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第15話 再構築の証明

第15話 再構築の証明


 春の風が市場を吹き抜けていた。


 バルツァー商会の不正が暴かれてから二週間。


 街の空気は明らかに変わっていた。


「アルフレッド!」


「この前は助かったぞ!」


「茶葉もう一袋くれ!」


 市場を歩くだけで声を掛けられる。


 以前なら考えられないことだった。


 ガストン商店は今まで以上に繁盛していた。


 焼きたてのパンの香り。


 香辛料の匂い。


 人々の笑い声。


 活気があった。


 だが。


 アルフレッドの心はどこか落ち着かなかった。


 理由は分かっている。


 リーゼロッテだった。


 バルツァー商会の件以来、彼女はまだこの街に滞在している。


 視察のため。


 そして不正調査のため。


 何度か遠くから姿を見た。


 だが話してはいない。


 逃げていた。


 認めたくなかったが、その通りだった。


 その日の昼。


 ガストン商店の裏庭だった。


 昼食は鶏肉と白豆の煮込み。


 香草入りのソーセージ。


 焼きたての丸パン。


 甘く煮た林檎。


 アルフレッドはスープを口へ運ぶ。


 温かい。


 だが味がよく分からない。


「まずいか」


 ガストンが聞く。


「うまい」


「なら何だ」


 アルフレッドはパンを千切る。


「会うべきだと思うか」


 ガストンは即答した。


「ああ」


「だろうな」


「逃げるのか」


「分からん」


 ガストンはスープを飲む。


 少し考える。


「謝りたいんだろ」


「……ああ」


「じゃあ行け」


 それだけだった。


 だが十分だった。


 夕方。


 リーゼロッテは市庁舎近くの庭園にいた。


 春の花が咲いている。


 白い花。


 青い花。


 赤い花。


 夕陽が柔らかく差し込んでいた。


 リーゼロッテは淡い紺色のドレスを着ていた。


 以前より落ち着いた色だ。


 髪は丁寧に結い上げられている。


 その姿は相変わらず美しかった。


 いや。


 以前より美しかった。


 自信と責任が人を美しくするのだと初めて知った。


 アルフレッドは立ち止まる。


 逃げ出したくなる。


 胃が痛い。


 心臓もうるさい。


 だが。


 逃げなかった。


「リーゼロッテ」


 声を掛ける。


 彼女が振り返った。


 一瞬だけ驚く。


 だがすぐに落ち着いた表情へ戻った。


「アルフレッド殿下」


「その呼び方はやめてくれ」


 苦笑する。


「もう殿下じゃない」


「そうでしたね」


 静かな声だった。


 気まずい沈黙が流れる。


 遠くで鳥が鳴いた。


 風が花を揺らす。


 アルフレッドは拳を握った。


 そして。


 頭を下げた。


 深く。


 本当に深く。


 額が地面につきそうなほど。


 リーゼロッテが目を見開く。


「アルフレッド?」


「すまなかった」


 声が震えた。


「本当にすまなかった」


 止まらなかった。


「俺は馬鹿だった」


「……」


「傲慢だった」


「……」


「お前のことを何も見ていなかった」


 胸が痛い。


 だが続ける。


「働いていたのはお前だった」


「……」


「国を支えていたのもお前だった」


「……」


「俺は全部見下していた」


 風が吹く。


 花びらが舞った。


「婚約破棄も」


「……」


「侮辱も」


「……」


「全部俺が悪かった」


 アルフレッドは顔を上げない。


 許されるとは思っていない。


 許してほしいとも思わない。


 ただ。


 伝えたかった。


 本当のことを。


 長い沈黙が流れた。


 やがて。


 リーゼロッテが静かに言った。


「顔を上げてください」


 アルフレッドはゆっくり顔を上げる。


 リーゼロッテは彼を見ていた。


 真っ直ぐに。


 昔と同じ青い瞳だった。


 だが表情は違う。


 どこか優しかった。


「驚きました」


「……」


「あなたが謝るなんて」


 苦笑する。


 アルフレッドも少し笑った。


「俺も驚いている」


「でしょうね」


 二人とも少し笑う。


 昔ならあり得なかった。


 リーゼロッテは静かに言った。


「私はあなたを憎んでいました」


 アルフレッドは頷く。


「当然だ」


「ですが」


 彼女は続ける。


「今は違います」


「……」


「市場で見ました」


「何を」


「働いている姿を」


 アルフレッドは黙る。


「荷物を運んでいましたね」


「見られてたのか」


「ええ」


「最悪だ」


 リーゼロッテが笑った。


 本当に久しぶりだった。


 昔はほとんど見たことのない笑顔だった。


「帳簿も整理していました」


「……」


「人の話も聞いていました」


「……」


「以前のあなたなら絶対にしなかった」


 アルフレッドは言葉を失う。


 リーゼロッテは一歩近づいた。


「人は変われるんですね」


 その言葉に。


 胸が熱くなった。


「俺はまだ途中だ」


「でしょうね」


「掃除も下手だ」


「知りませんでした」


「荷物も重い」


「それも知りませんでした」


 二人とも笑う。


 夕陽が二人を照らしていた。


 リーゼロッテは手を差し出す。


 白く細い手だった。


「アルフレッド」


「何だ」


「今後、茶葉の取引をお願いできますか」


 アルフレッドは目を瞬く。


「商売の話か」


「商人ですから」


「そうだな」


 思わず笑う。


 王族と公爵令嬢ではない。


 婚約者でもない。


 もっと違う関係だった。


 アルフレッドはその手を握った。


「喜んで」


 握手だった。


 対等な。


 本当に対等な。


 初めての握手だった。


 夕陽が沈んでいく。


 過去は消えない。


 失敗も消えない。


 だが。


 人はそこから何かを作り直せる。


 その証明が。


 今。


 二人の握った手の中にあった。



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