閑話:小さなてのひら、変わらない光
神様、どうかこの子から、あの暗い影を取り払ってください。
レイラがすやすやと小さな寝息を立てる横で、私は膝の上で折りたたんだ夫からの手紙を抱きしめながら、静かに祈りを捧げていた。
日本の桜の写真。夫が「いつか三人で見ようね」と送ってくれたその一枚を、レイラは毎日毎日、すり切れるほど眺めている。八歳になったばかりの私の可愛い娘。大きな黒い瞳と、オリーブの木のようにしなやかな髪を持つ、私自慢の宝物。
けれど、この数ヶ月、私は時折、レイラの瞳の中に「見知らぬ誰か」の影を感じて、胸が締め付けられるような恐怖を覚えていた。
——レイラは時々、大人のような目をするのだ。
八歳の子供が絶対にしそうにない、冷めて深く、どこか遠くを諦めたような目。
小さな手で一生懸命に絵を描いている時や、私に甘えて抱きついてくるときは、間違いなく私の愛しいレイラだ。けれど、ふとした瞬間に窓の外を見つめる横顔は、まるで何十年も過酷な人生を生きてきた大人の男の人のように哀愁を帯びている。
「お母さん……ここ、危ないよ」
ある日、バザールへ買い物に行く途中で、レイラが急に私の服の裾を引いて立ち止まったことがあった。いつもなら通り過ぎる路地の手前で、レイラはまるでそこに何があるか分かっているかのように、私を別の道へと引っ張ったのだ。その直後、避けたはずの路地で大きな崩落事故があったと聞いて、私は背筋が寒くなった。
あの子は、時々予言のようなことを言う。
うなされながら呟くのは、聞いたこともない東の国の言葉や、大人でも知らないような難しい言葉。
(あの子の頭の中で、何が起きているのだろう……)
怖かった。私の中からレイラがいなくなってしまうのではないかと、夜も眠れないほど恐ろしかった。
けれど、あの子が「頭が痛い」と涙を浮かべて私の胸に飛び込んでくるとき、私は心に誓ったのだ。
あの子が誰であろうと、どんな奇妙な記憶を持っていようと、レイラは私が命をかけて産んだ娘だ。
どんな影があの子を呑み込もうとしても、私がこの手でしっかりと抱きしめて、守り抜いてみせる。
あの日——家が崩れ去り、爆風と土埃の中に放り出された時、私の頭にあったのはそれだけだった。
「お母さん……こわいよ……!」
泣きじゃくるレイラの小さな手を握りしめた時、私は悟った。
あの子がどれほど不思議な知恵を見せようと、どれほど大人びた目を選ぼうと、私を求める温度は、間違いなく私の愛しい娘のものだということを。
「逃げるわよ、レイラ。ここもいつ崩れるか分からないわ」
飛び出した街は、地獄と化していた。
甘い香辛料の匂いがした街並みは煙に包まれ、人々は血を流して倒れている。恐怖で足がすくみそうになる私を引っ張ったのは、皮肉にもレイラのあの「大人びた声」だった。
「お母さん! 立ち上がって! あっちのタンクの裏へ走るの!!」
その声を聞いた瞬間、私はすべてを理解した。
レイラの中にいる「もう一つの意識」は、あの子を壊すための悪魔などではない。レイラを、そして私を救うために、神様があの子に授けてくださった「盾」なのだと。
あの子は、必死で私を守ろうとしてくれていた。
八歳の小さな体で、前世なのか夢なのかも分からない巨大な知識の重みに耐えながら、泥まみれになって私の手を引っ張ってくれていた。
(ごめんね、レイラ……。情けないお母さんで、ごめんね……)
暗渠の冷たい泥水の中で、ナツメヤシを一口かじるあの子の横顔を見つめながら、私は心の中で泣いていた。本当なら、私がすべてから守ってあげなければいけないのに。あの子にこんな恐ろしい思いをさせず、ただ笑わせてあげたかったのに。
爆風が吹き荒れ、視界が白く染まったあの一瞬。
迫りくる死の衝撃の中で、私は最後の力を振り絞ってレイラを抱きすくめた。
背中に突き刺さる熱い激痛。胸から溢れ出る血の感触。
死が私の意識を奪おうと滑り込んでくる中で、私は冷たくなっていく手で、あの子の頬に触れた。
言葉が出ない。目も見えなくなっていく。
けれど、私の心は不思議なほど穏やかだった。
(ああ……神様……感謝いたします……)
レイラは生きている。私の腕の中で、あんなにも激しく心臓を脈打たせている。
あの子の中には、素晴らしい知恵がある。どんな絶望の淵でも生き残れる、強い意志がある。
私がいなくなっても、あの強い「大人」の心と、心優しい「レイラ」の心が合わされば、あの子はきっとこの暗闇を突き破っていける。
(レイラ……私の愛しい子……)
悲しまないで。自分を責めないで。
あなたの本当の家族は、日本の遠い街にいるお父さんと、あなたを愛した私だけ。
どんなに世界が狂ってしまっても、あなたの魂は、美しく清らかなままよ。
生きなさい、レイラ。
生き抜いて、いつかあのきれいな日本の桜を、お父さんと一緒に見に行くのよ。
私の命のすべてを、あなたにあげるから。
遠ざかる意識の底で、私は冷たくなっていく自分の手で、愛娘のあたたかな手を、最後に一度だけ、心の中で強く強く抱きしめた。




