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【第6話:偽装カップルのための、コスパ最悪な指輪選び。】

「……ねえ。よく考えたら、一つ致命的な問題があるんだけど」


 ブライダル企業からのメールに『謹んでお受けします』と返信した直後。

 私は、使い古したノートパソコンの画面から目を離し、スルメをかじりながらスマホゲームのガチャを回している百合亜を見た。


「何よ。今、確定演出引くところだったのに」

「ブライダルの打ち合わせってことは、向こうの担当者は当然、私たちの手元を見るわよね。『結婚の約束をしている運命のカップル』の、手元を」


 私がそう言うと、百合亜はポカンと口を開け、自分の左手を見た。

 そこには、マニキュアが少し剥げかけた、生活感あふれる指があるだけだ。


「……あ」

「そう、『あ』よ。お母さんの乱入事件のせいで、私たちはすっかり『親公認のガチ婚約者』扱い。なのに、指輪の一つもしてないなんて不自然すぎるでしょ。企業側に『あれ、こいつらビジネスじゃね?』って少しでも疑われたら、莫大な違約金フラグが立つわ」

「えっ、じゃあどうすんの!? 私、指輪なんて持ってないわよ! ガチャ課金で今月のクレカ枠いっぱいだし!」

「だろうね。だから、今から買いに行くわよ。『それっぽい』ペアリングをね」


 私はため息をつきながら、ジャージ姿の百合亜の首根っこを掴んで立たせた。

 向かったのは、駅前の若者向けショッピングモール。休日のモールは、家族連れやカップルでごった返している。安っぽい香水と、クレープの甘ったるい匂いが混ざり合って、すでに頭が痛い。


 一応「顔バレ警戒」のために、二人とも伊達メガネに深めの帽子を被ってはいるが、百合亜の無駄に整った顔面と華奢なフォルムはどうしても目立つ。


「早く買うわよ。ティーン向けの安いアクセサリーショップでいいから」

「アンタのその『いかに安く見せないか』の技術、もっと別のことに活かせないの?」


 私たちはファンシーな店舗の隅っこに陣取り、ショーケースを睨みつけた。


「……これなんてどう? 『永遠の絆』って刻印が入って、ペアで2,980円!」

「ダサすぎでしょ。中学生の初カレ初カノじゃないんだから。そんな自己主張の激しい指輪、お偉いさんの前で出せるわけないでしょ。……こっちの、シンプルな細身のリングにするわ。これなら1,980円で、カメラのフラッシュで飛ばせばプラチナに見えなくもないわ」


 私は1,980円の安っぽいシルバーリングを指差した。これで十分だ。どうせ打ち合わせの時しかつけないのだから。

 よし、店員を呼ぼうとした、その瞬間だった。


「えっ……嘘、もしかして……」

「待って、ルミアンのお二人じゃない!?」


(……っ!!)


 私と百合亜の肩が、同時にビクッと跳ねた。

 恐る恐る振り返ると、そこにはスマホを握りしめた女子高生二人組が、目をキラキラさせてこちらを見つめていた。


「あ、あの! m3guさんと、piyo太ちゃん……ですよね!? 昨日、配信見ましたぁっ!!」


 終わった。完全にバレた。

 この状況で「人違いです」は通用しない。伊達メガネなんて何の役にも立っていなかった。

 しかもこの女子高生たち、距離感が異常に近い。


「わぁっ、生でお会いできるなんて! しかも二人でお忍びデートですか!?」

「何見てたんですか!? あっ、指輪だ!!」


 グイッ、と。

 女子高生の一人が、ショーケースに顔を押し付ける勢いで覗き込んできた。


 ヤバい。

 彼女の視線の先には、私が先ほどまで指差していた『1,980円』の太字のポップアップがある。


「えっ、指輪選んでるんですか!? どれですか、どれにするんですか!?」


 女子高生たちの瞳が、純度100%の期待で輝いている。

 彼女たちの頭の中では、ルミアンという『神カップル』が、永遠の愛を誓う神聖なリングを選んでいる尊い場面なのだ。


(言えない……っ!! これからブライダルのモデルをやるっていうのに、ここで1,980円の指輪を買おうとしてたなんて、絶対に言えない!!)


 もしここで安物を買えば、「ルミアンの婚約指輪、めっちゃ安かったw」とSNSで拡散される。そんなの、エターナル・ブライズの担当者の耳に入ったら即アウトだ。


 私の脳内に、かつてネットニュースで見た文言がフラッシュバックする。

『婚約指輪の相場は、給料の三ヶ月分』。

 限界フリーターの私にとって、本物のダイヤなんて買ったら自己破産と同義だ。せめてこの場は、数万の出費で血を流すしかない……! ルミアンの「王子様」としてのブランドを守るために!


