違いとはいえ何の関係もない少女を巻き込んだのだ。それにアナベルの言葉がきっかけとあっては、耳に入れないわけにはいかないだろう。
シュヴァリエ家を出た2人が路地を曲がると、そこに音もなく現れたのはサジだった。
「どうだった」
「アンナという少女は、無事です。それと、サロメは退学手続きをしました。急病で領地で静養すると」
「ふん、早いな」
「ええ……」
珍しく歯切れが悪いサジにアレクシスが気づいた。
何か言いたそうにしているが、それを迷っているようだった。
「どうした。他に何かあるのか?」
「……今、ここを出ていった男です」
「ああ。コニーとかいう大男だね。前はアンリと組んで護衛や雇われ兵士の仕事をしていた人間らしいよ。今回アンナを助けたのは彼だ。『ことり』の用心棒らしいけど」
「――彼がどうかしたのか?」
サジは少し逡巡したのち、言葉にした。
「あの男は……俺と同じ匂いがします」
* * *
その夜、コニーは音も立てず足早に細い路地を歩いていた。
その顔にいつもの人好きのする笑顔はなく、普段は誰よりも目立つ大きな体を闇に溶け込ませ気配すらも完璧に消している。
少し歩くと、コニーは一軒の建物の前で止まり、裏に回り込むと蔦で隠れた隠し扉から中に入った。
一つしかないランプの揺らめく灯りの中、コニーを迎えたのは1人の男だった。
「少女は無事です。家に連れ帰る途中気が付きましたが、どうやら薬で眠らされていたようです」
男の言葉も待たず、コニーが話し出す。
「薬は……たぶん、これではないかと。男の一人が上着のポケットに小瓶を入れておりました」
「中身は」
「数滴しか……」
「充分だ」
言葉少なに答えると、男はコニーから小瓶を受け取った。




