【第7話:四十五万円の輝きと、コンプライアンス遵守の女子高生たち。】
「……ゼロよ」
「は? 何が?」
「ゼロ。ナッシング。無よ。……エゴサ結果、あの指輪に関するツイート、一件も引っかからないわ」
ブライダル企業『エターナル・ブライズ』本社ビルに向かう、ギュウギュウの満員電車の中。
私は吊り革に掴まりながら、スマホの画面を血走った目で見つめていた。
「えっ、嘘でしょ!? あのJKたち、絶対帰り道に『ルミアンが指輪買ってた尊い無理!』って呟く流れだったじゃない!」
「呟いてないのよ! 『#ルミアン』『#指輪』『#遭遇』どんなワードで検索しても、昨日から一切新しい情報が出てこない! あの子たち……『誰にも言わないでね』っていう私の言葉を、文字通り律義に守り抜いてやがるのよ!!」
私はスマホを握りしめながら、心の中で絶叫した。
なんだ今の若い子は。ネットリテラシーが高すぎるだろ。コンプライアンス意識がしっかりしすぎている。推しの言葉は絶対か。素晴らしいファンだ、感動で涙が出そうだ。
……出たのは血の涙だけどな!!
「ふざけんじゃないわよ! 私の四十五万円!! あれはSNSで拡散されて『企業への最高のアリバイ』になるための先行投資だったのに! ただの自腹じゃん!!」
「ちょっと声デカい! 周り見られてるから! 王子様スマイルキープして!」
百合亜に脇腹をつねられ、私はハッと我に返った。
そうだ、今日は大企業との初顔合わせだ。私たちは「清楚で誠実なカップル」を演じるため、なけなしの金で買った小綺麗なジャケットとブラウスを着ている。通気性が悪くてすでに背中が汗ばんでいるし、履き慣れないパンプスのせいで足の小指が痛い。
「……いい? SNSでの匂わせは失敗したけど、まだリカバリーは効くわ。今日の打ち合わせで、この指輪を嫌味なくチラつかせるのよ。担当者の口から『素敵な指輪ですね、ご婚約ですか?』って言葉を引き出せば、こっちの勝ちよ」
「任せて。私の計算し尽くされた左手の配置で、お偉いさんたちの視線を釘付けにしてやるわ」
私たちは、ポケットに忍ばせた四十五万円の「重み」を確かめ合いながら、決戦の地へと足を踏み入れた。
——そして三十分後。
東京都心の一等地にある、エターナル・ブライズ本社の応接室。
ガンガンに冷房の効いた室内は、私たちの汗ばんだ背中を急速に冷やしていく。大理石のテーブルに、座るとお尻が沈み込むふかふかの革張りソファ。出されたお茶はペットボトルではなく、見たこともない高級そうなガラスの器に入った冷茶だった。
「本日はお越しいただき、誠にありがとうございます。プロモーション担当の佐伯と申します」
現れたのは、ビシッとしたスーツを着こなす、三十代半ばのやり手そうな女性担当者だった。手元のタブレットを操作する指先の動きに無駄がない。鋭い眼光は、完全に「数字を追うビジネスパーソン」のそれだ。
(……来るわよ、百合亜。セットオン!)
(了解!)
私たちはソファに浅く腰掛け、佐伯さんの前に、これ見よがしに「左手」を揃えてテーブルの上に乗せた。
窓からの光を反射して、四万五千円の18金とダイヤが、キラリと極上の輝きを放つ。さあ、見ろ。これが給料三ヶ月分(大嘘)の永遠の愛だ!
「早速ですが、今回の起用理由についてご説明いたします。現在、弊社では——」
佐伯さんが企画書を読み上げようとした、その時だった。
ふと、佐伯さんの視線が落ちた。
テーブルの上で、これでもかと自己主張をしている私たちの左手に、佐伯さんの目がピタリと止まったのだ。
(……っ! 見た!)
(今、完全に見たわよね!!)
