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影狼ノ忍  作者: 次男坊
第6章「戦国武将編」
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第183話「忍びの役目」

黒影衆の里に、穏やかな朝が訪れていた。

蒼真は医療所から自室へ戻る途中、訓練場の前で足を止めた。

そこでは若い忍びたちが、二人一組になって体術の稽古を行っていた。

一人が踏み込み、もう一人が攻撃を受け流す。

指導役の中忍が動きを止め、足の運び方を説明している。

「……いいな」

蒼真は小さく呟いた。

脇腹の傷は以前より回復していた。

しかし、激しい運動や風遁の使用は、まだ許可されていない。

昨日も風間コウガから、無理をしないよう念を押されたばかりだった。

蒼真は訓練場から目を離し、歩き出そうとした。

「蒼真」

背後から声がした。

振り返ると、影宗が立っていた。

「影宗さん」

「こんなところで何をしている?」

「少し、訓練を見ていました」

影宗は訓練場へ目を向けた。

「身体を動かしたくなったか?」

蒼真は苦笑した。

「……正直、かなり」

「そうだろうな」

「でも、今日は何もしてませんよ」

「分かっている」

影宗は静かに頷いた。

「少し時間はあるか?」

「はい」

「なら、付き合ってくれ」

蒼真は不思議そうに首を傾げた。

「どこへ行くんですか?」

「里の北側だ」

影宗は歩き始めた。

「お前に見せたいものがある」

蒼真はその後を追った。

二人が向かったのは、里の北側にある小さな見張り台だった。

そこからは、黒影衆の里を囲む森と、その先に続く山道が見渡せる。

見張り台には、二人の下忍が配置されていた。

影宗の姿に気づき、姿勢を正す。

「影宗様!」

「ご苦労」

影宗は二人へ声をかけた。

「異常はないか?」

「はい。北側の山道に異常はありません」

「交代まで、あとどれくらいだ?」

「半刻ほどです」

「分かった。引き続き警戒を頼む」

「了解しました!」

蒼真は二人の様子を見ていた。

影宗が尋ねた。

「蒼真、あの二人の任務は何だ?」

「里の見張りです」

「そうだ。では、敵が現れなければ、あの二人は何もしていないことになるか?」

蒼真は首を振った。

「いえ。敵が来ないか確認するのも任務です」

「その通りだ」

影宗は見張り台から里を見下ろした。

「忍びの仕事は、敵と戦うことだけではない」

蒼真は黙って耳を傾けた。

「見張り、情報収集、護衛、連絡、物資の運搬。どれか一つが欠けても、任務は成り立たん」

「……はい」

「戦場で剣を振るう者だけが、仲間を守っているわけではないんだ」

蒼真は見張りの二人へ視線を向けた。

「……分かっているつもりでした」

影宗が顔を向ける。

「つもり?」

「でも、怪我をしてから、何もできない自分が嫌になって」

蒼真は右手を握った。

「みんなが動いているのに、俺だけ止まっているような気がするんです」

影宗はしばらく黙っていた。

そして、静かに口を開いた。

「止まることと、何もしないことは違う」

「……?」

「今のお前は、傷を治すために戦うことを控えている。それは必要な判断だ」

蒼真は顔を上げた。

「ですが、敵が現れたら……」

「その時に備えるためにも、今は回復しなければならん」

影宗は続けた。

「一度の戦いに勝つことだけを考えるな。次の任務、その次の任務まで生き抜くことを考えろ」

蒼真はその言葉を繰り返した。

「……生き抜くこと」

「ああ」

影宗は頷いた。

「強い忍びほど、自分が戦うべき時と、退くべき時を見極めなければならん」

蒼真はしばらく考え込んだ。

「……影宗さん」

「何だ?」

