第180話「明かされた依頼」
白瀬峠の南方にある小さな宿場町。
山中での戦闘から半日が経過し、神楽トウマ率いる黒影衆の調査隊は、保護した二人の男を連れて宿へ入っていた。
宿の主人に事情を説明し、人目につきにくい奥の部屋を借りている。
「……足の具合はどうだ?」
トウマが尋ねた。
若い男は布で固定された右足を見下ろした。
「まだ痛むけど、さっきよりは楽です」
望月サキが答えた。
「宿の主人に薬師を呼んでもらったわ。診てもらうまでは無理に動かないで」
「ありがとうございます」
若い男は頭を下げた。
隣では背の高い男が、腹部を押さえながら座っている。
霧谷ハヤセは二人の向かいに腰を下ろした。
「では、改めて話を聞かせてください」
背の高い男が頷いた。
「……分かった」
トウマは静かに告げた。
「まず、名前から聞こう」
「俺は宮原宗介。三十四歳だ」
背の高い男が答えた。
「普段は荷運びや道案内の仕事をしている」
若い男も口を開いた。
「俺は小野寺春樹。二十二歳です。宗介さんと一緒に仕事をしています」
トウマは二人の名前を記録した。
「宮原宗介と小野寺春樹だな」
「ああ」
「では、今回の依頼について話してくれ」
宗介は深く息を吸った。
「……始まりは、十日ほど前だった」
宗介は膝の上で拳を握った。
「白瀬村から少し離れた宿場で、仕事を探していた時だ」
「誰かに声をかけられたのか?」
ハヤセが尋ねた。
「ああ。三十代くらいの男だった」
「顔は?」
「深く編笠を被っていた。顔の下半分しか見えなかった」
トウマが尋ねた。
「名前は名乗ったか?」
「いや。ただ、商いに使う道を調べてほしいと言われた」
宗介は続けた。
「白瀬村の北側にある林道と、川の上流へ抜ける山道だ」
サキの表情が変わった。
「……北の林道?」
「そうだ」
「ほかには?」
「村の見張りが交代する時間と、夜間に人が通れる道があるかどうか」
トウマは筆を止めた。
「……それを商いに使うと言ったのか?」
宗介は頷いた。
「最初はそう説明された」
「不自然だとは思わなかったのか?」
宗介は俯いた。
「……思った」
春樹が口を開いた。
「俺も変だと思いました。でも、報酬が普通の仕事の何倍もあったんです」
「いくらだ?」
ハヤセが尋ねた。
「銀貨で三十枚です」
ユウトが驚いた。
「……道を調べるだけで?」
春樹は頷いた。
「はい」
トウマは静かに言った。
「……それだけの金を払う理由があったということだな」
宗介は話を続けた。
「俺たちは二日かけて道を調べた」
「白瀬村にも入ったのか?」
「いや。村の中までは入っていない」
宗介は首を振った。
「北の林から見張りの動きを確認しただけだ」
ハヤセが尋ねた。
「交代時間は分かったのか?」
「一度だけ確認できた。夜中に二人の見張りが交代していた」
トウマは以前、林で発見した紙片を思い出した。
『北の見張り、三刻後に交代』
「……報告はどうやって渡した?」
宗介が答えた。
「紙に書いて、指定された場所へ置いた」
「場所は?」
「北の林にある、倒れた大木の根元だ」
サキが尋ねた。
「依頼主に直接渡したわけではないのね?」
「ああ」
「誰が受け取ったかは?」
「分からない」
トウマは記録を続けた。
「……報告した内容を、覚えている範囲で教えてくれ」
宗介は頷いた。
「北の林道には古い炭焼き道がある。川沿いを通らずに村の裏手へ出られる」
ハヤセが顔を上げた。
「……その道は、我々も調査しました」
「そうなのか?」
「ああ。木に縄を張ったような痕跡があった」
宗介は少し考えた。
「……俺たちが調べた時には、縄はなかったと思う」
トウマは頷いた。
「分かった。続けてくれ」
「報告を終えた翌日、報酬を受け取った」
宗介が言った。
「同じ男からか?」
「いや。別の男だった」
「……どんな男だ?」
「黒い頭巾を被っていた」
部屋の空気が変わった。
ユウトが思わず身を乗り出す。
「……山で襲ってきた男ですか?」
宗介は頷いた。
「間違いない」
トウマは静かに尋ねた。
「その時、何を言われた?」
「仕事は終わった。だが、しばらく白瀬村の近くには戻るなと」
「……それだけか?」
「北の峠へ向かえとも言われた」
宗介は続けた。
「途中の古い関所を通り、その先で次の指示を待てと」
ハヤセが呟いた。
「……廃関所か」
サキも頷いた。
「私たちが調べた場所ね」
春樹が口を開いた。
「でも、その後で村が襲われたって聞いたんです」
トウマは春樹を見た。
「いつ知った?」
「峠へ向かう途中です。旅人が話していました」
