第170話「廃関所の秘密」
東国北部、白瀬峠。
夜明け前から降り続いていた雨は、朝になってようやく弱まり始めていた。
山道を進む四人の忍びは、足元のぬかるみに注意しながら峠を登っていた。
黒影衆上忍・神楽トウマ。
中忍・霧谷ハヤセ。
中忍・望月サキ。
そして下忍・早乙女ユウト。
彼らが目指すのは、峠の中腹に残された古い関所跡だった。
「隊長、あと半刻ほどで到着します」
ハヤセが地図を確認しながら告げた。
「分かった。周囲の警戒を怠るな」
トウマは山道の先を見つめた。
「昨夜、雨が降ったおかげで足跡は消えているでしょうね」
サキが言った。
「ああ。だが、足跡以外にも残るものはある」
「例えば?」
ユウトが尋ねた。
「人が通れば、枝が折れることもある。荷物を運べば、木の幹に擦れた跡が残ることもある」
トウマは静かに続けた。
「何も見つからないと決めつけるな」
「はい!」
四人は再び歩き始めた。
午前。
白瀬峠、旧関所跡。
かつて旅人や商人の通行を管理していた関所は、長い年月によって荒れ果てていた。
木造の門は傾き、建物の屋根には大きな穴が開いている。
周囲には雑草が生い茂り、人が暮らしている気配はない。
「……ここか」
トウマは建物を見上げた。
ハヤセが周辺を確認する。
「記録では、十五年ほど前に閉鎖されたそうです」
「理由は?」
「街道の変更です。南側に新しい道が整備されてから、使われなくなったとあります」
サキが建物の入口へ近づいた。
「……中を調べますか?」
「ああ。ただし、二人ずつ行動しろ」
トウマは指示を出した。
「俺とユウトが建物の内部を調べる。ハヤセとサキは周辺を確認してくれ」
「了解しました」
四人はそれぞれの持ち場へ向かった。
関所の内部。
床板は腐り、壁には雨水が染み込んでいた。
ユウトは足元を確認しながら進んだ。
「……誰もいませんね」
「そうだな」
トウマは室内を見渡した。
古い机。
壊れた棚。
そして、隅に積まれた木箱。
「……ユウト」
「はい?」
「その木箱を調べてみろ」
ユウトは慎重に近づいた。
箱の表面には厚い埃が積もっている。
しかし、その一つだけは様子が違っていた。
「……隊長」
「どうした?」
「この箱だけ、埃が少ないです」
トウマが近づいた。
確かに、周囲の箱と比べて表面が比較的きれいだった。
「……最近動かされた可能性があるな」
ユウトは箱の蓋を持ち上げた。
中には、古い布と空になった水筒が入っていた。
「……誰かが使っていたんでしょうか」
トウマは水筒を手に取った。
表面には泥が付着している。
「……まだ新しい傷がある」
「じゃあ、あの二人組のものですか?」
「分からん」
トウマは水筒を元の位置に戻した。
「ただ、ここを最近利用した者がいることは確かだろう」
一方、関所の裏手。
ハヤセとサキは、建物の周囲を調べていた。
「……この辺りは、雨で地面が崩れていますね」
サキが言った。
「ああ。だが、何かが通った跡は残っている」
ハヤセは地面にしゃがみ込んだ。
建物の裏側には、草が倒れた細い道があった。
「……人が歩いた跡かしら」
「可能性はある」
ハヤセは慎重に周囲を確認した。
「ただ、獣が通っただけかもしれない」
サキは近くの木を見上げた。
「……あそこ」
「何だ?」
「枝に布が引っかかっている」
ハヤセが顔を上げた。
確かに、低い枝に小さな布切れが残っていた。
サキは慎重に取り外した。
「……灰色の布ね」
ハヤセは確認した。
「旅装束の一部かもしれない」
「でも、誰のものかは分からないわ」
「ああ」
ハヤセは頷いた。
「記録しておこう」
昼過ぎ。
四人は関所の中央に集まった。
トウマは調査結果を確認していた。
「……水筒と布切れか」
「はい」
サキが答えた。
「どちらも最近ここを通った者のものかもしれません」
ハヤセが続けた。
「ただし、二人組との関係は不明です」
トウマは頷いた。
「……ほかに何かあるか?」
ユウトが手を上げた。
「隊長、少し気になることがあります」
「何だ?」
「関所の奥に、地下へ続く階段がありました」
トウマが顔を上げた。
「……地下?」
「はい。床板の一部が外れていて、その下に階段が見えました」
ハヤセが眉を寄せた。
「古い関所に地下室があるのか?」
「分かりません。でも、調べてみる価値はあると思います」
