第174話「石橋の伝言」
東国北部、白瀬峠の北方。
山々の間を流れる細い川に、古びた石橋が架かっていた。
長い年月を経た橋の表面には苔が広がり、ところどころに亀裂が走っている。
その石橋へ、黒影衆の調査隊が到着した。
神楽トウマは橋の手前で足を止めた。
「……ここか」
隣では霧谷ハヤセが地図を確認している。
「はい。この先は北へ続く古道に合流します」
望月サキが周囲を見渡した。
「……人の気配はありませんね」
「そうだな」
トウマは頷いた。
「だが、ここを通った者がいる可能性はある」
早乙女ユウトが尋ねた。
「……二人組でしょうか?」
「まだ分からん」
トウマは橋の下へ目を向けた。
「まずは周囲を調べよう」
四人は慎重に調査を始めた。
石橋の下。
ハヤセは川岸にしゃがみ込み、石の隙間を確認していた。
「……何かありますね」
サキが近づいた。
「何?」
「この石だけ、周囲と色が違う」
ハヤセが指差した場所には、小さな石が挟まっていた。
表面には泥が付いているが、周囲の石ほど苔が生えていない。
「……最近置かれたものかもしれないわね」
サキが言った。
ハヤセは慎重に石を動かした。
その下には、小さな空間があった。
「……何かを隠せそうですね」
ユウトが覗き込む。
しかし、そこには何も残されていなかった。
「……空っぽです」
トウマが近づいた。
「……何かが置かれていた可能性はある」
ハヤセが頷いた。
「石の内側に、木の繊維のようなものが付いています」
サキが眉を寄せた。
「……木札?」
「そうかもしれない」
トウマは石の位置を記録した。
「ただし、何が置かれていたかは分からん」
昼前。
四人は橋の周辺を調べ続けていた。
ユウトは川岸に沿って歩きながら、地面を確認していた。
「……隊長!」
トウマが振り返る。
「どうした?」
「こちらに足跡があります!」
三人が近づいた。
川岸の柔らかい土に、複数の足跡が残っていた。
ハヤセがしゃがみ込む。
「……比較的新しいな」
「人数は分かるか?」
トウマが尋ねた。
「少なくとも二人。ただし、何度も踏まれているので正確には分かりません」
サキが足跡を見つめた。
「……片方だけ、歩幅が不規則ね」
ハヤセが頷いた。
「右足を庇っているようにも見える」
ユウトが顔を上げた。
「……あの若い男ですね!」
トウマは首を振った。
「可能性はある。だが、断定するな」
「……はい」
トウマは足跡の続く方向を確認した。
「……北へ向かっているな」
ハヤセが頷いた。
「古道の方角です」
その頃。
石橋から北へ進んだ山道。
背の高い男と若い男は、木々の間を歩いていた。
若い男の右足は、さらに腫れ上がっていた。
「……もう無理だ」
若い男が立ち止まった。
背の高い男は振り返った。
「……またか」
「歩けないんだよ!」
若い男は声を荒らげた。
「昨日からずっと痛いんだ!」
背の高い男は周囲を見渡した。
「……ここで止まれば、追いつかれる」
「だったら、追いつかれた方がいい!」
男の表情が変わった。
「……何?」
若い男は地面に座り込んだ。
「俺は、もう逃げたくない」
「……」
「村が焼かれたことも、俺たちが調べた情報のことも、全部話したい」
背の高い男は黙った。
若い男は続けた。
「このまま逃げても、何も変わらないだろ」
「……お前の家族はどうする」
「分かってる!」
若い男は拳を握った。
「でも、黙っていたら、また誰かが死ぬかもしれない」
背の高い男は目を伏せた。
しばらくして。
二人は山道の脇にある倒木へ腰を下ろしていた。
背の高い男が水筒を差し出す。
「……飲め」
若い男は受け取った。
「……ありがとう」
男は隣に座った。
「……俺も、考えていた」
「何を?」
「依頼主のことだ」
若い男は顔を上げた。
「……何か分かったのか?」
「いや」
