弐
東京某所に本庁を構える警視庁。衛生部や保安部、刑事部などから構成され、本国の治安維持に努めている。
寒川悠が所属する怪事件捜査課――通称〈怪捜〉も、警視庁の構成にに名を連ねる部署だが、その存在を知る者は少ない。
庁舎の隅っこの小部屋が執務室となっており、訪れる人もおらず普段はひっそりとしている。
そんな辺鄙な怪捜課に訪れる人物は、大きく分けて二パターンある。
刑事部が手を焼き追いやられてきた、ろくでもない相談を持ってくる民。もうひとつは、暇つぶしに顔を出しにくる警察官。
怪捜の執務室のドアが開かれる。
柴が出勤してきたのだろうと、とくにそちらに目を向けず、新聞に目を落としたままコーヒーを飲む。
その人物は挨拶をすることもなく、勢いをつけて寒川の肩に手を回した。入ってきた人物が柴ではないことを悟った。
半分ほど飲んでいたため、零れずに済んだコーヒーカップにほっと息をつき、テーブルにそっと置いた。これ以上被害が出ては困る。
「よう、カワイソウ課の寒川くん。相変わらず、寂しい場所だなぁ。可哀想だから、僕が来てやったぞ」
「カイソウだ。用がないなら帰れ」
絡められた腕を振り払う。追い返すようにしっしっと手を振ると、その男は軽薄な笑顔を浮かべた。
「まあまあそう言うなって。暇そうな寒川くんに、いい話を持ってきたからさ。茶でも淹れてくんね?」
「暇なのはお前だろう。帰れ」
「おいおい。捜査一課の僕が、お前と同じで暇なわけないだろう」
「忙しい奴は、こんな離れた寂しいところに来ない」
警視庁捜査一課所属、蓮本玲司。
こう見えても蓮本男爵の次男という、ボンボンである。ついでに、寒川の同期だったりする。
「まだ始業前だし。久しぶりに同期と雑談しくなったっていいだろ」
「結局暇つぶしじゃないか……おい、誰が座っていいと言った」
蓮本は我が物顔で、一人がけソファにどっかと腰をかける。そしてまた「茶でも淹れてくんね?」と宣うのだ。
無視を続けていると、諦めたのかもともとそんなつもりはなかったのか、さくっと引いて雑談を始めた。
「こんな隅っこの小部屋のくせに、やけに居心地がいいのはなんでだ。一課の執務室なんか、雑然としてて男臭いんだぞ。不公平だ!」
「そりゃここは、俺と柴の二人だけだからな」
一課と比べられては困る。そもそも、所属人数が圧倒的に違う。
もちろんそれだけではなく、寒川の好みに整えた影響もある。というか、そっちの方が大きいかもしれない。
「そうそう豆柴くん! まだ来てないのな」
「いつも時間ギリギリに来る」
「こんな離れ部署、来るだけで偉い。それにしても、どーして豆柴くんはこんなところを希望したんだ?」
「そんなの俺が知るか」
寒川とは違い、柴は自ら怪捜を志望して異動してきたらしい。
もともとは捜査一課に配属され、失踪事件などを主に担当していたようだ。あの見た目であの性格なので、先輩や上司からも随分可愛がられていたという。
なのに突然、怪捜への異動を志望した。
周囲は止めようとしたが、本人があまりにも頑なで、結局周囲が折れることとなる。
「しかも、柴はとんでもない怖がりだ。どう考えても怪事件と相性が悪い」
「怪事件なんて、どうせ名前だけじゃないか。実際は失せ物探しやペット探しの何でも屋だろ?」
「…………そうでもない」
蓮本に聞こえるか聞こえないかくらいの音量で、ポソリと呟く。
今までは、確かにそうだった。事件未満相談受付課に名前を変えようかと考えるくらい、しょうもない相談事ばかり対応していた。
だが最近は少しずつ、紛うことなき〈怪事件〉を引いている。寒川も信じられないような、人間では到底対処のできない何か。
「ふうん? なら、これから話す内容も、案外この課向きかもしれないな」
「……どういうことだ?」
頭の後ろで手を組んでなんでもない風に言った蓮本に、寒川は眉を寄せる。
怪捜向き。それは、なんらかの怪事件を持ってきたということか。
寒川の問いに答えようと、蓮本が口をひらいたとき。
「おはようございま――あれ? 蓮本さん?」
ガチャリとドアが開く音と同時に、呑気な声が入ってきた。柴だ。
思わぬ珍客に、柴は丸い目をぱちくりと瞬いた。
「おはよー豆柴くん。お邪魔してるよ」
「何もないところですが、どうぞどうぞ!」
「お前が言うな」
「あっ、寒川さん! す、すみません、つい!」
ついってなんだついって。
