第7話:崩れ去る壁と、黒い煙の街
「ゴホッ、ゴホッ……! レイラ、怪我はない!? どこも痛くない!?」
白く渦巻く土埃の中で、母さんが必死に私の体を確かめていた。
震える手で私の頬を撫で、腕を確かめ、血が出ていないのを見ると、母さんは「よかった……神様、ありがとうございます……」と涙をこぼしながら私の頭を何度も抱きしめた。
「お母さん……こわいよ……お家が、お家が壊れちゃったよぁっ……!」
私は母さんの服にしがみつき、声を上げて泣きじゃくった。
さっきまで私たちが笑い合っていた部屋は、影も形もなくなっていた。テラスのガラスは粉々に砕け散り、粘土と石でできた壁には大きな亀裂が走り、天井からは絶え間なく砂粒がパラパラと落ちてくる。お父さんの手紙も、日本の桜の写真も、破れた私の絵も、すべてが白い土埃の下に埋もれてしまっていた。
「大丈夫よ、レイラ。泣かないで、大丈夫……!」
母さんは私を元気づけようと必死に微笑もうとしたけれど、その顔は恐怖で青ざめ、唇はガタガタと震えていた。
外からは、恐ろしい音が絶え間なく響いてくる。
空を切り裂くような重低音。地響きとともに近くの建物が崩れ落ちる重い音。そして、腹に響くような「ダダダダダッ!」という不気味な連射音。
「逃げるわよ、レイラ。ここもいつ崩れるか分からないわ」
母さんは私を抱き上げると、壊れた扉を押し開けて外へ飛び出した。
外の景色を見た瞬間、私は自分の目を疑った。
そこは、私の知っている大好きなアレッポの街ではなかった。
青く澄んでいた空は、真っ黒な巨大な煙の柱で覆い尽くされ、太陽の光さえもどんよりと赤黒く濁っていた。迷路のように続いていた古い街並みは崩れ落ち、瓦礫の山と化している。風に乗って運ばれてくるのは、オリーブや香辛料の甘い匂いではなく、焦げ臭い火災の匂いと、生臭い血の匂いだった。
「助けてくれ! 誰か、子供が埋まっているんだ!」
「行っちゃダメだ! あっちから銃撃が来ているぞ!」
路上は混乱の極みにあった。着の身着のままで逃げ惑う人々、血を流して倒れている人、瓦礫に手を突っ込んで家族の名前を叫び続ける人。
「レイラ、私から絶対に離れちゃダメよ! 手をギュッと握っていて!」
「うん……っ! うんっ!」
私は母さんの手を、爪が食い込むほど強く握りしめた。母さんの手のぬくもりだけが、狂ってしまった世界の中で私を繋ぎ止める唯一の命綱だった。
私たちは瓦礫を避けながら、人々が逃げていく南の方向へ走った。
履き慣れたサンダルが瓦礫に引っかかり、何度も転びそうになる。そのたびに母さんが私を強く引き上げてくれた。
バザールの入口近くまで差し掛かった時、私は崩れた建物のかたわらに見覚えのある木べらが転がっているのを目にした。
「あ……アブドゥラおじさん……?」
パン屋があった場所は、跡形もなく押しつぶされていた。
倒れた柱の影に、真っ白だったエプロンを赤く染めた人が横たわっている。動きはない。いつも私に「甘いパンを持っていきな!」と豪快に笑ってくれたあのおじさんの姿が、そこにあった。
「見ちゃダメ、レイラ! 前だけを見て!」
母さんが私の目を遮るように抱き寄せ、走る速度を上げた。
「嫌だ……嫌だよぉっ! おじさん! お母さん、おじさんが……っ!」
「お願いだから前を見て! レイラ、走りなさい!」
母さんの叫び声に混じる涙の音。
私の頭の中で、何かが音を立てて千切れかけていた。
昨日の平和はどこへ行ったの?
お父さんが帰ってきたらピクニックに行く約束は?
アブドゥラおじさんの甘いパンは?
夢の中の「日本の大人の男」が知っていた、冷たくて残酷な現実。
「戦争」という言葉の意味が、暴力という圧倒的な形をとって、八歳の私の心を踏みにじっていく。
(お父さん……助けて……! お父さんっ……!)
遠い日本にいるお父さんの顔を思い浮かべながら、私は母さんの手につかまり、必死で泥と瓦礫の街を駆け抜けた。
しかし、戦火の牙は、逃げる私たちを嘲笑うかのように、すぐ後ろまで迫っていた。




