第176話「口封じの刃」
東国北部、白瀬峠の北方。
朝霧の残る山道で、二人の忍びが向かい合っていた。
黒影衆の上忍、神楽トウマ。
そして、所属不明の黒頭巾の男。
トウマの手には長槍。
対する男は、右手に短刀を握っている。
「……最後に聞く」
トウマは槍の穂先を相手へ向けた。
「その二人を、なぜ北へ連れていこうとした?」
黒頭巾の男は答えなかった。
「二人は何を知っている?」
「……お前には関係ない」
「白瀬村で人が死んでいる。それでも関係ないと言うのか」
男の目が細くなった。
「俺は命令に従っているだけだ」
「誰の命令だ?」
「答えると思うか?」
トウマは静かに息を吐いた。
「……ならば、力ずくで止める」
黒頭巾の男が地面を蹴った。
短刀の切っ先がトウマの胸元へ迫る。
トウマは槍の柄で刃を受け流し、反対側から穂先を突き出した。
男は身体を捻って避ける。
続けて足元へ短刀を振るった。
「……!」
トウマは後方へ跳び、間合いを取り直した。
「槍の内側へ入るつもりか」
「長い武器は、近づけば邪魔になる」
「それは相手次第だ」
トウマは槍を短く持ち替えた。
黒頭巾の男は再び踏み込んだ。
少し離れた岩陰。
霧谷ハヤセは、保護した背の高い男の状態を確認していた。
「腹を蹴られたんですね」
「……ああ」
「息苦しさは?」
「少しあるが、動けないほどじゃない」
「無理はしないでください」
背の高い男は戦いの方角を見た。
「……あいつは強いのか?」
「忍びとしての訓練を受けています」
ハヤセは答えた。
「ただ、こちらの隊長も簡単には負けません」
「……そうか」
男は俯いた。
「俺たちが、余計なことをしたせいで……」
「それは後で聞きます」
ハヤセは男の言葉を遮った。
「今は生きて戻ることを考えてください」
その隣では、望月サキが若い男の足首に布を巻いていた。
「少し固定するわ。痛かったら言って」
「……分かった」
若い男は歯を食いしばった。
サキが慎重に布を締める。
「……これで多少は動かしやすくなると思う。でも、走るのは無理よ」
「ありがとう」
早乙女ユウトは周囲を警戒していた。
「……サキさん」
「何?」
「敵は本当に一人なんでしょうか?」
サキは手を止めた。
「分からないわ」
「昨日も突然現れました」
「だから、今は目の前の戦いだけ見ていては駄目」
ユウトは頷いた。
「……了解です」
山道の中央。
黒頭巾の男は短刀を低く構えた。
トウマは槍を横に払う。
男は身を屈めて避け、そのまま懐へ飛び込もうとした。
しかし、トウマは槍の石突きを地面へ突き立て、身体を支点にして回転した。
蹴りが男の脇腹を捉える。
「……っ!」
黒頭巾の男は数歩後退した。
トウマは追撃せず、距離を保った。
「……その程度で槍の間合いを潰せると思うな」
男は脇腹を押さえながら笑った。
「……なるほど。黒影衆の上忍か」
「名乗る気になったか?」
「いや」
男は短刀を逆手に持ち替えた。
「ただ、少し本気を出す必要がありそうだ」
トウマの表情が引き締まった。
男は左手で印を結んだ。
「……土遁・岩縛り」
地面の土が盛り上がり、トウマの足首へ絡みつく。
「……土遁か!」
トウマは槍を地面へ突き立てた。
「火遁・炎槍!」
穂先に炎が宿る。
トウマは槍を振り下ろし、足元の土を崩した。
しかし、その僅かな隙に黒頭巾の男が接近していた。
短刀がトウマの左腕をかすめる。
「……!」
袖が裂け、細い血の筋が浮かんだ。
トウマは槍の柄を押し出し、男を遠ざけた。
「……土遁も使うか」
黒頭巾の男は答えなかった。
「隊長が負傷した!」
ユウトが声を上げた。
ハヤセは戦いを確認した。
「浅い傷だ。今は動くな」
「でも……!」
「我々が持ち場を離れれば、二人が狙われる」
