【第1話:尊い百合は、時給換算するといくらになるか。】
「リリ様……っ、私、貴方のためなら、死んでもいい……!」
「馬鹿だな。君が死んだら、僕の隣に誰が座るんだ?」
カシャカシャカシャッ!
けたたましいシャッター音と、「尊い……」「最高……」というオタクたちのざわめきが響く。
イベント会場の特設エリア。
私——一ノ瀬恋乃葉は、相方の笹原百合亜の腰を抱き寄せ、カメラの群れに向けて完璧な「王子様スマイル」を振りまいていた。
百合亜も、私の胸元に顔を埋めて、いかにも庇護欲をそそる上目遣いを作っている。
これぞ、SNSフォロワー10万人を誇るコスプレユニット『†Lumière d'Ange†(ルミアン)』の真骨頂である。
(……あー、マジで足痛ぇ)
笑顔の裏で、私は心の中で盛大に毒づいていた。
163センチの私が、155センチの百合亜と理想の体格差を作るために履いている、この特注の厚底ブーツ。これがもう、殺人的に足の裏を痛めつけるのだ。
しかも、胸を平坦にするためのBホルダー(胸潰し)が肋骨をギリギリと締め上げていて、普通に呼吸困難になりそう。
(っていうか百合亜、アンタちょっと私に体重かけすぎ。私の膝が粉砕されるんだけど。あと、さっき昼飯にネギ塩豚丼食ったでしょ。至近距離だと匂うのよ)
(うるさいわね。衣装の布面積少なくて寒いのよ、湯たんぽ代わりに決まってんでしょ。それより左手の位置! 私のウエストが太く見えるからもっと上にしなさいよ!)
長年組んでいると、もはや視線と少しの力加減だけで、相手が何を言いたいのかが分かってしまう。
私たちは笑顔を貼り付けたまま、誰にもバレないように腹話術で罵り合った。
そう。私たちは、界隈で「前世から結ばれてる」とまで言われる神カップル——の皮を被った、ただのビジネスパートナーだ。
家賃と生活費を浮かすためにボロアパートで同居し、少しでもフォロワーを増やして企業案件をもらうために、この「百合営業」をこなしている。
お互いの性格はマジで最悪だと思っているし、趣味も合わない。ただ「顔が良い」という利害だけで結びついている関係だった。
「はい、終了でーす! お疲れ様でしたー!」
スタッフの声がかかった瞬間、私から「リリ様」のメッキが剥がれ落ちた。
「……あ”ー、死ぬ。肺が潰れる」
控室代わりのパーテーションの裏に戻るなり、私はウィッグのピンを引き抜き、首元のボタンを外して息を吐き出した。
「ちょっと、あんた汗臭いんだけど。私の衣装に臭い移ったらどうすんのよ。クリーニング代請求するわよ」
百合亜が、さっきまでの「か弱きヒロイン」の顔をかなぐり捨てて、スマホで前髪を確認しながら文句を言う。
「はぁ? こっちはアンタの体重支えて肉体労働してんのよ。むしろ整体代をよこせ。……ていうか、さっきのチェキ会、アンタ露骨に愛想笑いサボってたでしょ。売上落ちたらどうすんの」
「サボってないし! あれは『クールに嫉妬してるサクラちゃん』っていう高度な演技だし! だいたい、恋乃葉が適当なポーズ指定ばっかり受けるから……」
「アンタのポーズの引き出しが少ないのが悪いでしょ。だいたい昨日の夜も——」
その時だった。
「あの……すみません、お着替え中ですか……?」
ひょこっと、パーテーションの隙間から顔を出したのは、今日が初参加だと言っていた新人レイヤーの子だった。
しまった。完全に油断していた。
彼女は、憧れのルミアンの裏側を見てしまったショックで、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「えっ……あの……お二人って。本当は、その……仲、悪いんですか……?」
(ヤバい)
私と百合亜の思考が、完全に一致した。
この界隈は狭い。新人の子から「ルミアン、裏では超ギスギスしてましたよ」なんて噂が広まれば、私たちの「純愛設定」は一瞬で崩壊する。
フォロワーは減り、グッズの売上は落ち、来週の特売の卵すら買えなくなるかもしれない。
(……やるしかないわね。これも家賃のためだし)
私は無言で、固まっている百合亜の腕を引き寄せた。
「えっ、ちょ、恋乃葉——んむっ!?」
百合亜の抗議の声を、私は自分の唇で強引に塞いだ。
一瞬、百合亜の体がビクンと跳ねて、私の肩を掴む爪が食い込む。(痛っ、衣装に穴空くでしょ)
「……ごめんね。ちょっとした、痴話喧嘩なの」
私は唇を離すと、新人ちゃんに向けて、今日一番の「王子様スマイル」を向けた。
「ね? 喧嘩するほど仲がいいってやつだから。内緒にしててね?」
その隣で、百合亜は顔を真っ赤にして、酸素を求める魚のように口をパクパクさせている。
「あ、あわわわ……っ! す、すみません! お邪魔しましたぁぁぁ!!」
新人ちゃんは顔を真っ赤にして、物凄い勢いで逃げていった。
……ふぅ。これでなんとか、最悪の事態は免れただろう。
「……っ、アンタぁああ!! マジで何してくれてんのよ!!」
パーテーションが閉まった瞬間、百合亜が私を突き飛ばした。
「うるさいわね。営業妨害されるよりマシでしょ。……ていうかアンタ、さっき控室でコーラ味のグミ食ったでしょ。マジで変な甘さしたんだけど」
「こっちの台詞よ!! あんたの安いリップの味しかしなかったわよ! 最悪! 私の純情返して!!」
「純情なんてとっくにフリマアプリで売ったでしょ。ほら、メイク直しなさいよ。次の部の本番始まるわよ」
ギャーギャー喚く百合亜を適当にあしらいながら、私はスマホのメモ帳を開いた。
『緊急対応:特別営業手当として今月の家賃負担から3000円天引き』
……よし。これで今夜は、発泡酒じゃなくて本物のビールが飲める。
私たちのビジネス百合は、今日も通常運転だ。
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