099.ケーキが意地悪? そんなことはありえません
「私が嬉しくなる食べ物とは、ケーキ?」
きゅきゅに問うと、かわいらしく首が縦に振られた。
【あなたは昨夜、ケーキをごちそうになったと教えてくれたでしょ? とても嬉しそうな笑顔だったから、セインが、自分もごちそうしたいと屋敷の者たちに言ったのよ】
「セインは、私を喜ばせすぎよ……」
アナベルは、ケーキをごちそうになったことは軽く言ったに過ぎないのに、彼はその時の表情まで覚えてくれているなど、感激するばかりだ。
「これくらいは大丈夫だと思う。アナベルは魔法を使うとおなかがすくそうだから……」
室内からセインの声が聞こえてくる。
「そうか、それなら大丈夫か……なんて言うと思うか? これらをすべて食べさせたら、おなかを壊すに決まっている。おまえが食えと言ったら、彼女は絶対に無理をするぞ。大切にしたいと思っているなら、おかしな意地悪はしてやるな」
「意地悪しているつもりはないのだが……」
「これが意地悪でなくて、何だというのだ? ようやく見つけた結婚相手に、こんなくだらないことをしてきらわれてどうする。婚約破棄して逃げられても、おまえは納得できるのか?」
セインは何やらジャンに言い訳しているように聞こえるが、ジャンのほうはそれを一刀両断していた。
「いや、それはできないが……これは、きらわれるのかな?」
「きらわれるに決まっている」
弱り切ったセインの声に、ジャンがきっぱりと返した。
【セインは意地悪なんかしてないわ! 私もあなたなら大丈夫だと思ったし……喜んでもらえると思って用意したのよ】
きゅきゅに必死の目で見つめられる。
アナベルは、その目に微笑んで見せた。
「ケーキを用意してもらって、意地悪されているなんて思わないわ」
ましてや、きらうなどありえないことだ。
作るのも大好きだが食べるのも好きなアナベルは、どんなケーキが待っているのだろうとわくわくしながら入室した。
「セイン。ただいま戻りました……!」
アナベルの視界に飛び込んできたのは、純白のテーブルクロスがかけられた、楕円形の広いテーブルだった。
そこには、色とりどりのスイーツたちが存在した。
美味しそうなのは無論のこと、華やかで、それでいて上品な……見た目も美しいケーキ、パイ、エクレア、シュークリーム、タルト、ムース、ババロアなどなど。
長方形の大きな銀盆四つに、ぱっと見では数が把握できないほどたくさん用意されている。
それだけでなく、三段となる銀製の立派なケーキスタンドもあり、そちらにも宝石の輝きを放つフルーツケーキが並べられていた。
なんとも魅惑的な光景は、アナベルから前長官の死の衝撃も、不安な気持ちも吹き飛ばすものだった。
しばし夢心地となって見惚れる……。
「おかえり、アナベル。とても疲れているように見えるよ。無理はしてほしくないな……」
アナベルが入室したのを見て表情を緩めたセインだったが、傍に来ると憂い顔なった。
「お気遣いありがとうございます。魔法屋で無理をしたわけではないのです。実は……」
頬に触れた柔らかい手に、なんだかとてもほっとする。アナベルは魔法屋にグレアムが訪れたこと、そして、前長官の死を伝えた。
「前長官はラッセル侯爵を頼って断られ……その帰りに、毒の呪いに侵され亡くなったのか……」
前長官が見捨てられることは予測できても、突然死には驚きを隠せないようで、セインは息を呑んでいた。
「私が先日填められた呪いの腕輪と同じく、魔法では解呪できない呪いでした」
「そんな呪いをかけられる魔法使いがラッセル家にいるとは思えないが、状況から見てラッセル侯爵が無関係とは考えにくいな」
軽く腕を組み、複雑な顔をして呟くように言葉を口に乗せるセインに同意する。
「前長官もそう言っていました。気味の悪い話です」
考え込みそうになるアナベルの肩を、セインが軽く叩いた。
「不明なことが気になるだろうが、とりあえず今は、これらを食べて疲れを癒してはどうかな」
まるで夢の世界のように素晴らしく、アナベルの心をこの上なく魅了するテーブルを示され、破顔する。
「いただいて、よろしいのですか?」
「もちろんだよ。君を誰よりもてなすのは、常に私でありたい」
席へと促してくれるセインにアナベルは、考えなければならないことがあるにもかかわらず、すっかりケーキたちに気を取られてしまう。あまりに嬉しすぎて、足元が弾みそうだった。
