第1話 栄華の終わりと底辺への転落
第1話 栄華の終わりと底辺への転落
王都グランベルの夜は、宝石箱をひっくり返したように輝いていた。
王宮の大広間には巨大なシャンデリアが幾重にも吊り下げられ、数千本の蝋燭の光が金箔の壁を照らしている。
楽団の奏でる優雅な音楽。
磨き上げられた大理石の床。
香水と花の香り。
そして豪華な料理。
銀の大皿には仔牛のロースト。
蜂蜜と香草で焼き上げた鴨肉。
海から運ばれた巨大な海老。
色鮮やかな果実のタルト。
第一王子アルフレッドは、その光景を当然のものとして眺めていた。
深紅の礼装には金糸の刺繍。
胸には王家の紋章。
磨かれた革靴は鏡のように光っている。
自分こそが、この国の未来。
自分こそが、この夜会の主役。
本気でそう思っていた。
だから何も疑わなかった。
自分が転ぶなど。
考えたこともなかった。
「アルフレッド殿下」
隣で金髪の令嬢が甘えるような声を出した。
最近お気に入りの侯爵令嬢だった。
アルフレッドは彼女の腰を抱く。
「どうした?」
「今夜こそ発表なさるのでしょう?」
アルフレッドは笑った。
もちろんだ。
今夜こそ、この退屈な婚約に終止符を打つ。
真面目で堅苦しくて面白みのない婚約者。
リーゼロッテ。
公爵家の娘。
優秀だが可愛げがない女。
そう思っていた。
アルフレッドはワイングラスを持ち上げる。
「皆の者!」
大広間が静まった。
視線が集まる。
その感覚がたまらなく好きだった。
「今夜、私は皆に報告がある」
ざわめきが広がる。
アルフレッドはゆっくりリーゼロッテを見る。
彼女は淡い青色のドレスを着ていた。
月光のような銀髪。
背筋は真っ直ぐ。
美しい。
だが今のアルフレッドには、それすら鼻についた。
「リーゼロッテ公爵令嬢」
「はい」
落ち着いた声だった。
「私は君との婚約を破棄する」
会場がざわついた。
貴族たちが顔を見合わせる。
アルフレッドは満足した。
そうだ。
驚け。
もっと驚け。
「理由は三つ」
アルフレッドは指を立てる。
「まず、君には愛嬌がない」
ざわめき。
「次に、王妃としての華が足りない」
ざわめき。
「そして最後に――私に相応しくない」
言い切った。
完璧だった。
そう思った。
だが。
リーゼロッテは泣かなかった。
取り乱しもしなかった。
ただ静かに微笑んだ。
それが妙に不気味だった。
「お話は以上でしょうか」
「何だ?」
「では次は私の番ですね」
彼女は一歩前へ出る。
その姿は裁判官のようだった。
「皆さま。本来なら公表するつもりはありませんでした」
そう言って一冊の帳簿を掲げた。
アルフレッドの胸が妙にざわつく。
「ですが殿下が婚約破棄を望まれるのであれば、お話しなければなりません」
「何を言っている」
「公金横領です」
空気が凍った。
アルフレッドは笑った。
「馬鹿な」
「三年間で金貨二万八千枚」
リーゼロッテの声は静かだった。
「王都競馬場」
「高級娼館」
「宝石店」
「そして愛人への贈与」
次々と証拠書類が並べられる。
王国財務官が顔を青くする。
大臣たちがざわめく。
国王の顔色が変わった。
「嘘だ!」
アルフレッドは叫んだ。
「捏造だ!」
「全て殿下の署名入りです」
リーゼロッテは冷静だった。
「監査記録もあります」
「違う!」
「違いません」
その一言が刃だった。
アルフレッドは初めて気付く。
この女は知っていた。
全部知っていた。
そして今日まで待っていた。
「父上!」
国王を見る。
助けてくれると思った。
王子なのだから。
未来の国王なのだから。
だが国王の目は冷たかった。
「アルフレッド」
「父上!」
「余は失望した」
膝が震えた。
「本日をもって第一王子アルフレッドの王位継承権を剥奪する」
会場が騒然となる。
「さらに公金横領の罪により国外追放とする」
耳がおかしくなった。
何を言われているのか分からない。
「待ってください!」
アルフレッドは叫ぶ。
「私は王子です!」
「違う」
国王は言った。
「お前は王子だった」
その瞬間。
世界が崩れた。
数時間後。
アルフレッドは城門の外に立っていた。
荷物は小さな鞄ひとつ。
護衛もいない。
馬車もない。
豪華な礼装は没収された。
今着ているのは質素な旅装だけ。
夜風が冷たい。
王都の灯りが遠くで揺れている。
つい昨日まで自分のものだった世界。
だが門は閉じられた。
重い音を立てて。
完全に。
アルフレッドは呆然と立ち尽くす。
帰る場所はない。
迎える者もいない。
王子ではなくなった。
ただの男になった。
夜空を見上げる。
星が瞬いていた。
王宮の中では見えなかった星だ。
冷たい風が吹く。
アルフレッドは初めて知った。
転ぶことを。
失うことを。
終わりを。
だが。
この時の彼はまだ知らなかった。
転んだら終わりではない。
本当に終わるのは。
立ち上がることを諦めた時なのだと。




