第168話「消えた旅人」
東国、白瀬川北部。
朝霧が街道を覆う中、黒影衆の中忍・望月サキと下忍・早乙女ユウトは、白瀬村から北へ続く道を歩いていた。
二人に与えられた任務は、襲撃事件の数日前に村を訪れた旅人の足取りを調べることだった。
「サキさん」
「何?」
「本当に、あの二人組が見つかると思いますか?」
サキは前を見たまま答えた。
「分からないわ。でも、誰かが見ていた可能性はある」
「……そうですよね」
「それに、商人を名乗っていたなら、街道沿いの宿や茶屋に立ち寄っているかもしれない」
ユウトは頷いた。
「まずは、そこからですね」
二人は歩調を速めた。
昼前。
街道沿いの小さな宿場町。
旅人や行商人が行き交う通りには、数軒の宿屋と茶屋が並んでいた。
サキたちは、町の入口にある茶屋へ入った。
「いらっしゃいませ」
店主の女性が声をかけた。
サキは軽く頭を下げた。
「少し、お話を伺ってもよろしいですか?」
「はい。何でしょう?」
「数日前、この辺りを通った二人組の旅人を探しています」
店主は首を傾げた。
「二人組ですか……」
「一人は背が高く、もう一人は少し若い男だったそうです」
女性はしばらく考えた。
「……ああ、もしかしたら」
ユウトが顔を上げた。
「心当たりがあるんですか?」
「ええ。三日ほど前に、そんな二人が来ました」
サキは記録帳を取り出した。
「どんな様子でしたか?」
「普通の旅人に見えましたよ。ただ……」
女性は少し考え込んだ。
「何か気になることが?」
「若い方の男が、ずっと周囲を気にしていたんです」
サキの表情が引き締まった。
「……周囲を?」
「ええ。店の入口や、通りを歩く人たちを何度も見ていました」
ユウトが尋ねた。
「何か話していましたか?」
「……北の山道について聞かれました」
サキは筆を止めた。
「北の山道?」
「はい。白瀬村を通らずに、川の上流へ出られる道があるか、と」
二人は顔を見合わせた。
茶屋を出た後。
ユウトが小さな声で言った。
「……やっぱり、怪しいですね」
サキは頷いた。
「確かに気になるわ」
「村の北側の林についても聞いていたんですよね?」
「そうね」
「じゃあ、襲撃前に逃げ道を調べていたんでしょうか?」
サキは少し考えた。
「可能性はある。でも、山道を知りたかった理由はほかにも考えられる」
ユウトは頷いた。
「……まだ決めつけちゃ駄目ですね」
「そういうこと」
サキは街道の先を見つめた。
「次は宿屋を調べましょう」
宿場町の中央にある旅籠。
年配の主人が、二人を出迎えた。
「旅人を探している?」
「はい」
サキは特徴を説明した。
主人は腕を組んだ。
「……二人組なら、何組も泊まっているからな」
「背の高い男と、若い男です」
「……ああ」
主人は何かを思い出したようだった。
「そういえば、三日前にそんな二人が来た」
ユウトが尋ねた。
「泊まったんですか?」
「いや。部屋が空いているか聞かれたが、結局泊まらなかった」
「どうしてですか?」
「……分からん」
主人は首を振った。
「ただ、北側の部屋を希望していた」
サキが眉を寄せた。
「北側?」
「そうだ。窓から山道が見える部屋だ」
「……なるほど」
主人は続けた。
「空いていると伝えたんだが、若い方の男が何か耳打ちしてな」
「それで?」
「背の高い男が、やはり泊まらないと言って出ていった」
ユウトはサキを見た。
「……何かを警戒していたんでしょうか」
サキは静かに答えた。
「そうかもしれないわね」
午後。
サキとユウトは、宿場町の北側へ向かった。
そこには、山へ続く細い道があった。
道の入口には古い道標が立っている。
「……ここですね」
ユウトが言った。
サキは地図を広げた。
「この道を進めば、白瀬川の上流へ出られる」