「もし、自分が戦えない時に仲間が危険になったら、どうすればいいんですか?」

影宗は即答しなかった。

遠くの山並みへ視線を向けてから、答えた。

「その時にできることを考えろ」

「できること……」

「敵を倒せなくても、仲間へ危険を知らせることはできるかもしれん。負傷者を支えることも、情報を伝えることもできる」

「……はい」

「何もできないと決めつけた瞬間、本当に何も見えなくなる」

蒼真は目を伏せた。

これまでの戦いでは、目の前の敵を倒すことばかり考えていた時もあった。

だが、仲間たちが自分を支えてくれた場面は何度もある。

蓮司が敵の攻撃を引き受け、凛が水遁で退路を確保し、レイが危険を察知して知らせてくれた。

誰か一人の力で生き残ってきたわけではなかった。

「……俺、まだ考えが足りませんでした」

影宗は小さく笑った。

「気づけたなら、それでいい」

蒼真は頷いた。

「はい」

二人は見張り台を下り、里の道を歩き始めた。

その途中、蒼真は以前から気になっていたことを思い出した。

「影宗さん」

「どうした?」

「風影刀のことなんですけど」

影宗の足が僅かに止まった。

「……ああ」

「調査は進んでいますか?」

蒼真は真剣な表情で尋ねた。

「俺が持っている刀なのに、まだ知らないことが多すぎる気がして」

影宗は蒼真を見つめた。

「調査は続けている」

「何か分かりましたか?」

「古い記録を確認しているが、まだお前に確かなこととして伝えられる段階ではない」

蒼真は少し残念そうに頷いた。

「……そうですか」

影宗は続けた。

「ただ、一つ約束する」

「何ですか?」

「お前に関わる重要なことが明らかになれば、きちんと話す」

蒼真は影宗の目を見た。

「……分かりました」

「それまでは、身体を治すことに集中しろ」

「はい」

影宗は再び歩き出した。

蒼真もその後を追った。

風影刀の秘密は、まだ明らかになっていない。

影宗自身も、失われた古い記録の行方を追っている途中だった。

だが、今この場で不確かな情報を伝えるつもりはなかった。

里の中央へ戻ると、数人の忍びが本部へ向かっていた。

蒼真はその姿を見て尋ねた。

「何か任務ですか?」

影宗は頷いた。

「東国から新しい報告が届いた」

蒼真の表情が変わった。

「東国……東雲家と黒田家の件ですか?」

「そうだ」

「何かあったんですか?」

影宗は少し考えてから答えた。

「村の襲撃事件を調べていた仲間が、重要な証人を保護した」

「証人?」

「ああ。襲撃前に、村の周辺を調べるよう依頼された者たちだ」

蒼真は驚いた。

「……それって、襲撃に関わっている人間なんですか?」

「まだ分からん」

影宗は首を振った。

「本人たちは、襲撃が行われることを知らなかったと証言している」

「……そうなんですね」

「だが、その情報が襲撃に利用された可能性はある」

蒼真は眉を寄せた。

「誰が依頼したんですか?」

「それも調査中だ」

影宗は続けた。

「今は東雲家も黒田家も、相手を疑っている。だが、疑いだけで戦を始めれば、関係のない村人たちが犠牲になる」

蒼真は黙って聞いていた。

「……俺たちが戦ってきた敵とは、少し違いますね」

「そうだな」

影宗は頷いた。

「相手が誰かも分からず、何が真実かも分からない。そういう任務もある」

蒼真は拳を握った。

「……俺も、何か力になりたいです」

「その気持ちは大切だ」

影宗は答えた。

「だが、今のお前に戦場へ行けとは言わん」

「……はい」

「代わりに、一つ頼みたいことがある」

蒼真は顔を上げた。

「何ですか?」

「今までの任務で、自分たちが見落としたことを振り返ってみろ」

「見落としたこと?」

「ああ。戦闘の最中、敵の動きや仲間の位置をどこまで把握できていたか。撤退の判断は適切だったか」

蒼真は考え込んだ。