「オリヴィア嬢よりも自分が喜ばせたいからと、これはやりすぎだろう? 女性の食べる量くらいわかるだろうに……」
腕を組んでいるジャンが、ため息交じりに言った。
アナベルがそちらに視線を向けると、案じるような顔をして、無理して食べなくてもいいからと忠告してきた。
「無理? あ、夕食のことを考えると、すべて食べるのは駄目かもしれませんね……」
席に着いて少し考える。
傍らの席に着いたセインに、お願いすることにした。
「今、半分食べて、残りは夕食のデザートということにしてもよろしいですか? せっかく作っていただく夕食も、きちんといただきたいですので」
「好きなように食べるといいよ」
セインが機嫌よく頷いてくれる。その肩に移ったきゅきゅも、同じように笑っていた。
笑顔が消えているのは、ジャンだけだった。
「アナベル、本気か? その、冗談を通り越していびるためとしか思えない数の菓子を、君はすべて食べるつもりか?」
「いびるなんて、とんでもない。ありがたくいただきます!」
ぎょっとしてこちらを見ているジャンの気持ちはよくわからない。喜びに胸弾ませるアナベルは、満開の笑みでセインに深く感謝を捧げ、フォークを手にした。
「…………奇跡の魔法使いは、尋常でなく食べる人間でもあったわけだ」
長方形の銀盆一つ。アナベルが、そこに並べられていたケーキやタルトレットをあっさりと食べきったところで、ジャンは軽く肩を竦めるようにして、部屋から去った。
【お店のケーキよりも、ここのケーキのほうがおいしいでしょう?】
「おいしいわ! まさか、あの店のケーキよりもおいしい品を食べられるとは……私、こんなに幸せでいいのかしら」
きゅきゅに問われてアナベルは大きく頷く。
半分残すと言ったが、あまりのおいしさに手が止まらない。この調子ではすべて食べてから夕食の席に着いてしまいそうだった。
「幸せでいいんだよ。でもこんな些細なことでなく、君にはもっともっと大きな幸せをあげたいな」
紅茶を飲むセインが、微笑みを浮かべてアナベルを見ている。本気で言っているのがわかるその言葉に、アナベルははにかみながら笑った。
「セインは本当に私を喜ばせるのがお上手ですね」
心が舞い上がってしまって、もうそれしか言えない。
「君のほうが上手だよ。君という存在に、私がどれほど救われ喜ばせてもらっていることか……」
しみじみと語られ、アナベルはセインが自分を見る情愛深い眼差しに赤面してしまう。
「あ……あの、……そんなに私を持ち上げないでください。結局、お役に立てなかったわけですし……」
「なんのことだい?」
舌がもつれてしどろもどろになるアナベルに、セインが怪訝な顔をした。
「オリヴィア嬢のほうが何枚も上手で……魔法屋での情報収集は上手くいきませんでした。信奉者が数多くいる彼女の社交界での影響力は、私が思う以上のようです」
苦笑しつつ報告すると、そっと頭を撫でられた。
「君が社交に慣れればすぐに逆転できるよ。今だけ、オリヴィア嬢に譲ってあげるといい」
「私を甘やかすのが、上手すぎませんか?」
思わず問うてしまうと、楽しそうな笑みが返ってきた。
「本当のことを言っただけで、特に甘やかそうとして言ったのではないよ。でも、喜んでもらえたなら嬉しいな」
「やはり、上手すぎます。私もセインのようにありたいのですが、駄目ですね」
「駄目じゃないよ」
見習いたいのに見習えない己にため息が出そうになるアナベルの言葉を、セインは躊躇うことなく、否定してくれた。
その優しさをありがたく思うも、役に立てない事実に変わりはない……。
「……グレアム・ターナーが言うには、前長官の持つ奴隷買いに関する書類の記載は、すべて前長官のみの名となっていて、ラッセル侯爵が奴隷買いをしている証拠を見つけるのは難しいそうです。それでも、本人に直接問い質せば何か一つくらいは、ラッセル侯爵の断罪に使える物を得られたかもしれません。……ですから、前長官の呪いはなんとか解いて生かしておきたかったです」
解呪方法が解読できず、手をこまねいている内に死なせてしまったことが口惜しい。
フォークをぎゅっと強く握りしめてしまうアナベルの背に、ポン、と優しくセインの手が触れた。