「あ、あの……m3guさん? どれにするんですか……?」


 女子高生が、私の顔を下から覗き込んでくる。

 隣で百合亜が、私の腕にすがりつきながら「ど、どうすんのよ……」と小声でSOSを出している。


「……ふふっ」


 私は、ひきつりそうになる頬の筋肉を総動員して、極上の『王子様スマイル』を作った。


「ちょうど今、迷ってたところなんだ。……これか、それとも……」


 私は、震える指をショーケースの端へと動かした。

 そこは、この安っぽいティーン向けの店の中で唯一、鍵付きのガラスケースに入れられている『プレミアムコーナー』だった。

 素材は本物の18金。小さな、だが本物のダイヤが埋め込まれているペアリング。

 値札には『ペア価格:450,000円』と書かれていた。


「……こっちの、ダイヤが入ってるやつにしようかなって」


 その瞬間。

 私の隣にいた百合亜が、文字通り「カハッ」と息を飲み込み、金魚のように口をパクパクとさせた。

(よ、四十五万円!? アンタ、正気!? 自腹で!?)という絶叫が、彼女の顔面から痛いほど伝わってくる。


 私も正気じゃない。今月の家賃と光熱費を払ったら、もうモヤシしか食えない。でも、後には引けないのだ。


「ええっ!? 凄い!! ダイヤ入ってる!!」

「めっちゃ綺麗……っ! piyo太ちゃん、愛されてますね!!」


 女子高生たちがキャーキャーと騒ぎ立てる。

 私は、死にそうな顔をしている百合亜の腰をグイッと抱き寄せた。


「……これくらい、百合亜への気持ちに比べたら安いものだよ。ね?」


 私がそう甘く囁くと、百合亜は口をパクパクさせたまま、顔を真っ赤にして(というか血の気が引いて)コクコクと頷いた。


「は、はいっ……恋乃葉さん……っ、私、一生大切にしますぅ……っ」


 百合亜の声がリアルに震えていた。そりゃそうだ、私たちの生活費が物理的に削り取られていく音を聞いているのだから。


「すみません、これを下さい。カード一括で」


 私は店員を呼び、クレジットカードをトレイに乗せた。

 決済端末にカードを通す「ジーッ」という音が、私の心臓を物理的に削る音に聞こえた。四十五万円。特売の卵パックが何百個買えると思っているんだ。


「あの! 写真とかって……流動的にダメですよね?」


 女子高生が申し訳なさそうに聞いてくる。

 私は、綺麗にラッピングされた小さな紙袋を受け取ると、伊達メガネをかけ直しながらウィンクをした。


「ごめんね、今日はお忍びのデートだから。……このことは、絶対にSNSには書かないでね? 二人だけの秘密だよ」

「は、はいっ!! 絶対に内緒にします!!」


『絶対に内緒(訳:絶対に拡散してね)』という熱いフリである。どうせ彼女たちは、駅に着く前にこのことをツイートしてバズらせるだろう。それが今後のブライダル案件への最強の布石アリバイになる。


 私たちは女子高生たちに手を振り、足早に店を後にした。


「……」

「……」


 モールを出て、誰もいない裏路地に入った瞬間。

 私はその場に膝から崩れ落ちた。


「……死んだ。マジで死んだ。四十五万円……私の、なけなしの貯金が……」

「あ、アンタ……っ、なんてことしてくれんのよ!! 四十五万円あったら、叙々苑のランチ何回行けると思ってんのよ!!」


 百合亜が私の肩をバシバシと叩いてくる。


「うるさいわね!! だったらあの場で1,980円の指輪買えたっていうの!? アンタの承認欲求のせいで、ルミアンのブランドは給料三ヶ月分の価値を求められてんのよ!!」

「わ、私のせいじゃないわよ! あのJKの距離感がおかしかったんでしょ!」


 路地裏でギャーギャーと醜い言い争いをしながら、私は手元の小さな紙袋を睨みつけた。


「……いい? この四十五万円は、絶対にエターナル・ブライズから回収するわよ。違約金どころか、ギャラを倍に釣り上げてやるんだから」

「当たり前よ! 私も本気でウェディングモデルやってやるわ!!」


 手に入れたのは、永遠の愛の証ではなく、絶対に回収しなければならない「莫大な初期投資」だった。

 私たちは互いに血走った目で頷き合い、ボロアパートへの帰路についた。

 明日はいよいよ、大企業のスーツの大人たちとの直接対決だ。

読んでくれてありがとうございます!


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