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【第9話:純白のドレスと、限界突破の心拍数。】

 都内某所。エターナル・ブライズが所有する、ガチの結婚式場を貸し切った大掛かりな撮影スタジオ。

 私は、控室の鏡の前で、自分の姿を死んだような目で見つめていた。


(……息が、苦しい)


 純白のタキシード。私の長身(※厚底ブーツで底上げ済み)と細身のシルエットを活かした、特注の最高級品だ。

 だが、問題はそこじゃない。胸を平坦にするために巻きつけたBホルダーが、いつも以上に私の肋骨をギリギリと締め上げている。いや、違う。息が苦しいのはBホルダーのせいだけじゃない。


 ——『やっぱ、かわいいなこいつ』


 おとといの夜、ボロアパートで百合亜の左手を取った時に芽生えてしまった、あのふざけた感情。

 あれから、私の心臓はずっとおかしい。百合亜と目が合うだけで動悸が激しくなるし、あいつが風呂上がりにジャージ姿で冷蔵庫を開けているだけの背中を見ても、変に顔が熱くなってしまう。


(落ち着け、一ノ瀬恋乃葉。目を覚ませ。相手はあの『笹原百合亜』だぞ。隙あらば私の財布から金を毟り取ろうとする、見栄っ張りで図々しい承認欲求モンスターだ。イカの塩辛を食いながらゲップする女だぞ。錯覚だ。絶対に私の脳がバグってるだけだ)


 私が鏡に向かって必死に自己暗示をかけていると、背後のカーテンがシャラッと開いた。


「——お待たせ。どう? 変じゃない?」


 振り返った私は。

 そのまま、石像のようにカチンと固まった。


「……え」


 そこに立っていたのは。

 幾重にも重なる純白のチュールと、繊細なレースがふんだんにあしらわれたウェディングドレスに身を包んだ、本物のお姫様だった。

 プロのヘアメイクによって完璧にセットされた茶髪のボブには、キラキラと光るティアラが乗っている。普段の安物コスメとは違う、一流の化粧品で彩られた肌は陶器のようで、唇はほんのりと桜色に色づいていた。


(…………誰?)


 いや、百合亜だ。顔は確かに百合亜なんだけど。

 あまりの美しさと、圧倒的な「花嫁」のオーラに、私の脳の処理能力が完全にフリーズしてしまった。


「ちょっと、何黙ってんのよ。やっぱりこの肩のフリル、私のキャラじゃない? もっとデコルテ見せるタイプのドレスの方が……」

「……いや。……その」

「ん?」

「…………すっごい、綺麗。……ほんとに」


 私の口から、台本にもない、100%純度の高い本音がポロッとこぼれ落ちた。


「っ……!!」


 百合亜が、ボンッ! と音を立てる勢いで顔を真っ赤にした。

 いつもなら「でしょ!? 今の私、世界一可愛いでしょ!」とドヤ顔で乗ってくるはずなのに、彼女はなぜか視線を泳がせ、ドレスの裾をギュッと握りしめた。


「な、なによ急に! 気持ち悪いわね、熱でもあんの!?」

「い、いや! 違う! 今のは、その、プロのメイクの技術がすごいなっていう、ただの感想で……っ!」

「うるさい! 早くスタジオ行くわよ! 時給換算したら一秒たりとも無駄にできないんだから!」


 顔を真っ赤にしたまま、百合亜はドレスの裾を乱暴に蹴り上げながら、ドスドスとヒールを鳴らして控室を出て行った。

 残された私は、心臓を押さえてその場にしゃがみ込んだ。


(……死ぬ。マジで可愛かった。どうしよう、私、今日一日持たないかもしれない)


 ——そして、地獄(撮影)が始まった。


「はい、お二人とも最高です! じゃあ次は、m3guさんがpiyo太ちゃんをバックハグする感じでいきましょうか!」


 ハイテンションなプロのカメラマンの指示が飛ぶ。

 私は、百合亜の背後に立ち、その細い腰に手を回した。……ダメだ。ドレス越しでも、彼女の体温が伝わってくる気がして、腕に力が入らない。


「……ちょっと、恋乃葉」


 カメラに最高の笑顔を向けたまま、百合亜が腹話術でキレてきた。


「アンタ、さっきから何なの。ガチガチでマネキンみたいなんだけど。手が震えてるわよ」

「し、しょうがないでしょ! 香水のいい匂いがするし、顔が近いんだから!」

「はぁ!? こないだの配信では自分からキスしてきたくせに、今更何言ってんの!? ほら、笑って! 違約金! 莫大な違約金を想像しなさい!」


 違約金。その魔法の言葉で、私は無理やり口角を引き上げた。

 だが、次の指示は、私のキャパシティを完全に超えるものだった。


「いいですねー! じゃあ次、最大の山場いきましょう! 指輪の交換からの、ベールアップ! そして、キスの寸前で止めてください!」


 ……終わった。

 キスの寸前? この、ただでさえ心拍数が異常な状態で?


