【幕間:観測者たちの狂騒、あるいは聖域の守護者。】
1.鉄の女の、剥がれ落ちた内側
株式会社エターナル・ブライズ、十四階。
全面ガラス張りの会議室から、ターゲット——もとい、最推しの二人が出て行ったのを見送った瞬間。
プロモーション担当・佐伯は、背筋をピンと伸ばしたまま、音もなく自席へと戻った。
その歩き方は優雅で、無駄がない。
周囲の部下たちには「今日も佐伯さんは氷のようだ」「一切の妥協を許さない鉄の女だ」と思われていることだろう。
だが、今の彼女の脳内は、最新鋭のスーパーコンピューターでも処理しきれないほどのバグが発生していた。
(……待って。待って待って待って。無理。死ぬ。私、今死んでもいいかもしれない)
デスクに座り、おもむろにタブレットを開く。画面には、昨晩のルミアンのライブ配信のアーカイブが映し出されている。
佐伯は、会社のデスクという公の場で、その動画を再生……はせず、停止画面をじっと見つめた。
正確には、画面の端に映り込んだ、二人の『手元』を。
(……指輪。あった。間違いなく、あった。しかもあれ、昨日あの子たちが買いに行ったやつだわ。特定班が動く前に私が特定したんだから。……っ、尊い。尊すぎて、胃液が逆流しそう)
佐伯は、実はルミアンの初期からのガチ勢である。
恋乃葉(m3gu)のあの、世俗を嫌うような冷ややかな瞳。そして百合亜(piyo太)の、世界中の愛を独占しようとするあざとい笑顔。
その二人が、ビジネスの壁を超えて『ガチ』になった。その瞬間を、自分は今、特等席で観測してしまったのだ。
(本当は、叫び出したかったわよ! 『ご結婚おめでとうございます!! 式場はここでいいですか!? 招待状の宛名書き、私が全部やりましょうか!?』って。……でも、ダメ。私はプロよ。ここで私がはしゃいだら、二人に警戒されてしまう)
佐伯は、震える指先で眼鏡のブリッジを押し上げた。
打ち合わせ中、彼女が二人の左手を執拗にスルーし続けたのには、深い理由があった。
(あまりにも指輪を見せつけてくるから、ニヤける口元をごまかすために『皮膚科に行け』なんて意地悪言っちゃったけど……っ! 自分たちの愛を、大人の事情に馴染ませようと足掻いている姿。ああ、なんて切なくて、美しいのかしら。私がそこで『素敵な指輪ですね』なんて無粋なことを言ってみなさいよ。二人は『あ、やっぱりバレてるんだ』って萎縮しちゃうじゃない。私は、あの子たちが『自分たちの力でこの嘘(真実)を突き通したんだ!』っていう自信を持たせてあげたいのよ!!)
歪んでいる。
ファンの愛が一周回って、もはや「神の視点」での介入になっていた。
彼女にとって、ルミアンは守るべき聖域だった。たとえそれが、四万五千円の自腹を切った、必死の営業努力だったとしても。
(……見てなさいよ。今回のプロモーション、全予算を注ぎ込んで、世界で一番幸せな二人に仕立て上げてあげるから。……ああ、でも今の私、多分顔がめちゃくちゃ怖いことになってるわね。部下が『佐伯さんがまた皮膚科に行けって言ってる……』って震えてるわ。……ふふ、いいわ。誤解されたままで。この愛は、私だけの秘密なんだから)
2.聖域を守る、名もなき騎士たち
同じ頃、駅前の安いイタリアンファミレス。
ドリンクバーのメロンソーダを啜りながら、女子高生二人組——ユナとミキは、机に突っ伏して悶絶していた。
「……ねえ、ミキ。私、もう限界。指が、勝手にSNSを開こうとする」
「ダメだよユナ! 耐えて! m3gu様に『秘密だよ』って言われたんだよ!? ここで呟いたら、私たち、地獄に落ちるよ!!」
二人の手元にあるスマホの画面には、昨日、ショッピングモールで遭遇した時の記憶が、鮮明に焼き付いていた。
一昨日の配信で恋乃葉(m3gu)が放った『見つけた。僕の——』という、地獄のポエム。
そして昨日、目の前で震えながら差し出された、四十五万円の輝き。
「……あの時のm3gu様の目、見た!? マジでガチだった。なんかこう、自分の全財産を投げ打ってでも、piyo太ちゃんを守るんだっていう、必死な……そう、崖っぷちの王子様みたいな目!!」
「わかる!! 普段クールな人が、あんなに震える指で高い指輪買ってるの見ちゃったら、もう……っ。あれを『指輪買ってたw』なんて書けるわけないじゃん! むしろ『あんなに頑張って本物のダイヤを買おうとしてた』っていう尊さを、墓まで持っていくのが、真のファンでしょ!!」
彼女たちは、実は恋乃葉が「もっと高いのを買わされた」という絶望で震えていたとは夢にも思っていなかった。
むしろ、あの必死な形相を「愛の重さ」だと、120%のポジティブフィルターで変換していたのだ。
「……でも、世界に伝えたい。ルミアンはガチだって。あの二人は、私たちの知らないところで、あんなに泥臭く愛を育んでるんだって……!」
「ダメ。それを言ったら、二人の『お忍び』を壊しちゃう。いい? 私たちが沈黙を守ることこそが、二人の愛への最大のご祝儀なの」
ユナは、震える手でスマホの電源を切った。
SNS依存症の女子高生にとって、これほどの特大ネタを抱えて沈黙するのは、拷問に近い。
だが、彼女たちには「自分が推しに直接お願いされた」という、何物にも代えがたい「選ばれし者」としてのプライドがあった。
「……そうだよね。私たち、ルミアンの聖域を守る騎士なんだもんね」
「そうだよ。……あー、でもマジで喋りたい! 誰か、記憶消去装置持ってない!?」
二人は、炭酸の抜けたメロンソーダを飲み干し、悶々としたまま試験勉強の参考書を広げた。
文字通り、若者のリテラシーが、恋乃葉の四十五万円の投資を「ただの自腹」へと変え、同時に「伝説の信憑性」を完璧なものへと昇華させていた。
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