「……それなら、今でもできます」

「そうだ」

影宗は頷いた。

「身体を動かさずとも、学べることはある」

蒼真は表情を引き締めた。

「分かりました。やってみます」

影宗は満足そうに頷いた。

「期待している」

その日の午後、蒼真は自室で一冊の帳面を開いていた。

机の上には、これまでの任務で書き残した記録が並んでいる。

蒼真は最初の頁を開いた。

そこには、かつて仲間たちと向かった任務の経路が簡単に記されていた。

「……この時、俺は前ばかり見てたな」

蒼真は小さく呟いた。

敵の動きを追うことに集中し、背後の仲間がどう動いていたかを十分に確認していなかった。

別の頁を開く。

「……ここは凛が退路を作ってくれたんだ」

さらに頁をめくる。

「レイが敵の動きに気づいてなかったら、危なかったな」

記録を読み返すたびに、当時は気づかなかったことが見えてくる。

蒼真は筆を取り、新しい頁へ書き始めた。

『戦う前に、仲間の位置を確認する』

『敵を追う時は、退路を失わない』

『自分だけで判断せず、仲間の状況を考える』

書き終えると、蒼真はしばらく文字を見つめた。

「……強くなるって、術を増やすことだけじゃないんだな」

その時、部屋の外から声がした。

「蒼真、いる?」

凛だった。

「いるぞ」

扉が開き、凛が顔を出した。

「何してるの?」

「昔の任務を振り返ってた」

「珍しいわね」

「影宗さんに言われたんだ」

凛は机の上の帳面を見た。

「……なるほど」

蒼真が尋ねた。

「凛も一緒にやらないか?」

「私も?」

「ああ。俺一人じゃ気づけないこともあると思うし」

凛は少し考えてから頷いた。

「いいわよ」

二人は机を挟んで座った。

蒼真は記録を指差した。

「この時、俺は敵を追いかけようとしただろ?」

「ええ。覚えてる」

「凛はどう思ってた?」

「正直、少し危ないと思ってたわ」

蒼真は顔を上げた。

「そうだったのか?」

「だって、周囲の状況が分からないまま進もうとしてたもの」

「……確かに」

凛は続けた。

「でも、私もその時は上手く伝えられなかった」

「……」

「だから、次はちゃんと声をかけるようにしたい」

蒼真は頷いた。

「俺も、周りを見るようにする」

二人はその後も、過去の任務について話し合った。

敵との戦い方だけではない。

仲間同士の連携、情報の伝え方、撤退する時の判断。

これまで当然のように行ってきたことを、一つずつ確かめていった。

夕方になり、凛が帳面を閉じた。

「……思ったより勉強になるわね」

蒼真は笑った。

「だろ?」

「身体を動かせない間に、こういうことをするのも悪くないかもしれない」

「ああ」

蒼真は窓の外を見た。

訓練場では、夕方の稽古を終えた忍びたちが帰っていく。

以前なら、自分もその中にいた。

だが、今日は不思議と焦りを感じなかった。

「……凛」

「何?」

「俺、早く戦えるようになりたいって、そればっかり考えてた」

凛は黙って聞いていた。

「でも、今の時間も無駄じゃないんだな」

凛は微笑んだ。

「そうね」

蒼真は帳面を閉じた。

「次に任務へ出る時は、今までより周りを見られるようになりたい」

「私もよ」

二人は顔を見合わせた。

身体の傷は、まだ完全には治っていない。

戦場へ戻る日も決まっていなかった。

それでも、蒼真は少しずつ前へ進んでいた。

剣を振るわずとも、忍術を使わずとも、学べることはある。

そして、その学びがいつか仲間を守る力になる。

蒼真は机の上の帳面へ、最後に一行を書き加えた。

『忍びの役目は、敵を倒すことだけではない』

その文字を見つめながら、蒼真は静かに頷いた。

第183話 完

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