背の高い男は首を振った。
「ただ、あの男は俺たちの名前を知っていた」
「……」
「家族のことまで調べていた」
若い男の表情が曇った。
「……脅すためか」
「そうかもしれん」
背の高い男は続けた。
「だが、もし本当に俺たちを消すつもりなら、もっと早くできたはずだ」
若い男は考え込んだ。
「……じゃあ、何のために逃がしてるんだ?」
「分からん」
男は北の山を見つめた。
「……だが、指定された場所へ行けば、何か分かるかもしれない」
若い男は首を振った。
「……俺は行きたくない」
背の高い男は黙った。
午後。
石橋の北側。
トウマたちは足跡を追い、古道へ入っていた。
「……この先は道が広くなっています」
ハヤセが言った。
「足跡を追うのが難しくなりますね」
サキが答えた。
トウマは頷いた。
「無理に追う必要はない」
ユウトが尋ねた。
「でも、ここまで来たのに……」
「焦るな」
トウマは静かに答えた。
「相手が怪我をしているなら、どこかで休む必要がある」
ハヤセが頷いた。
「……確かに」
「周辺に休める場所は?」
ハヤセは地図を確認した。
「この先に、古い炭焼き小屋があります」
トウマは頷いた。
「……そこを調べよう」
夕方。
古い炭焼き小屋。
建物は半ば崩れかけていたが、屋根の一部は残っていた。
トウマは入口で足を止めた。
「……中を確認する」
四人は慎重に入った。
床には古い灰が積もり、壁には薪が立てかけられている。
「……誰もいませんね」
ユウトが言った。
サキは床を見つめた。
「……でも、ここだけ灰が乱れている」
ハヤセがしゃがみ込んだ。
「……最近、誰かが座ったようにも見えるな」
トウマは周囲を確認した。
「……何か残されているか?」
ユウトが壁際を調べた。
「……隊長」
「何だ?」
「布が落ちています」
ユウトが拾い上げたのは、小さな白い布だった。
端には赤黒い染みが付いている。
「……血か?」
ハヤセが呟いた。
サキは慎重に確認した。
「……可能性はあるわ」
トウマは布を受け取った。
「……誰かが怪我をしていたのかもしれん」
ユウトが顔を上げた。
「……あの若い男ですね」
トウマは静かに答えた。
「……そうかもしれない」
その夜。
炭焼き小屋からさらに北へ進んだ山道。
背の高い男と若い男は、暗い木々の間に身を潜めていた。
若い男は足を抱え、苦しそうに息を吐いている。
「……もう歩けない」
背の高い男は周囲を見渡した。
「……分かった」
若い男が顔を上げた。
「……何が?」
「明日、戻る」
「……本当か?」
「ああ」
背の高い男は頷いた。
「このまま進んでも、お前の足がもたん」
若い男は安堵したように息を吐いた。
「……ありがとう」
しかし、背の高い男の表情は険しかった。
「……ただし、誰に話すかは慎重に決める」
「……分かった」
「家族を守る方法も考えなければならん」
若い男は頷いた。
「……うん」
二人は暗い山道を見つめた。
戻る決意をしたものの、その先に何が待っているかは分からなかった。
トウマは小さな火を囲みながら、三人に告げた。
「……明日は、この先を調べる」
ハヤセが頷いた。
「二人組は近くにいる可能性があります」
「そうだな」
サキが尋ねた。
「もし見つけたら、どうしますか?」
トウマは少し考えた。
「まずは話を聞く」
ユウトが顔を上げた。
「……捕まえないんですか?」
「必要なら身柄を確保する」
トウマは答えた。
「だが、相手が襲撃事件に直接関わっているかは、まだ分からん」
サキは頷いた。
「……慎重に対応するということですね」
「ああ」
トウマは暗い山道を見つめた。
「……真相を知るためには、まず話してもらわなければならん」
二人組の逃亡は、終わりに近づいていた。
しかし、彼らを追う者が黒影衆だけとは限らなかった。
第174話 完