春樹は拳を握った。
「村が焼かれて、人が死んだって……」
「……」
「俺たちが調べた道が使われたんじゃないかと思って」
春樹の声が震えた。
「だから、戻って話そうとしたんです」
トウマはしばらく黙っていた。
そして、宗介へ尋ねた。
「依頼主は、東雲家か黒田家の人間だと名乗ったか?」
「いや」
「家紋や旗は見たか?」
「見ていない」
「武士だったと思うか?」
宗介は首を傾げた。
「……分からん。ただ、言葉遣いは丁寧だった」
ハヤセが尋ねた。
「特徴的なものは?」
宗介は目を閉じ、記憶を辿った。
「……右手に手袋をしていた」
「右手だけ?」
「ああ。左手には何も着けていなかった」
トウマは筆を動かした。
「ほかには?」
「……歩き方が少し変わっていた」
サキが尋ねた。
「怪我をしていた?」
「いや。足を引きずっていたわけじゃない」
宗介は考え込んだ。
「ただ、右足をあまり大きく前へ出さなかった」
ハヤセは頷いた。
「……覚えておきます」
トウマは記録を閉じた。
「重要な証言だ。ありがとう」
宗介は顔を上げた。
「……俺たちは、どうなる?」
トウマは二人を見つめた。
「今の段階では、事件への関与を断定できない」
宗介は黙って聞いていた。
「だが、見張りの交代時間や村の裏道を調べ、依頼主へ渡したことは事実だ」
「……ああ」
「その情報が襲撃に使われた可能性はある」
春樹は俯いた。
「……やっぱり」
トウマは続けた。
「ただし、可能性と事実は違う」
春樹が顔を上げた。
「……?」
「お前たちが襲撃を計画した証拠はない。実行した証拠もない」
宗介は小さく息を吐いた。
「……そうか」
「だが、調査への協力は続けてもらう」
「分かった」
トウマは頷いた。
「それから、家族の件だ」
宗介の表情が引き締まった。
「……守ってもらえるのか?」
「里へ報告し、警護を要請する」
「……ありがとう」
「ただし、相手が何者か分からない以上、慎重に動く必要がある」
宗介は深く頭を下げた。
夕方。
宿の別室。
トウマは三人の部下を集めていた。
机の上には、これまでに集めた記録が並んでいる。
「……整理しよう」
トウマが告げた。
ハヤセが頷いた。
「依頼主は編笠を被った男。右手だけに手袋を着けていた」
サキが続けた。
「二人に調べさせたのは、北の林道と見張りの交代時間」
ユウトが言った。
「そして、報酬を渡したのが黒頭巾の忍びですね」
「そうだ」
トウマは頷いた。
「ただし、黒頭巾の男が依頼主と同じ組織に属しているかは分からん」
ハヤセは記録を見つめた。
「……村の襲撃と関係している可能性は高いですね」
「ああ。だが、決定的な証拠はない」
サキが尋ねた。
「東雲家へ報告しますか?」
「する」
トウマは答えた。
「ただし、黒田家が犯人だと決めつけるような報告はしない」
「……分かりました」
「両家が疑い合っている今、誤った情報は戦を招く」
ユウトは頷いた。
「……慎重に扱う必要がありますね」
トウマは窓の外を見た。
「それに、まだ気になることがある」
ハヤセが尋ねた。
「何でしょう?」
「黒頭巾の男が言っていた言葉だ」
『俺が失敗すれば、次が来る』
トウマは静かに続けた。
「……あの男だけで終わるとは思えん」
夜。
宿の廊下では、ユウトが見張りに立っていた。
部屋の中では宗介と春樹が休んでいる。
春樹は布団に横になりながら、宗介へ尋ねた。
「……俺たち、帰れるかな」
宗介は少し考えた。
「……帰れるようにする」
「母さん、大丈夫かな」
「黒影衆が動いてくれる」
春樹は天井を見つめた。
「……俺、もう危ない仕事はしない」
宗介は小さく笑った。
「俺もだ」
しばらく沈黙が続いた。
やがて春樹が口を開いた。
「……宗介さん」
「何だ?」
「話してよかったな」
宗介は静かに頷いた。
「……ああ」
二人はようやく、長い逃亡生活から解放されようとしていた。
しかし、その夜。
宿場町の外れにある林の中で、一人の男が立ち止まっていた。
黒い頭巾を被った男だった。
右肩には包帯が巻かれ、動くたびに顔をしかめている。
男は懐から小さな紙片を取り出した。
そこには、短い文字が記されていた。
『報告を待つ』
黒頭巾の男は紙片を握り潰した。
「……失敗した」
男は暗い空を見上げた。
「……次が来る前に、何とかしなければ」
そして、森の奥へ姿を消した。
白瀬村の襲撃事件。
その背後にいる者の正体は、まだ明らかになっていない。
だが、二人の証言によって、事件の輪郭は少しずつ見え始めていた。
第180話 完




