↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
箱庭のアルス・マグナ ~最弱の「観測者」は〇〇〇~  作者: やみー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/3

第1章 パート1:冷たい大理石と馬車の列

大聖堂の内部は、外の広場よりも底冷えしていた。


見上げるほど高い天井を支える石柱が、薄暗がりの中に等間隔で並んでいる。高窓のステンドグラスから落ちる朝光は、白大理石の床に青や紫の濁った影を落としていた。幾重にも焚かれた乳香の煙が漂い、鼻の奥をツンと刺す。


足音が反響する中、十五を迎えた子供たちは二列に分かれて祭壇へ進まされていた。


大聖堂の最奥、一段高い祭壇の中央に置かれているのは、大人の胴回りほどもある巨大な水晶球だ。台座には幾何学模様が刻まれ、内部で淡い光の澱がゆっくりとうごめいている。古代遺物『魔光水晶』。


魂の奥にある能力値と、神から与えられる先天的な力——『恩恵』を引き出して数値化する装置だ。


「次、前へ」


壇上に立つ白衣の神官が、羊皮紙と羽ペンを手にしたまま促す。抑揚のない事務的な声だ。

その脇には、若い神官補佐のバルトが控えていた。銀縁の眼鏡の奥で、水晶の台座に組み込まれた魔導回路の出力を淡々と指先で追っている。


右側の列から、豪奢な上着を着た貴族の少年が進み出た。


少年が硬い面持ちで水晶へ両手を重ねる。数秒の間を置き、水晶の内部が眩い金色に発光した。台座の石板へ、光の文字列が浮き上がる。


【恩恵:重騎兵の剛力】

【筋力補正:+180%】

【耐久補正:+150%】


神官たちの口元がわずかに緩み、短く頷き交わされた。


「良き恩恵だ。近衛騎士団の予備枠として登録する」


少年は誇らしげに顎を引き、専用の出口へと歩を進めた。

この世界に、努力や経験で後から新しい魔法が生えてくる仕組みはない。十五のこの瞬間に授かる『恩恵』こそが、そのまま生涯の役割と階級を規定する。


左側の平民の列が進むにつれ、周囲の空気は重く淀んでいった。


水晶の光は鈍い灰色や茶色に濁り、浮かび上がるのは【農具習熟・小】や【荷運びの足】といった、わずかな補正を伴う生活スキルばかり。光すら灯らず、補正値が一桁にとどまる者もいる。


「次、下がれ」


水晶から手を離した平民の子供を事務的に追い払い、神官は顔も上げずに次の者を呼ぶ。


「次だ、前へ出ろ」


役立つ恩恵を得たごく少数は右手の扉へ。残る大部分は、蒼白な顔で唇を噛み締めながら、左奥の通用口へ押し流されていく。


「……次、そこの少年。前へ」


神官の指先が、列の端にいたノアを指した。


ノアは無言で列を抜け、祭壇の階段を踏みしめた。

発育不良の細い脚。すり減った靴底を通して、大理石の刺すような冷たさが足首まで這い上がってくる。


目の前に据えられた魔光水晶は、底知れぬ深海の水を固めたような暗がりを湛えていた。


「両手を表面に乗せろ。力を抜け」


指示に従い、ノアは乾いた両掌を冷たい曲面へ押し当てた。


氷水を直接流し込まれたような悪寒が、指先から腕を伝って全身を駆け巡る。心臓が跳ね、脈拍が乱れた。魂の奥、何重にも鍵をかけていた領域を外側から爪で引っ掻かれるような違和感。


(……来るか)


奥歯を噛み、呼吸を細く整える。


だが、水晶は輝かなかった。

右列の貴族が見せた目も眩む金光も、平民たちの鈍い光すら灯らない。


ただ底のあたりで、豆粒ほどの青白い火花がチリチリと不規則に弾けた。


(……遅い)


ノアの眉がかすかに動いた。

他の子供たちは手を触れて二秒と経たずに光が走った。だが、今は五秒、十秒が過ぎても結果が出ない。

水晶の奥で、何かが激しく引っかかっている。

入力に対して反応が返ってこない——かつて深夜のオフィスで何度も味わった、処理落ちの不気味な沈黙に酷似していた。


カチリ、と硬い音がして、台座の石板に掠れた線がパラパラと遅れて浮かび上がった。


記録神官の手が止まる。

神官は眉根を寄せ、羽ペンの先で石板の文字をなぞった。


「……おい、確認しろ。台座の感度が落ちているのではないか?」


神官の耳打ちに、補佐のバルトが素早く台座の側面に触れた。

魔導回路の継ぎ目を指先でなぞり、表示された数値と計器を照合する。


「いえ……回路の魔力供給は正常です。読み取り手順に異常はありません」


バルトの声は平坦だった。だが、眼鏡の奥の視線は、石板に刻まれた数値の末尾で不自然に止まっている。

(回路に異常はない。だが、なぜ読み込みにこれほどのタイムラグが発生した? それに……この数値はなんだ?)


