100.甘く幸せな時間
「ラッセル侯爵を断罪する証拠は遠くなってしまったのかもしれないが……負けたと思ってあきらめるのは、まだ早いよ。私たちにはきゅきゅもいる。他にも助けとなってくれる人間がいるのだから、みんなで解決できるように頑張ろう」
【あなたたちの幸せのためなら、なんでも協力するわよ】
大皿いっぱいのカスタードプリンを興味津々な目で見ているきゅきゅから、励ましの声が届く。
「みんなで頑張る……」
セインは絶対に、魔法使いのアナベルを何でも一人で出来る万能の道具とはしないのだ。改めて知るその心根が途轍もなくうれしくて、アナベルは声が震えた。
「そうだよ。一人で抱えて悩んではいけない。私たちが一緒に頑張ればきっと無敵だ」
「セイン……」
これから食べようとしていたガトーショコラを切り分けて、そのままセインの口元に運ぶ。
「うん?」
「食べてください。うれしくてたまらないから一緒に食べたいのです。ここは、あの時のように往来ではありませんし……」
セインは不思議そうな顔をしているが、アナベルはとにかく無性に、自分だけが食べるのではなく二人で食べて楽しみたいと思ったのだ。
「君が食べさせてくれるなら、喜んで」
「はい!」
望み通りに口を開けてくれたセインに、アナベルは上機嫌で目を輝かせた。
【仲良きことは、とっても美しいことね】
きゅきゅが満足そうに大皿のプリンに首を突っ込み、一人ですべて堪能していた。
「アナベルもお食べ」
ショコラを食べ終えたセインが、ミルフィユを勧めてくれる。食べさせてもらうのは少し照れるも、アナベルはありがたく口まで運んでもらった。
「何もかも美味しいです。幸せな時間をありがとうございます」
セインに、今度はイチゴのタルトレットを勧めながらアナベルは頬を綻ばせる。
「それほど喜んでもらえれば、料理人たちも腕を振るった甲斐があるというものだ」
楽しそうに笑い、セインはタルトを食べてくれた。
その姿がとても好ましくて、顔が緩む。つくづく幸せだなあと浸っていると……なぜか幸せとは正反対のことが脳裏をよぎった。
「そういえば……私、なぜか前長官を死なせた毒呪に、ブルーノの気配をわずかに感じたのです」
「ブルーノとは、君に酷いことをした人でなしのことかい?」
少し眉を動かしたセインに問われ、その的確すぎる表現にアナベルは苦笑する。
「彼は魔法使いではありませんから、気のせいとは思うのですが……私、彼のことはすべて終わったと片付けて、夜会の後どうしているのかまったく考えませんでした」
こちらに報復してこなければ、二度と関わることはない。何事もない毎日に、カウリー領に戻ったのだろうと単純に処理してしまった。
「あのような男のことを考える必要はない。忘れるに限ると思って言わなかったのだが……実は、屋敷の外に放り出した後、気になって監視を付けたのだ。結果は撒かれてしまい、消息がつかめないと報告を受けている」
「監視の手を逃れて、消息不明……」
セインが言い難そうではあったが教えてくれた内容は、想像もしないものだった。
「実家のほうも調べさせたのだが、戻っていないようだ。いつ何時君の前に姿を現すか、わからない……」
心配そうにアナベルを見て再び頭を撫でてくれたセインに、力強く笑う。
「襲ってきたなら魔法で対抗しますので、それは問題ありません。ですが、所在がはっきりしないというのは、なんだかいやな感じですね」
このまま放っておいてはよくない気がする。
アナベルは三つ目の盆にあるケーキ類をすべて食べ終えると、フォークを置いた。
目を閉じ、思い出したくないのが本音だがブルーノの気配を思い出しながら、風魔法にて気配の主の現在地を探る。ところが……。
「いない……まさか、死んだということはないでしょうし……あら?」
どこにもブルーノの気配らしきものが見当たらず、首を傾げる。
すると、とても気味の悪い気配に触れた。微かなブルーノの気配と、何か言い知れぬ不気味なものが混じり合っている……。
「あの男は死んでいるのかい?」
「いえ……そうではないようですが、気配の質が何か良くない……奇妙なものに変わっているようで……はっきりしないのです」
セインの問いに答えながら、もっと詳しく調べようと感知能力を高めた瞬間。
僅かばかり掴んでいたブルーノの気配は完全に霧散した。
「消えた……」
調べようがなくなったアナベルは魔法の使用を打ち切り、目を開ける。
セインを見て苦笑交じりに首を横に振った。
「なにもわからなくなりました。ブルーノの現在地は不明です。ですが、気配の歪な変質に……まともに暮らしているとは思えません」
「あの男が事件を起こしてからでは遅い。もう一度、隈なく探させることにするよ」
「お願いします。今度はこれを食べましょう」
真剣な目で請け負ってくれるセインに、アナベルは自分が捜すと意地を張らなかった。
全面的にお任せして、バターケーキを切り分けると互いの口に運びあって楽しんだ。
セインが傍にいてくれると美味しいケーキがさらにおいしく感じるアナベルは、チーズケーキ、バナナパイ。レモンパイと……次々二人で堪能した。
「私はもういいよ。残りは君が楽しむといい」
ところが、洋ナシのタルトを勧めるも、断られてしまう。