私と百合亜は、息を呑んで硬直した。
佐伯さんの視線が、確かに18金の輝きと小さなダイヤを捉えている。
静寂が落ちる。一秒が永遠のように長く感じられた。
さあ、言え。「あら、それはもしかして……」「お揃いの指輪、素敵ですね」。
どんな言葉でもいい。私たちが「ガチのカップル」であるという証拠を、その口で確定させてくれ!
佐伯さんは、ジッと私たちの指輪を三秒ほど見つめ——そして、顔を上げた。
「——『多様な愛の形』をテーマにした新規プロジェクトを進めておりまして。お二人のSNSでのエンゲージメント率が、弊社のターゲット層と完全に合致いたしました」
……は?
(スルー!? 今、完全にガン見したのに!? 一文字も触れないの!?)
私は動揺のあまり、変な声が出そうになった。
隣の百合亜も、ピクピクと頬を引きつらせている。
「あの、佐伯さん」
「はい、何でしょう一ノ瀬様」
「その……今回の撮影のコンセプトは、やっぱり『永遠の誓い』みたいなものがテーマになるんでしょうか? 私たちも、その……色々と覚悟を決めているというか……」
私は諦めきれず、左手でわざとらしく右肩を揉みながら、あざとく微笑んだ。手元が佐伯さんの目の前を横切る。キラリ。どうだ!
「おっしゃる通りです。コンバージョン率を高めるためにも、ストーリー性が重要になります。後ほど詳細な香盤表をお渡ししますが、納品していただく素材は動画広告用も含めて……」
ダメだ。この人、数字とスケジュールにしか興味がない。
他人のプライベートな指輪なんて、「ああ、なんか光る金属つけてるな」くらいの認識なのだろう。
その後も、私は「左手でグラスの水を飲む」「左手で前髪を直す」「意味もなく左手で相方の肩を叩く」など、考えうる限りの指輪アピールを試みた。隣では百合亜も、不自然なほど左手をヒラヒラさせている。
しかし、佐伯さんは終始一貫して「数字」「リーチ数」「ブランドイメージ」の話しかせず、私たちの過剰なアピールを鉄壁のスルー力で弾き返し続けた。
しまいには、「一ノ瀬様、先ほどからお顔や肩をやたらと触られていますが、アレルギーか何かで肌が痒いのでしょうか? 撮影で肌荒れは修正にコストがかかるので、事前に皮膚科を受診されることをお勧めします」と、真顔で心配される始末だった。
——一時間後。
無事に契約書にサインを交わし、私たちは本社ビルを出た。
真夏の太陽が、コンクリートの照り返しと共に私たちを焼き付ける。
「……終わったわね」
「……ええ。終わったわ」
百合亜が、手元の分厚い契約書をパラパラとめくった。
ギャランティの欄には、事前に提示された通りの、目が飛び出るようなゼロの羅列が記載されている。仕事としては大成功だ。大勝利と言っていい。
しかし。
私たちは、揃って自分の左手を見つめた。
太陽の下でも無駄に綺麗に輝いている、18金と小さなダイヤ。
「……あのさ、恋乃葉」
「……言わないで」
「もしかして、この四十五万円……」
「言わないで!!」
私は頭を抱えて、その場にしゃがみ込んだ。
大企業の人間は、タレントのプライベートの指輪なんていちいち詮索しない。見ていたとしても、「へえ」で終わりだ。彼らが見ているのは「数字の取れる広告塔かどうか」だけ。
「ただ純粋に……四十五万円が、私の口座から消滅しただけだった……っ!!」
「あはは……。まあ、ほら。自腹で買ったただのペアリングだと思えば……」
「誰がアンタとお揃いの指輪に四十五万円も出すか!! むしり取ってフリマアプリで売ってやる!!」
私は左手の指輪を引っこ抜こうとしたが、緊張でかいた汗が張り付いてなかなか抜けない。
都会のど真ん中で、私たちは指輪をめぐって醜い引っ張り合いを始めた。
「痛い痛い! 指もげる!!」
「いいから外しなさいよ! ケースと保証書が綺麗なうちに売るのよ!!」
企業案件という特大の切符は手に入れた。
だが、私たちの「ビジネス百合」の道のりは、今日も今日とて大赤字(自腹)からのスタートだった。
マジで、世の中甘くない。
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