第177話「炎槍の反撃」
東国北部、白瀬峠の北方。
朝霧に包まれた山道で、神楽トウマと霧谷ハヤセは黒頭巾の忍びと対峙していた。
背後には、保護した二人の男。
その二人を狙う敵は、短刀を構えたまま印を結んでいる。
「ハヤセ、足元に注意しろ」
トウマが告げた。
「了解しました」
黒頭巾の男は地面へ片手をついた。
「土遁・岩縛り」
土が盛り上がり、二人の足元へ伸びる。
ハヤセは後方へ跳んだ。
しかし、トウマは動かなかった。
「同じ術が通用すると思うな」
槍の石突きを地面へ突き立てる。
「火遁・炎槍!」
穂先に炎が宿った。
トウマは槍を大きく振り下ろし、迫る土の塊を砕いた。
崩れた土の向こうから、黒頭巾の男が飛び込んでくる。
「……!」
短刀がトウマの首元を狙った。
トウマは槍の柄で刃を受け止める。
「近づけば勝てると思っているのか?」
「長槍は懐に入れば不利になる」
「それは使い手が未熟な場合だ」
トウマは槍を短く握り直した。
そのまま柄を押し込み、男の胸元を突く。
黒頭巾の男は後方へ下がった。
「……なるほど」
男は短刀を構え直した。
「ただの火遁使いではないらしい」
トウマは答えた。
「お前も、ただの追跡者ではなさそうだな」
岩陰では、望月サキが若い男の足を確認していた。
「少し腫れが強くなっているわね」
「……歩けるかな」
「短い距離なら支えられるけど、走るのは無理よ」
若い男は唇を噛んだ。
「俺のせいで、みんな逃げられないんだろ」
サキは首を振った。
「今は自分を責めるより、指示を聞いて」
「……分かった」
早乙女ユウトは苦無を握り、山道の奥を警戒していた。
「サキさん、敵はまだ一人ですよね?」
「見えているのは一人だけ」
「……ほかにもいるかもしれない」
「そうね。だから周囲から目を離さないで」
その時、背の高い男が口を開いた。
「……あいつのことなら、少し知っている」
サキが振り返った。
「何を?」
「仕事を終えた後、俺たちを迎えに来た男だ」
「以前にも会っていたのね」
「ああ。ただ、名前は知らない」
男は戦いの方角を見つめた。
「だが、あいつは俺たちに金を渡した人物とは別人だ」
サキの表情が変わった。
「依頼主と、追跡者は別?」
「少なくとも、俺が会ったのは別の男だ」
「……重要な話ね」
サキは頷いた。
「詳しいことは安全な場所で聞かせて」
山道の中央。
黒頭巾の男は短刀を逆手に持ち替えた。
トウマはその動きを見逃さなかった。
「ハヤセ、右側へ回れ」
「はい」
ハヤセは素早く移動した。
男は二人を交互に見た。
「……挟み撃ちか」
「そう簡単に逃がすつもりはない」
トウマが答えた。
男は突然、ハヤセへ向かって踏み込んだ。
短刀が横へ振られる。
ハヤセは苦無で受け流した。
「……速い!」
続けて男の膝が腹部へ迫る。
ハヤセは腕で受け止め、後方へ下がった。
その隙にトウマが槍を突き出した。
黒頭巾の男は身体を捻ったが、穂先が左肩の傷をかすめた。
「……っ!」
男の表情が歪む。
トウマは槍を引き戻した。
「昨日の傷も残っているようだな」
「……余計な心配だ」
黒頭巾の男は後退した。
しかし、ハヤセが進路を塞ぐ。
「……逃げ道はありません」
男は低く笑った。
「本当にそう思うか?」
黒頭巾の男は左手で印を結んだ。
「土遁・地裂陣」
地面に細い亀裂が走った。
トウマは即座に後方へ跳ぶ。
「ハヤセ、離れろ!」
「はい!」
次の瞬間、二人の間の地面が盛り上がった。
土の壁が形成され、互いの姿が見えなくなる。
「……分断か!」
ハヤセは苦無を構えた。
壁の向こうから足音が聞こえる。