 私たちは向かい合い、あの日モールで買った例の「四十五万円の指輪」を取り出した。

 私が百合亜の左手を取り、薬指にリングをはめる。


「……アンタ、手汗ヤバいんだけど。四十五万円の指輪がサビたらどうすんのよ」

「う、うるさい! 緊張してるのよ!」


 なんとか指輪をはめ終えると、いよいよベールアップだ。

 私は震える指先で、百合亜の顔を覆う純白のベールをそっと持ち上げた。


 ——視界が開け、百合亜と完全に目が合う。


 近い。近すぎる。

 長いまつ毛が揺れるのが見える。彼女の瞳の奥に、マヌケな顔をした私が映っている。

 普段なら「ニンニク臭い」と罵り合っている距離なのに、今の彼女からは、ただ甘くて高貴な花の香りがした。


「さあ、m3guさん! そのままゆっくり顔を近づけて……リップが触れるギリギリでストップです!」


 カメラマンの声が、遠くの方で聞こえる。

 私は、息を止めた。

 顔を近づけなきゃいけない。わかっているのに、体が金縛りに遭ったように動かない。これ以上近づいたら、私の中の何かが完全に壊れてしまう気がした。


(……無理だ。できない。顔が、見れない……っ)


 私が顔を真っ赤にしてフリーズしていると。


「……チッ。ポンコツ王子が」


 百合亜が小さく舌打ちをした。

 そして次の瞬間。

 百合亜は、両腕を私の首にガシッと回し——自ら、強引に私を引き寄せた。


「っえ!?」

「大人しくしなさい! ギャラが飛ぶでしょ!!」


 至近距離で、百合亜の瞳がギラッと(金への執着で)光った。

 私の鼻先と彼女の鼻先が触れ合い、唇と唇の距離が、ほんの数ミリになる。

 ドクン、ドクン、ドクン!!

 私の心臓の音が、スタジオ中に響き渡っているんじゃないかと思うくらいうるさい。顔から火が出そうだった。百合亜の吐息が、私の唇をかすめる。


「はい、いただきぃっ!! 最高!! 完璧な情熱と初々しさです!!」


 カシャカシャカシャカシャッ!!

 カメラマンが狂ったようにシャッターを切りまくる。


 そして、スタジオの隅。

 エターナル・ブライズのプロモーション担当、佐伯さんは。

 手元のバインダーをへし折らんばかりの力で握りしめ、ワナワナと肩を震わせていた。(メリッ、と硬質なプラスチックが割れる音がした)


(ああ……っ! ああああ……っ!! 何あの、m3gu様の初々しい戸惑い……! 普段はクールでリードする側なのに、愛する人を前にして感極まって動けなくなるなんて……っ! そしてそれを強引に引っ張るpiyo太ちゃん……!! 尊い! 尊すぎて私の命の灯火が消えそう!!)


 私たちは知らない。

 私の「ガチの照れ(ポンコツ化)」と、百合亜の「ギャラへの執念(強引なリード)」が、一部の熱狂的なファン(企業のお偉いさん)の脳内で、とんでもなく美しい純愛ストーリーに変換されていることを。


「——はい、オーケーです! お疲れ様でしたー!!」


 終了の合図が出た瞬間、私は弾かれたように百合亜から距離を取った。

 足から力が抜け、危なくその場に座り込みそうになる。


「……あー、疲れた。アンタがモタモタするから、私から行く羽目になったじゃない。特別手当、時給に上乗せしといてよね」


 百合亜はドレスのシワを直しながら、いつも通りの憎まれ口を叩いた。

 しかし、私は何も言い返せなかった。

 ただ、荒い息を整えながら、自分の顔が尋常じゃなく熱いことだけを自覚していた。


(……終わった)


 撮影が無事に終わったことじゃない。

 私の、完璧にビジネスとして割り切っていたはずの「平穏な日常」が。


 ——笹原百合亜。ただの性格最悪な金食い虫。

 なのに、どうして私は今、彼女の唇に触れられなかったことを、ほんの少しだけ……『残念』だと思ってしまったのだろう。


 ウェディングドレスの魔力は恐ろしい。

 私の中で、何かが決定的に、致命的に、狂い始めていた。

読んでくれてありがとうございます!

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