第84話 貴方は誰?
「無意識下の刷り込みかなぁ。例えば仙桃を食べてはならないとか?」
私の言葉に琅宋の肩がビクッと揺れる。
これは直接的に言われていたことかな。
「呪いっていうと大げさだけど、幼い頃に言われた母親の言葉って、案外大きくなっても縛られるものでね。行動を制限してしまうこともあるんだよ」
皇帝の母親を悪く言うと、私が悪になってしまうからね。
当たり障りのないことを口にする。
でもこれも嘘じゃない。
「言われると確かに、これはしてはいけませんと、言われたと時々思い出すことがありますね」
管理官は納得してくれたらしい。
父親よりも母親と過ごす時間が長いからか、言葉が呪いになっていることがある。
ただ琅宋は、それだけじゃない呪いが複雑に絡み合っていて、よくわからなかったりする。
「それじゃ、私は帰っていいかな?」
腰を浮かそうとしたけど、琅宋が私を捕まえているので動けない。
手を離してほしい。
「母を殭屍にした者は誰だ?」
「さぁ? 術の解除が強制的にされてしまったので、もうわからないね」
「何か痕跡があったのではないのか?」
うーん? なんだろう? また変な感じで呪いが発動している。
母親という言葉に反応しているようだ。
「身体が灰になってしまったから、わからない。だから衣服だけでも持ってきたのだけど」
じーっと琅宋を観察する。
殭屍が身につけていた衣服を琅宋が手に取った。
すると、衣服から煙が上がったと思えば、炎が立ち昇った。
「陛下!」
慌てて管理官が、琅宋の手から燃えている布を奪い取り、床に叩きつけて、足で踏んで火を消そうとしている。
私は一つの種を取り出して床に投げ飛ばした。
「地の脈により湧く清き水」
種がある場所から波紋が広がっていく。
「広がりし緑の荷に映えし美しき荷花」
草原が水面のように揺らいでいく中、丸い蓮の葉が水面を満たしていき、ピンク色の花が浮かんでくる。
「邪のモノに慈悲を与えるべく菡萏に包まよ。さすれば、花は根に戻り、悪しき炎は消滅せん」
水につかった衣服だったものは、水の中に溶けるように消えてしまった。
これは少々危険かもしれない。
私は引いていく水から視線を外さない琅宋を見る。
「琅宋」
名を呼ぶ私に視線を移す金色の瞳。
その瞳の瞳孔は縦に伸びていた。
「私たちの血の力は人が持つには大きすぎる。なので、先に肉体の限界がくる。だからと言って力に呑まれてはいけない」
私はそう言って、右手で琅宋の左目を隠した。
「で、貴方は誰?」
やはり右目の虹彩が濁っている。
あまり厄介事には関わりたくないけど、霍良になんとかしろと言われているし、結局これをなんとかしない限り、私はここから解放されないのだろう。
「『さて、誰だと思う?』」
琅宋と別人の声が合わさって聞こえてきた。
管理官の息を呑む音が、静かな室内に異様に響き渡る。
「わからないから聞いているのだけど?」
「『そうかわからぬか』」
琅宋らしくなくカッカッカッカッと笑う声が耳障りに聞こえてきた。
母親の死を認識した途端にこれか。
この術は外法に思える。
ということは皇帝の側に、この外法を使えるものがいるということだ。
「教えてくれないのならいいよ。引っ張り出すだけだから」
「『これは時期尚早であったか』」
すると、琅宋の瞳の濁りが消えた。
瞬きを繰り返す金色の瞳。
「黎明?」
「はぁ……本当に厄介。ナニコレって感じ」
私は琅宋から離れて、長椅子に背を預けてうなだれる。
これか。もしかして、琅宋の中にいる存在があるから、炎駒は放置していたのか?
いや、そもそも渾敦である炎駒にとっては、些細なことなのかもしれない。
「霍道士。今のはいったい何が起こったというのですか?」
管理官が聞いてきた。
あ、見られていた。これは口止めしておかないといけないね。
「口外禁止だよ」
「それは重々承知しております」
「まぁ、わからないのだけどね。厄介な外法がかけられている感じ」
少ししか話をしていないけど、琅宋の中にいたモノは男性で、自分の存在に声だけで認識できるだろうという自負があった。
あと、生きた年月を感じる口調と態度。
老人?
まぁ、ここまでのことを考えると、当てがないこともない。
「やっぱり今日は帰るよ。ちょっと行きたいところができたから」
私は立ち上がって、部屋を出ていこうとすると、管理官の人が立ちはだかってきた。
「このような状況でお帰りになれると思っているのですか?」
「私の依頼者は芙蓉様。皇帝じゃない」
私は芙蓉様からもらった通行許可の札を見せた。
「そもそも後宮の問題を解決することが私の仕事で、皇帝のことは含まれていないからね」
そう言って、私は部屋を出ていったのだった。