ユウトは唇を噛んだ。
その時、背の高い男が口を開いた。
「……あいつは、俺たちを北へ連れていくつもりだった」
ハヤセが振り返った。
「何か聞いたんですか?」
「いや。ただ、あいつは最初から北へ行けと繰り返していた」
「……なるほど」
若い男も顔を上げた。
「でも、俺たちは戻るって決めたんだ」
サキが尋ねた。
「どうして戻ろうと思ったの?」
若い男は少し黙った。
「……村が襲われたから」
「白瀬村?」
「そうだ」
若い男は拳を握った。
「俺たちが調べた道が、襲撃に使われたかもしれない」
ハヤセの表情が変わった。
「……道を調べた?」
背の高い男が若い男を制した。
「待て。ここで全部話すのは危険だ」
「……」
「まずは、この場を離れたい」
ハヤセは頷いた。
「分かりました」
そして、トウマへ視線を戻した。
「……隊長」
トウマは左腕の傷を確認した。
出血は少ない。
槍を握ることにも支障はなかった。
「……まだ戦えるな」
黒頭巾の男は短刀を構え直した。
「しぶといな」
「その言葉は、そのまま返そう」
トウマは槍を握り直した。
「……火遁・炎槍!」
炎が穂先を包む。
トウマは地面を蹴り、男へ迫った。
黒頭巾の男は短刀で受けようとしたが、炎の熱に顔を背けた。
その隙に、トウマの槍が男の肩口を捉える。
「……っ!」
黒い装束が裂け、血が滲んだ。
男は後方へ跳んだ。
トウマは槍を構えたまま言った。
「……終わりにしろ」
しかし、黒頭巾の男は首を振った。
「……まだだ」
男は懐から細い筒を取り出した。
トウマは警戒した。
「……何をする気だ?」
黒頭巾の男は筒を口元へ運んだ。
次の瞬間、細い針が放たれた。
トウマは槍を回転させ、針を弾いた。
だが、男の狙いはトウマではなかった。
針の一本が、岩陰へ向かって飛んでいた。
「……危ない!」
ユウトが叫んだ。
針は、若い男の胸元を狙っていた。
サキは即座に若い男を押し倒した。
針は背後の木に突き刺さった。
「……っ!」
若い男は目を見開いた。
「い、今のは……」
サキは木に刺さった針を見た。
「……狙いを変えた」
ハヤセが立ち上がった。
「隊長! 敵は証人を狙っています!」
トウマの表情が変わった。
「……何?」
黒頭巾の男は短刀を構えたまま、低く笑った。
「……余計なことを話されては困るのでな」
トウマは槍の穂先を向けた。
「……やはり口封じか」
「さあな」
男は答えた。
「命令は変わるものだ」
トウマは目を細めた。
「……ならば、なおさら逃がすわけにはいかん」
黒頭巾の男は地面を蹴った。
狙いは、再び岩陰にいる二人組だった。
「……行かせるか!」
トウマは槍を横へ払った。
男は身を屈めて避け、地面へ手をついた。
「土遁・土煙!」
乾いた土が巻き上がり、周囲の視界を遮る。
「……視界を奪う気か!」
トウマは槍を構えた。
土煙の向こうから、黒頭巾の男が姿を現した。
しかし、その進路にはハヤセが立っていた。
「……ここから先は通しません」
黒頭巾の男は足を止めた。
「……邪魔だ」
「それはこちらの台詞です」
ハヤセは苦無を構えた。
背後では、サキが二人組を守りながら後退している。
ユウトも苦無を握り、周囲を警戒していた。
トウマがハヤセの隣へ並んだ。
「……無理に倒そうとするな」
「了解しました」
「まずは二人を守る」
ハヤセは頷いた。
黒頭巾の男は二人を見つめた。
「……面倒な連中だ」
トウマは静かに答えた。
「人の命を狙う者に、道を譲るつもりはない」
黒頭巾の男は短刀を握り直した。
そして、再び印を結び始めた。
トウマも槍を構えた。
「……来るぞ」
山道を覆う霧の中で、戦いはさらに激しさを増そうとしていた。
第176話 完




