【前日譚:王子様(仮)と迷子のカモ。〜あるいは、すべての悲劇の始まり〜】
3年前。夏の大型同人イベント会場は、オタクたちの熱気と汗で、控えめに言って地獄だった。
私——一ノ瀬恋乃葉は、重たい軍服のコスプレ衣装の中で、ドロドロに溶けそうになっていた。
(……あー、マジで帰りたい。ウィッグのネットが頭蓋骨を圧迫してて頭痛いし。ていうかこの軍服、通気性ゼロなんですけど。サウナスーツかよ)
壁際に寄りかかりながら、私は冷えた麦茶を求めて虚空を睨んでいた。
そんな時だ。人波の端っこで、完全にフリーズしている一つの「ぼっち」を見つけたのは。
それは、見るからに初心者のレイヤーだった。
バラエティショップの宴会コーナーで買ったと思われるペラペラのメイド服はサイズが合ってなくて、ウィッグはブラッシングすらされていないボサボサ状態。
周囲のカメコ(カメラマン)たちからは完全にスルーされ、あまりの人の多さと熱気に中てられたのか、今にも泣きそうな顔で立ち尽くしている。
(うわぁ、完全な迷子じゃん。……でも)
私は、彼女の顔をじっと見た。
(……顔面偏差値だけは、バグみたいに高いな、あの子)
ボサボサの茶髪ボブの下から覗く、大きな瞳。小動物みたいに震える唇。
私の頭の中で、カチャカチャと電卓が弾かれる音がした。
私のこの「無駄にクオリティだけは高い軍服王子」と、あの「顔だけは無駄に良い薄幸のメイド」。この二つを並べて写真を撮ったら——絶対に、SNSでウケる。
(……よし。先行投資だ。あの顔面、私のフォロワー獲得のための踏み台になってもらおう)
私は痛む足に鞭打って、完璧な「クール系王子様」の表情を作り、彼女の前に歩み寄った。
「……君、大丈夫?」
わざと声を一段階低くして、吐息を混ぜる。
ビクッと肩を揺らして見上げた彼女——笹原百合亜の顔は、間近で見てもやっぱり腹立たしいくらい可愛かった。
「あ、あの……っ、えっと……」
「気分悪い? もしよかったら、あっちの救護室まで肩貸そうか」
私は、軍服の白い手袋に包まれた手を、スッと差し出した。
百合亜の瞳が、限界まで見開かれる。その目に映る私は、さぞかし後光が差した「本物の王子様」に見えたことだろう。
「あ……っ、えと、その……っ!」
百合亜はボフッと顔を真っ赤にして、震える手で私の指先を握り返してきた。
(……よし、釣れた。チョロすぎでしょ、この子)
「立てる? ゆっくりでいいよ」
「は、はい……っ! ありがとうございます、あの、イケメン、さん……っ!」
イケメンさんって何よ。私、女なんだけど。
心の中で盛大にツッコミを入れながらも、私は「ふっ」と余裕のある微笑みを作って見せた。
その後、私は彼女を日陰までエスコートし、コンビニで買ったペットボトルの水を渡しつつ、「せっかくだから記念に」とツーショットの自撮りをちゃっかり撮った。
『イベントで迷子のお姫様を保護しました』という打算100%のキャプションをつけて投稿したその写真は、私の思惑通り、その日のうちにバズり散らかした。
(計画通り。これでフォロワー+500人は堅いわ。ありがとね、名も知らぬ迷子ちゃん)
私はホクホク顔で帰路に就いた。
まさかこの時の「ちょっとした集金(フォロワー稼ぎ)のつもり」が、その後の人生を狂わせ、この性格最悪な女とボロアパートで家賃を折半するハメになるなんて、この時の私は1ミリも想像していなかったのだ。
(……あー、あの時の私をマジで殴りたい。顔が良いだけの女を拾うなんて、人生最大のコスパ最悪案件だったわ)
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