「でも、かなり遠回りですよね」
「ええ」
サキは頷いた。
「普通に川沿いを進んだ方が早い」
ユウトは道の奥を見つめた。
「……人目を避けるためだったんでしょうか」
「その可能性はある」
二人は慎重に山道へ入った。
山道は狭く、木々が深く生い茂っていた。
しばらく進むと、道の脇に小さな石碑が現れた。
「……古い道標ですね」
ユウトが近づいた。
サキは周囲を見渡した。
「ここで少し休みましょう」
二人は石碑の近くに腰を下ろした。
ユウトが水筒を取り出す。
「……それにしても、変ですね」
「何が?」
「二人組は、どうして宿に泊まらなかったんでしょう?」
サキは少し考えた。
「誰かに見られるのを避けたかったのかもしれない」
「……」
「あるいは、予定が変わっただけかもしれない」
ユウトは頷いた。
その時、サキが何かに気づいた。
「……ユウト」
「はい?」
「そこ、動かないで」
ユウトは身体を止めた。
サキは石碑の裏側へ回った。
地面には、古い足跡がいくつか残っていた。
「……誰かがここに立っていたみたいね」
ユウトが覗き込む。
「二人組でしょうか?」
「分からない」
サキは足跡を確認した。
「ただ、ここで長く留まっていた可能性はある」
石碑の近くには、踏み固められた土が広がっていた。
サキは記録帳を取り出した。
「……場所を記録しておきましょう」
夕方。
山道を調べ終えた二人は、宿場町へ戻っていた。
「……結局、二人組の行き先は分かりませんでしたね」
ユウトが呟いた。
サキは頷いた。
「そうね」
「でも、北の山道を気にしていたことは分かりました」
「ええ。それは収穫よ」
サキは立ち止まった。
「……ただ、一つ気になることがある」
「何ですか?」
「二人組を見た人はいる。でも、山道を通ったところを見た人はいない」
ユウトが眉を寄せた。
「……確かに」
「つまり、実際にその道を使ったかどうかは分からない」
ユウトは頷いた。
「……足取りが途切れたんですね」
サキは街道を見つめた。
「そういうこと」
二人は白瀬村へ戻るため、歩き始めた。
夜。
白瀬村の仮設詰所。
神楽トウマは、サキたちの報告を聞いていた。
「……北の山道か」
「はい」
サキが答えた。
「二人組は、白瀬村を通らずに川の上流へ出られる道を探していたようです」
トウマは頷いた。
「実際に通った証拠は?」
「ありません」
「そうか」
ユウトが口を開いた。
「でも、宿場町で二人を見た人は複数いました」
「それは重要だ」
トウマは静かに答えた。
「少なくとも、二人組がこの周辺を移動していたことは確認できた」
ハヤセが地図を広げた。
「……北の山道を使えば、川の上流へ出られます」
トウマは地図を見つめた。
「……だが、その先には何がある?」
ハヤセが答えた。
「山間の集落と、古い街道が続いています」
トウマは少し考えた。
「……明日は、その周辺を調べよう」
三人が頷いた。
「はい」
その夜更け。
白瀬川上流。
人通りの少ない山道を、二人の男が歩いていた。
一人は背が高く、もう一人は若い男。
二人とも、旅装束を身につけている。
「……まだ追ってくると思うか?」
若い男が尋ねた。
背の高い男は前を見たまま答えた。
「分からん」
「……村の件、もう調べられているんだろ?」
「ああ」
若い男は不安そうに周囲を見渡した。
「……俺たちまで疑われるんじゃないか?」
背の高い男は足を止めた。
「……余計なことを考えるな」
「でも……」
「俺たちは、言われた通りに動いただけだ」
若い男は黙った。
背の高い男は再び歩き始めた。
「……次の場所へ向かうぞ」
二人は暗い山道の奥へ消えていった。
その背中を見送る者はいない。
だが、黒影衆の調査は、少しずつ彼らへ近づいていた。
第168話 完