「甘い物を好まれると思っていたのですが……私に食べさせるために遠慮してくださっているなら、気遣いは必要ありません」
「甘い物は好きだが、さすがに充分食べたからね」
口元を隠すように、軽く手を添えたセインは小さく首を横に振った。
「そうですか……」
食べさせてあげるのはとても楽しいので、終了は残念に思う。でも、本人が拒否しているものを、強引に付き合わせるわけにはいかない。
そんな真似をして、セインがおなかを壊すようなことになれば、申し訳ないではすまない。
「食べ終えるまで見守っているから、ゆっくりお食べ」
「ありがとうございます。……明日、第一王妃様のところへ連れて行ってもらえるのです。美味しいスイーツのおかげで、魔法力の戻りが早いように思います。あとは、ゆっくり眠って万全な状態で御前に上がります」
一人で食べていろと放り出さないセインに、アナベルの心はほんわかする。
浮かれながらマロングラッセを食べていると、セインがココア色のロールケーキを切り分けて、アナベルの口元に運んでくれた。
「私は食べられないが、君の食べるお手伝いはさせておくれ」
「最高の贅沢ですね」
断るほうが彼のの笑顔が消えてしまうと思い、その厚意にアナベルはありがたく甘えることにした。
「私も王宮に居るから……もし、謁見の際に困ったことがあれば、いつでも私に声を届けてほしい。何があろうと、必ず駆けつける」
アナベルが、口の中でとろけるクリームたっぷりのロールケーキにうっとりしていると、セインが誠実な目でこちらを見ていた。
「はい。一人で抱え込まず、遠慮なく頼らせていただきます」
困るようなことがあっても大丈夫。一人で悩まなくてもいい。
そう示してくれるセインは、アナベルの心に大きな力を与えてくれる人だ。自分は彼のためならどんな魔法でも使えるだろうと、しみじみ思う。
「約束だよ。……王太后様にはお二人弟がいらして、一人がご実家を継いだアンズワース公爵。もう一人がジュノー侯爵で、その方がソフィア第一王妃の父君だ。そうした関係上、ソフィア妃は王太后様に頭が上がらない」
教えてくれる情報に熱心に聞き入っていると、再びロールケーキが口に運ばれる。
幸せの味を咀嚼して飲み込むと、アナベルは気なることを問うた。
「伯母と姪で、頭が上がらない関係……ということは、ソフィア第一王妃様はご自分の意思でセインを憎んでいるのではない、のですか?」
てっきり、王太后も第一王妃も二人ともセインをきらっているのだと思っていた。だから、手を組んでその排除を画策しているものとばかり……。
「ソフィア妃は本来、権力欲の薄い、至って温厚な方でね……陛下のお傍にいられればそれでいいと、特別、次代の王の母親となることに固執してはいなかったのだよ。王宮に上がった最初の頃は、陛下の話を聞きたいと、私を自身の茶会に招いてくれたこともあったくらいだ」
過去を語るセインの、その口元には寂し気な笑みが浮かんでいた。
「だが、王太后様がそれを知ってね……ソフィア妃のおこないを厭われた。私は敵だとソフィア妃に会話を禁じ……いつまでも懐妊しないことも詰り、我が一族からお側に上がっている三妃よりも必ず先に王子を産めと厳しく責め立て……挙句、医師の診断結果も芳しいものではなくてね。ソフィア妃は気鬱の病を発症し、それは治るどころか、悪化していると聞く」
「第一王妃様がお子様のことでお悩みとの話は、聞いたことがあります。ただ……それを頭の上がらない伯母君に責め立てられるというのは、むごいことですね」
王太后が、自身の身内から王位継承者の誕生を待ち望む気持ちはわからないでもない。が、ソフィア妃は好きで懐妊しない訳ではないだろうに……。
「正直なところを話すと、私はソフィア妃や二妃よりも、我が一族の三妃にこそ王子を産んでもらいたい。でもね……ソフィア妃が打算無く陛下をお慕いする姿を知っているからかな。お心に重荷を背負ったまま、生涯を過ごされるのかと思うとなんだかお気の毒でね。君がソフィア妃のお心を癒してくれると言うなら、ありがたく思う」
柔らかく笑んでいるセインに、アナベルは光の気配を強く感じた。
「いくら伯母君であっても、そちらの言葉にだけ重きを置いて、セインを敵と見做したソフィア王妃様を恨みに思わず、心配して差し上げることができる。セインはきっと、光属性の中でも特別立派な方ですね」
歴史に名を残す聖人に並び立つかもしれない。
本気でそう思って尊敬するアナベルに、セインは照れた様子で首筋を掻いた。
「そんな……まっすぐに褒められると参るな。君のほうがはるかに褒め上手だよ」
褒め上手になった覚えなどないが、可愛い仕草を見られたのでアナベルは目を細める。
「明日は頑張ります」
セインと、第一王妃が笑顔になれる結末を目指して……。
アナベルはその目標を強く心に刻む。すると、余計におなかがすいたように感じた。
ワッフルも、フルーツケーキも、マドレーヌも、ババロアも、どんどんおなかに入っていく。
もしかすると、本当に用意してもらったすべてを食べきってしまうかもしれない。そんな予測が脳裏に過ったところで、アナベルは己の意思と関係なく強烈な眠気に襲われた。




