第169話「山間の集落」
白瀬川上流、北方山地。
東雲領と黒田領の境界が曖昧になる山間部に、小さな集落があった。
名を、杉ノ沢。
三十戸ほどの家々が斜面に沿って建ち、住民たちは炭焼きや山菜採りを生業としていた。
その集落へ、黒影衆の調査隊が到着した。
「……ここが杉ノ沢か」
神楽トウマは、山道の先に広がる家々を見渡した。
隣では、霧谷ハヤセが地図を確認している。
「はい。白瀬川上流へ抜ける古い街道の途中にあります」
「人の出入りは多いのか?」
「普段は少ないようです。ただ、炭を運ぶ商人が月に何度か訪れるそうです」
トウマは頷いた。
「まずは集落の長に話を聞こう」
望月サキと早乙女ユウトも、二人の後に続いた。
集落の中央には、小さな寄合所があった。
そこでは、白髪の老人が薪を整理していた。
「……旅のお方か?」
老人が顔を上げた。
トウマは軽く頭を下げた。
「黒影衆の神楽トウマと申します」
「……黒影衆?」
老人の表情が変わった。
「何かあったのですか?」
「白瀬川周辺で起きた襲撃事件について調べています」
老人は深く息を吐いた。
「……あの村が焼かれた話ですな」
「ご存じでしたか」
「ええ。炭を買いに来た商人から聞きました」
トウマは頷いた。
「この数日、見慣れない旅人が集落を訪れませんでしたか?」
老人は少し考えた。
「……二人組なら、昨日の夕方に通りました」
ユウトが顔を上げた。
「二人組ですか?」
「ええ。一人は背が高く、もう一人は若い男でした」
サキが記録帳を取り出した。
「その二人は、どちらへ向かいましたか?」
老人は北側の山道を指差した。
「……あちらです」
トウマは目を細めた。
「何か話していましたか?」
「川の上流へ抜ける道を聞かれました」
「……ほかには?」
老人は首を振った。
「特には。ただ、若い方は随分と疲れているようでした」
ハヤセが尋ねた。
「荷物は持っていましたか?」
「小さな包みを一つずつ」
トウマは頷いた。
「ありがとうございます」
寄合所を出た後、四人は集落の北側へ向かった。
「……間違いなさそうですね」
ユウトが言った。
サキは首を振った。
「特徴は一致しているけれど、同じ人物と断定するには早いわ」
「……そうでした」
トウマが口を開いた。
「だが、足取りを追う価値はある」
ハヤセが地図を広げた。
「この先には、二つの道があります」
「どこへ続く?」
「一つは川沿いの古道。もう一つは山を越える峠道です」
トウマは地図を確認した。
「……どちらも人目につきにくいな」
サキが尋ねた。
「二手に分かれますか?」
トウマは少し考えた。
「いや、まだだ」
「理由は?」
「相手が何者か分からない。もし忍びなら、少人数で追うのは危険だ」
ハヤセが頷いた。
「……四人で行動した方が安全ですね」
「ああ」
トウマは山道を見つめた。
「まずは、どちらへ向かったかを調べる」
昼過ぎ。
集落の北側にある分かれ道。
ハヤセは地面にしゃがみ込み、足跡を調べていた。
「……ここは人の往来が少ないですね」
ユウトが周囲を見渡した。
「足跡も、あまり残っていません」
ハヤセは頷いた。
「ただ、昨日の雨で土が柔らかくなっている」
トウマが尋ねた。
「何か分かるか?」
「……複数の足跡があります」
ハヤセは地面を指差した。
「こちらは峠道へ向かっています」
「人数は?」
「少なくとも二人。ただし、古い足跡も混じっているので、正確には分かりません」
サキが周囲を確認した。
「川沿いの道には?」
ハヤセは首を振った。
「こちらにも足跡があります」
ユウトが眉を寄せた。
「……どっちへ行ったか分からないんですね」
「そういうことだ」
トウマは頷いた。
「無理に追う必要はない。まずは周辺の情報を集めよう」
その頃。
杉ノ沢の外れにある炭焼き小屋。
一人の若い男が、炭を袋に詰めていた。
そこへサキとユウトが訪れた。
「すみません」
サキが声をかけた。
男が振り返る。
「……何ですか?」
「少しお話を伺ってもよろしいですか?」
「ええ」
サキは二人組の特徴を説明した。
男は少し考えた。
「……ああ、見ましたよ」
ユウトが顔を上げた。
「本当ですか?」
「昨日の夕方、集落の北側で」
「どちらへ向かっていましたか?」
「……峠道の方だったと思います」
サキは記録帳に書き込んだ。
「何か変わった様子は?」
男は頷いた。
「……若い方が、足を引きずっていました」
ユウトが眉を寄せた。
「怪我をしていたんですか?」
「分かりません。ただ、歩き方がおかしかった」
サキは考え込んだ。
「……ほかには?」
「背の高い方が、何度も後ろを振り返っていました」
「……なるほど」
男は不安そうに尋ねた。
「何か悪いことをした連中なんですか?」
サキは首を振った。
「まだ分かりません。調査に必要な話を聞いているだけです」
夕方。
四人は再び寄合所に集まっていた。
トウマは報告を聞き終えると、地図を広げた。
「……峠道へ向かった可能性が高いな」
ハヤセが頷いた。
「足跡も、その方向に残っています」
ユウトが尋ねた。
「じゃあ、明日は峠を越えるんですか?」
「そのつもりだ」
トウマは答えた。
「ただし、無理に追いつこうとはするな」
サキが顔を上げた。
「相手が忍びだった場合を考えて、ですね」
「ああ」
トウマは地図を指差した。
「峠の先には、古い関所跡がある」
ハヤセが確認した。
「今は使われていない場所ですね」
「そうだ」
トウマは続けた。
「もし二人組が人目を避けているなら、そこを通る可能性がある」
ユウトは頷いた。
「……分かりました」
夜。
杉ノ沢の集落。
トウマは寄合所の外に立ち、山の方角を見つめていた。
周囲には、炭焼きの煙が薄く漂っている。
背後からハヤセが歩いてきた。
「……隊長」
「どうした?」
「少し気になることがあります」
トウマは振り返った。
「何だ?」
「二人組が、なぜここまで北へ向かったのかです」
「……」
「白瀬村を襲った者だとすれば、東雲領や黒田領の外へ逃げる道はいくつもあります」
トウマは頷いた。
「確かにな」
「ですが、二人はわざわざ山道を選んでいる」
「……人目を避けるためかもしれん」
「それも考えられます」
ハヤセは続けた。
「ただ、何か目的地があるようにも思えます」
トウマはしばらく黙っていた。
「……明日、確かめよう」
「はい」
二人は暗い山道を見つめた。
その先に何があるのか。
まだ、誰にも分からなかった。
同じ頃。
杉ノ沢からさらに北へ進んだ山中。
古い関所跡の近くに、二人の男がいた。
一人は背が高く、もう一人は若い男。
若い男は岩に腰を下ろし、足を押さえていた。
「……もう少し休ませてくれ」
背の高い男は周囲を見渡した。
「長くは休めん」
「……分かってる」
若い男は顔をしかめた。
「でも、足が痛むんだ」
背の高い男は少し考えた。
「……夜明けまでここにいる」
若い男は安堵したように息を吐いた。
「……助かる」
背の高い男は、関所跡の暗がりを見つめた。
「……追手が来る前に、次の場所へ向かわなければならん」
二人は、それ以上言葉を交わさなかった。
山中には、冷たい夜風が吹いていた。
第169話 完




