【第10話:新幹線の憂鬱と、赤飯大盛りの多様性。】
ゴトゴトと、新幹線が規則正しいリズムを刻んで走っている。
車窓の向こうには、夏の始まりを感じさせる青々とした田園風景と、入道雲が広がっていた。遠くに見える古びた鉄塔や、田んぼに反射する陽の光が、どこかノスタルジックで胸を締め付ける。
……そんな美しい景色を眺めながら、私の頭の中を占めていたのは『新幹線指定席(往復)×2名分=約六万円』という、絶望的な赤字の計算だった。
「……あー、マジで硬い。なにこれ、スプーンが折れそうなんだけど」
隣の席では、百合亜が新幹線の車内販売で買った『スゴイカタイアイス』と格闘していた。プラスチックのスプーンを両手で握りしめ、親の仇のようにアイスを突いている。
「文句言いながら食べるんじゃないわよ。それ、領収書出ないからね。完全にアンタの自腹だから」
「ケチ! 私たち、今や天下のブライダルモデルよ!? もうすぐ莫大なギャラが振り込まれるんだから、アイスの一つや二つ、経費で落としたっていいじゃない!」
百合亜は口を尖らせながら、ようやくすくい取ったバニラアイスを口に運んだ。
ペロッと舐めとる赤い唇。
……それを見た瞬間、私の心臓が、またしても「ドクンッ」と変な音を立てた。
(い、意識するな。見ちゃダメだ一ノ瀬恋乃葉。あれはアイスを食う妖怪だ。妖怪アイスしゃぶりだ)
おとといの『ウェディングドレス事件』以来、私の中のバグは悪化する一方だった。
百合亜が髪をかき上げるだけでも、目と目が合うだけでも、動悸が止まなくなる。顔が熱くなるのを誤魔化すために、私はわざとらしく咳払いをし、窓の外に顔を向けた。
「……とにかく。今日の実家への挨拶、絶対にボロを出さないでよ。向こうのご両親は、私たちのあの『激寒シンデレラライブ配信』を見た上で、ガチの交際だと信じ込んでるんだから」
「わかってるわよ。でも、お母さんはともかく、お父さんがどう出るかよね……。普通、一人娘が『女の子と結婚前提で付き合ってます』なんて言ったら、修羅場になるのが関の山じゃない?」
「だからこそ、私が完璧な『誠実な王子様』を演じ切るのよ。……ああ、胃が痛い」
私は、今日の日のために新調した、細身のフォーマルなスーツの襟を正した。
数時間後には、百合亜の実家で、お茶をかけられたり「娘を返せ!」と胸ぐらを掴まれたりするかもしれない。最悪のシミュレーションを脳内で繰り返し、私は死地へと赴く覚悟を固めた。
——そして、二時間後。
駅からタクシーに乗り、百合亜の地元である閑静な住宅街へとやってきた。
どこからか蚊取り線香のノスタルジックな匂いが漂ってくる、立派な一軒家の前。表札には『笹原』と書かれている。
「……行くわよ」
「う、うん。……お父さんが木刀持って出てきたら、アンタのこと盾にして逃げるから」
「クズかお前は」
私は深く深呼吸をして、震える指でインターホンを押した。
ピンポーン、という間延びした音が鳴り響く。
ガチャリ。
勢いよく玄関の扉が開いた。
「いらっしゃい!! ゆりちゃん、恋乃葉さん!! お待ちしておりましたぁっ!!」
そこには、フリルのついたエプロンを着たお母さんと。
そして。
「……えっと」
「おおおお!! 君が! 君が、恋乃葉さんかぁぁ!!」
ド派手なレインボーカラーのアロハシャツを着た、恰幅の良い中年男性——百合亜のお父さんが、満面の笑みで立っていた。その手には、なぜかクラッカーが握られている。
パンッ!! と派手な音が鳴り、私たちの頭上にカラフルな紙吹雪が降り注いだ。
「お、お父さん!? なにその服!!」
「ネットで急いで買ったんだよ! 今の時代は多様性! ダイバーシティの時代だからな! 愛に性別なんて関係ない! パパは、二人の門出を全力で応援するぞ!!」
(……この親、絶対朝の情報番組の受け売りだ)
お父さんは、私と百合亜の手をガシッと力強く握りしめ、感極まったようにボロボロと涙を流し始めた。
「……え? あ、あの」
「さあさあ、立ち話もなんだから、上がって上がって! お赤飯、朝から三升炊いて待ってたのよ!」
お母さんに背中を押され、あっけにとられたままリビングへと通される。
そこは、私の想像していた「重苦しい修羅場」とは、一八〇度違う空間だった。
テーブルの上には、山盛りの赤飯、特上寿司、鯛の尾頭付き、そして『祝・ご結婚』という謎の横断幕まで飾られている。