柴が恐縮しながら席につくと、蓮本は待ち構えていたように、口を開いた。
「事件を持ってきた。もしかしたら怪捜案件かもしれなくてな。……上野の連続失踪事件は知ってるか?」
ぴくりと柴の指が跳ねた。
知っているも何も、ここ最近で巷を騒がせている事件だ。
「約二ヶ月で三人、行方不明になっている。行方不明者に共通点はない。辛うじて、いずれも上野周辺に居住を構えていることから、同一人物による犯行だとみている」
短い期間で三人も失踪しているというのに、警察の聞き込みも虚しく、加害者はおろか被害者の目撃情報すらもまともに掴めていない。
「で、怪捜案件だと判断した理由は?」
「可能性があるってだけだ。一課も引き続き動く」
蓮本はそう前置きをして、話を続ける。
「四人目の被害者は、現役の警察官だ。名前は武田大地。聞き込み調査に行ったっきり、戻ってこなくなった。そいつは真面目なヤツだから、サボりとは考えにくい。疑問に思った同僚が、武田の聞き込み担当だったエリアを探しに行った」
武田から聞き込みを受けたという人たちは、すぐに見つかった。だが、足取りが辿れない。
確かにそのエリアにいたはずなのに。
さすがにおかしいと思い、警察官複数人で捜索に出たが、結局見つからず今に至る。
忽然と、武田は消えてしまったのだ。
「そんで、さらに奇妙なことに、争った跡が一切見つからない。争う音を聞いたという人もいない」
「……どこが奇妙なんですか?」
「こっちはサーベル佩いた腕っ節の警察官だぞ? 黙って連れ去られるはずないだろう」
意図を汲み取った柴が息を呑み、寒川は目を眇める。
「つまり、今回の犯人は、腕っ節の警察官を無抵抗にできるほどの大男か、人智を超えた力を使う〈何か〉ということか」
「そういうこと! なんだ、寒川。今まではあんなに」
蓮本は意地悪い笑みを寒川に投げた。
「そういや、美人な巫女さんのとこに通ってるんだったか? そこんとこどうなの、豆柴くん」
「あ、椿姫さんのことですか?」
美人な巫女と言われて、間髪入れずに椿姫の名を上げてしまうのが、また憎らしい。
巫女の知り合いなんて椿姫くらいしかいないというのに、蓮本は敵の首を得たとばかりに、更に笑みを深めた。
「そうそう、ツバキさん。こいつに勝算はありそうか? 難アリだが家柄も良し、顔も良し。残念なことに、普段から眉間にシワ寄せたこわ〜い顔してるから、女の子は怖がって逃げちゃうだろ?」
「えー。椿姫さんはそんなことないですよ」
なにせ寒川は、初対面で椿姫に怒鳴っているのだ。ビクリともせず淡々と対応した様子に、恐れはなかった。
どちらかといえば、椿姫の方が強い。寒川は押されてばかりだ。
「おや、尻に敷くタイプだったのか。寒川が尻に敷かれるか……なかなか骨のある御仁……あだっ」
スパン、と子気味いい音が、執務室に響く。
寒川が耐えきれず、手に持っていた新聞紙を丸めて、蓮本の後頭部を殴ったのだ。
紙とはいえ、大の男、しかも現役警察官の本気なので、余程痛かったらしい。蓮本は後頭部に手を充て、涙目で寒川を睨んだ。
「なんだよ、そんなに怒ることないだろ。あれだけ怪異だとか〈不思議な力〉を毛嫌いしてたお前が、〈不思議な力〉を操る巫女さんとこに通ってるっていうんだ。気になるだろ」
「俺の心境変化に首を突っ込むほど、一課は暇らしい。是非とも早急に、連続失踪事件を解決していただきたいな」
冷ややかな声でそういうと、蓮本は苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。
連続失踪事件の四人目の被害者を出してしまったことは、一課にとっても相当の痛手なのだ。
油を売っている場合でないことは明白だった。
「悪かったよ。とにかく、人外が絡んでる可能性があるから、怪捜にも協力を仰ぎたい。巫女でも禰宜でも、なに使ってもいい。せめて、人間の仕業なのか人外の仕業なのかだけでも、突き止めてほしい」
柴が、神妙な顔をして頷いた。
「承知しました。必ず」
寒川は返事の代わりに立ち上がった。さっさと動いた方がいい。
執務室を出る直前、これだけは言っておこうと、蓮本を振り返った。
「巫女殿の力は本物だ。ただし、滅法高い依頼費用がかかる。解決したらまとめて請求するから、耳を揃えて待っておくんだな」
「………………は?」
背を向けた執務室から、蓮本の間抜けな声が漏れた。