神官は怪訝そうに鼻を鳴らし、早く列を捌こうと冷え切った視線をノアへ投げ落とした。


「……判定を読み上げる。ノア」


大理石の壁に乾いた声が跳ね返る。姓はない。


「基礎ステータス——筋力4、敏捷6、耐久5、知力18、生命力22。恩恵による能力補正値、全項目においてゼロ。魔力値、ゼロ」


控えていた神殿騎士たちの間で、わずかに視線が交わされた。

全項目ゼロ。その上、魔力ゼロ。

どれほど貧しい平民でも、十五年生きれば何らかの補正が肉体に乗る。無補正かつ魔力なしというのは、生きるための初期値すら与えられていない、規格外の欠陥品だ。


「保有スキル、【観測者】」


神官は吐き捨てるように告げる。


「過去の記録を照合。……攻撃力なし。身体強化機能なし。視覚をわずかに遠方へ投射する以上の効果は確認されず、実用価値なし。総合判定、最下級の外れ値だ」


神官は面倒そうに息を吐き、カウンターに山積みにされていた『最下級』の木札を一枚掴むと、ノアの足元へ放り出すように投げ渡した。


「次だ。その木札を持って左奥の第三通用門へ行け。立ち止まるな」


ノアは何も言わず、床に落ちた黒ずんだ木札を指先で拾い上げた。


その背後で、神官補佐のバルトの手元だけが異様に速く動いていた。

バルトは手元の羊皮紙の余白へ、羽ペンを走らせる。

『識別名:ノア/全補正ゼロ/魔力ゼロ/読み込み遅延およそ八秒』

(あり得ない。どれほど不遇な生まれの平民でも、肉体か知力のいずれかに数パーセントの補正が乗るのがこの水晶の絶対法則だ。全項目が完全にゼロなどという記録は、過去百年の教会の台帳にも存在しない……)

バルトの冷徹な眼差しが、通用口へ向かうノアの細い背中に細く鋭く突き刺さっていた。


(筋力4、耐久5、魔力ゼロ)


薄暗い通路を歩きながら、ノアは胸の中で数値を反芻した。

驚きはない。重い荷物を抱えられず、大人の足で蹴られただけで息が詰まった十五年。その理由が符合しただけだ。


だが、左胸の奥に手を当てたノアの意識は、全く別の引っかかりを捉えていた。


(神官は、遠くが見えるだけのハズレスキルだと言った)


だが、水晶に触れた瞬間、掌を伝って頭の奥へ流れ込んできたのは、奇妙に整然とした冷たい気配だった。あの不気味な読み込みの遅延と、冷たい感触。

(何かがおかしい。……だが、確たる仮説を組むにはサンプルが少なすぎる)


ノアは思考を一旦棚上げし、感情の波を押し殺した。


通用口の重い鉄扉をくぐると、数十名の子供たちが地面に座り込んでいた。

誰もが同じ『最下級』の札を握りしめ、泥で汚れた膝を見つめている。


出口の先には、窓に太い鉄格子が嵌まった大型の幌馬車が列をなしていた。

車体には王都の紋章と並び、白百合と剣——王立学園の校章が刻まれている。


「番号札を見せろ。……貴様は三号車だ。乗れ」


灰色の外套を着た職員が、機械的な手つきで子供たちを荷台へ押し込んでいく。

行く先は王都の北西の果て。エリートを育成する学園の敷地の隅に設けられた、使い捨ての労働力を押し込める吹き溜まり——『Fクラス』。


背を押され、ノアは鉄格子の嵌まった馬車へ足を乗せた。


軋む車輪の音を立て、馬車が動き出す。

窓の隙間から見上げた王都の空は、厚い灰色の雲に覆われ、冷たい風が吹き抜けていた。


ノアは膝を抱え、薄い布越しに伝わる荷台の冷えをじっと受け止めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。