「……これ、どういう状況?」
私が小声で囁くと、百合亜も引きつった顔で首を横に振った。
「わ、わかんない。うちの親、昔からテレビの特集とかに影響されやすいミーハーだけど……まさかここまで順順応性が高いとは思わなかった……」
座布団に座らされると、お父さんがビール(プレミアムモ〇ト)を私のグラスにドクドクと注いできた。
「いやぁ、ゆりちゃんから配信のアーカイブを見せてもらった時は、パパもママも驚いたけどね! まさか、あのボサボサだったウチの娘が、あんな王子様みたいなイケメン……いや、美人さんに『ガラスの靴』を拾ってもらっていたなんてなぁ!」
ぐえっ。
よりによって、あの激寒シンデレラストーリーを、親族の口から直接リピートされるとは。私は顔面から火が出そうになるのを必死に堪え、営業スマイルを張り付けた。
「い、いえ。私の方こそ、百合亜さんのような素敵な女性と出会えて、本当に運命だと思っています……」
「運命! いい響きだ! なあ母さん、今の聞いたか!?」
「ええ、聞いたわよ! もう、恋乃葉さんったら本当に男前なんだから! ……ねえねえ、それで、プロポーズの言葉は? どっちから言ったの!?」
「ブロッゥ!?」
お母さんの爆弾発言に、私は飲んでいたプレモルを噴き出しそうになった。
プロポーズ!? そんな設定、まだミリ単位も考えてない!
「あ、えっと、それは……」
私が助けを求めるように横を見ると。
百合亜は、山盛りの赤飯を口いっぱいに頬張りながら、目を輝かせてこちらを見ていた。(……アンタが考えなさいよ! という顔だ。この強欲女め!)
「……そ、それは……私が、(咄嗟に思いついた)夜景の見えるレストランで……」
「キャーッ! レストランで!?」
「ひざまずいて、あの……『僕のお姫様になってください』って、一生分の想いを込めた指輪を渡しました」
私の即興の嘘に、ご両親は「ひゃあああ!!」と顔を覆って悶絶した。
完全に、ドラマか何かの見すぎである。
しかし、ご両親の反応は、ただ面白がっているだけではなかった。
「……正直にな、最初は戸惑ったんだよ」
お父さんが、ふと真面目な顔になって、私の目を見た。
「孫の顔は見られないのかな、とか。世間様に何か言われるんじゃないか、とか。……でもな、恋乃葉さん。君が配信で、ゆりちゃんの手をしっかり握って、あんなに真っ直ぐな目で愛を語っているのを見てね。……親戚の連中が何と言おうと、この二人なら大丈夫だって、パパは確信したんだ」
「お父さん……」
百合亜が、少しだけ罪悪感に苛まれたような声を出した。
お父さんは、私に向かって深々と頭を下げた。
「ゆりちゃんは、見栄っ張りで、片付けもできないし、わがままでどうしようもない娘だけど。どうか、一生……あの子の隣にいてやってください」
その言葉は、嘘偽りのない、本物の『親の愛』だった。
ズキリ、と。
私の胸の奥が、痛んだ。
嘘だ。私たちはビジネスだ。家賃を折半して、ファンの承認欲求と金を搾取するためだけに同棲している、最低の詐欺師コンビだ。
……だというのに。
「……はい。私でよければ」
私の口は、勝手にそんな言葉を紡いでいた。
隣に座る百合亜の手を、無意識に、そっと握りしながら。
小さくて、体温の高い、彼女の左手。
「絶対に、百合亜さんを幸せにします。……何があっても、私が、彼女を守りますから」
それは、私の『王子様としての営業トーク』だったのか。
それとも、あのウェディングドレスの彼女を見てバグってしまった、私自身の『本音』だったのか。
自分でも、もう分からなかった。
ただ、私が手を握った瞬間。
ビクッと肩を揺らした百合亜が、私の顔を信じられないようなものを見る目で、じっと見つめていたことだけは分かった。
「お、おおお……っ! 素晴らしい! 今日は宴会だ! 飲め飲めぇ!!」
レインボーのアロハシャツを着たお父さんの上機嫌な声と、お母さんの嬉しそうな笑い声が、夏の住宅街に響き渡る。
私たちは、とんでもなく暖かくて、無防備で、柔軟な「家族の愛」によって、もはや後戻りできない泥沼(あるいは、本当の運命)へと、完全に足を踏み入れてしまったのだった。
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