トウマは少し考えた。
「……案内してくれ」
関所の奥。
ユウトが指差した場所には、床板が外れた穴があった。
その下には、石造りの階段が続いている。
「……確かにあるな」
トウマは穴を覗き込んだ。
暗く、奥までは見えない。
ハヤセが松明を用意した。
「……降りますか?」
「ああ」
トウマは頷いた。
「ただし、慎重に進め」
四人は階段を下り始めた。
地下は狭く、湿った空気が漂っていた。
壁には古い木材が組まれ、天井を支えている。
「……倉庫でしょうか」
ユウトが尋ねた。
「おそらくな」
トウマは答えた。
「昔は、関所で没収した荷物を保管していたのかもしれん」
階段を下りきると、小さな部屋が現れた。
そこには、古い棚と木箱が並んでいた。
「……何もなさそうですね」
ユウトが呟いた。
しかし、サキが何かに気づいた。
「……待って」
三人が振り返る。
サキは部屋の隅を指差した。
「……あそこだけ、床が乾いている」
トウマが近づいた。
確かに、地下室の床は湿っているにもかかわらず、一角だけ乾いていた。
「……最近、何かが置かれていたのかもしれないな」
ハヤセが周囲を調べた。
「……こちらに、擦れた跡があります」
床には、木箱を引きずったような細い傷が残っていた。
トウマは静かに頷いた。
「……誰かが荷物を運び込んでいた可能性がある」
その時。
ユウトが壁際で立ち止まった。
「……隊長」
「どうした?」
「この壁、少し変じゃありませんか?」
トウマが近づいた。
石壁の一部だけ、色が僅かに違っていた。
ハヤセが手を当てる。
「……最近補修されたようにも見えるな」
サキが尋ねた。
「隠し部屋でしょうか?」
「分からん」
トウマは首を振った。
「だが、調べる価値はある」
ハヤセは壁を慎重に確認した。
やがて、石の隙間に細い金具を見つけた。
「……これか」
金具を引くと、石壁の一部がゆっくりと動いた。
その奥には、人一人が通れるほどの狭い通路があった。
ユウトが目を見開いた。
「……隠し通路?」
トウマは松明を掲げた。
「……どうやら、そうらしい」
通路は十数歩ほど続いていた。
その先には、外へ繋がる小さな出口があった。
「……山の斜面に出るのか」
ハヤセが呟いた。
出口の周囲には、草木が生い茂っている。
トウマは外を確認した。
「……この道を使えば、関所の表を通らずに山へ抜けられる」
サキが頷いた。
「二人組が使った可能性もありますね」
「ああ」
トウマは答えた。
「ただし、まだ証拠はない」
ユウトは通路の壁を見つめた。
「……こんな場所、普通の旅人は知らないですよね」
トウマは少し考えた。
「昔の関所関係者なら知っていたかもしれん」
「……なるほど」
「それに、ここを使った者が二人組とは限らない」
トウマは出口の外を見つめた。
「……だが、調査する価値はある」
夕方。
旧関所跡。
四人は、地下室と隠し通路の調査を終えていた。
トウマは記録帳を閉じた。
「……今日はここまでだ」
ユウトが尋ねた。
「二人組は、もう先へ進んでいるんでしょうか?」
「その可能性は高い」
トウマは答えた。
「だが、どこへ向かったかは分からん」
ハヤセが地図を広げた。
「隠し通路の出口からは、北東の山道へ抜けられます」
サキが頷いた。
「……その先には?」
「小さな谷があります。さらに進めば、東国の北側へ続く古道に合流します」
トウマは地図を見つめた。
「……明日は、その谷を調べよう」
「了解しました」
四人は関所を後にした。
その夜。
白瀬峠の北東にある小さな谷。
薄暗い岩陰に、二人の男が身を潜めていた。
背の高い男と、若い男。
若い男は足を押さえながら、苦しそうに息を吐いている。
「……まだ進むのか?」
背の高い男は首を振った。
「今日はここまでだ」
「……助かった」
若い男は岩に背中を預けた。
「……あの関所、見つかると思うか?」
背の高い男は少し考えた。
「……いずれ見つかるだろう」
「……」
「だが、あそこには何も残していない」
若い男は不安そうに顔を上げた。
「……本当に?」
背の高い男は答えなかった。
やがて、静かに立ち上がった。
「……夜明け前に出発する」
若い男は頷いた。
二人は暗い谷の奥を見つめた。
その先に待つものを、まだ知らないまま。
第170話 完