しかし、その足音はすぐに消えた。
「……どこへ?」
ハヤセは周囲を確認した。
その時、背後の地面が僅かに動いた。
「……!」
ハヤセは振り返った。
土の中から、黒頭巾の男が姿を現した。
短刀が迫る。
ハヤセは身を捻ったが、右腕の袖が切り裂かれた。
「……くっ!」
男はさらに踏み込んだ。
しかし、ハヤセは地面を蹴り、距離を取った。
「……土の中を移動したのか」
黒頭巾の男は答えなかった。
再び短刀を構える。
土壁の反対側。
トウマは槍を握り直していた。
「……地裂陣か」
敵の術は、単純な攻撃ではない。
地形を変え、相手の視界と動きを制限する。
「……厄介な術だな」
トウマは壁へ手を伸ばした。
土はまだ柔らかく、完全には固まっていない。
「ならば、崩せばいい」
トウマは槍を構えた。
「火遁・炎槍!」
穂先に炎が集中する。
そして、槍を土壁へ突き出した。
熱を帯びた穂先が壁を貫き、亀裂が広がる。
トウマは槍を引き抜き、横へ払った。
土壁の一部が崩れ落ちた。
「……ハヤセ!」
視界が開ける。
その先では、ハヤセが黒頭巾の男と戦っていた。
「隊長!」
トウマは地面を蹴った。
黒頭巾の男は、トウマの接近に気づいた。
「……もう抜けてきたか」
男はハヤセから距離を取った。
しかし、トウマは追撃の手を緩めなかった。
「火遁・炎槍!」
炎を纏った槍が男へ迫る。
黒頭巾の男は短刀で受け止めようとした。
だが、槍の勢いに押され、後方へ下がる。
トウマはさらに踏み込んだ。
「……そこだ!」
槍の柄が男の右脇腹を捉えた。
「……っ!」
黒頭巾の男は身体を折り、膝をついた。
トウマは穂先を男の喉元へ向けた。
「……終わりだ」
男は荒い息を吐いた。
「……まだだ」
「これ以上戦えば、傷が深くなる」
「……俺には、退けない理由がある」
トウマは目を細めた。
「……誰かに命じられているのか?」
黒頭巾の男は答えなかった。
少し離れた場所。
ハヤセは右腕の傷を確認していた。
布が裂けただけで、深い傷ではない。
「……何とか動けるな」
その時、背後からユウトの声が聞こえた。
「ハヤセさん!」
ハヤセが振り返る。
「どうした?」
「サキさんが、二人を連れて少し下がっています!」
「分かった」
ユウトは戦いの方角を見た。
「……隊長が押していますね」
「ああ」
ハヤセは頷いた。
「だが、まだ終わっていない」
その言葉が終わる前に、黒頭巾の男が動いた。
トウマの槍先が喉元へ向けられたまま、黒頭巾の男は左手を地面へついた。
「……土遁・泥牢」
足元の土が突然、泥へ変わった。
トウマの足が沈み込む。
「……!」
男はその隙に身体を捻り、槍の穂先から逃れた。
「……甘いな」
黒頭巾の男は立ち上がった。
トウマは泥に沈んだ足を引き抜こうとした。
しかし、泥は粘りつき、動きを妨げる。
「……なるほど」
トウマは槍を握り直した。
「最後まで逃げるつもりか」
男は答えなかった。
代わりに、懐から小さな巻物を取り出した。
「……?」
トウマの表情が変わる。
黒頭巾の男は巻物を地面へ広げた。
そこには、複雑な術式が描かれていた。
「……封印術か」
ハヤセが叫んだ。
「隊長! 何か仕掛けています!」
トウマは槍を構えた。
「……分かっている!」
黒頭巾の男は印を結んだ。
「……ここまで追い詰められるとは思わなかった」
その声には、先ほどまでの余裕がなかった。
「だが、これで終わりだ」
巻物の術式が淡く光り始めた。
トウマは泥に沈んだ足を見下ろした。
そして、静かに息を吸った。
「……そう簡単に終わらせるものか」
槍の炎が、再び強く燃え上がった。
第177話 完




