第167話「残された痕跡」
東国、白瀬村。
東雲家と黒田家の和平交渉が始まった翌朝。
黒影衆の調査隊は、村の北側に広がる林へ向かっていた。
先頭を歩くのは、上忍・神楽トウマ。
その後ろには、霧谷ハヤセ、望月サキ、早乙女ユウトが続いている。
「昨日までに確認した場所は、すべて調べ終わったな?」
トウマが尋ねた。
「はい。村の北側に残された足跡と、木の幹に刻まれた傷については記録済みです」
ハヤセが答えた。
「ただ、縄が張られていた理由は分かっていません」
「そうか」
トウマは頷いた。
「今日は、その周辺をもう少し広く調べる」
ユウトが顔を上げた。
「襲撃者が使った道を探すんですか?」
「それも目的の一つだ」
トウマは林の奥へ目を向けた。
「村へ近づく道は、街道だけではない。襲撃者がどこから来て、どこへ逃げたのかを確かめたい」
四人は慎重に林へ足を踏み入れた。
林の中には、細い獣道がいくつも伸びていた。
木々の間から差し込む朝日が、湿った地面を照らしている。
「……ここですね」
サキが立ち止まった。
目の前には、前回の調査で見つけた二本の木があった。
どちらの幹にも、樹皮が削れた跡が残されている。
ハヤセはしゃがみ込み、地面を確認した。
「……雨で少し崩れているな」
「足跡も薄くなっていますね」
ユウトが答えた。
トウマは周囲を見渡した。
「縄を張った目的が分からない以上、決めつけるな」
「はい」
「ただし、ここに何かを固定していた可能性はある」
トウマは木の幹に触れた。
傷の位置は、地面からおよそ腰の高さだった。
「……低いな」
ハヤセが顔を上げた。
「何がですか?」
「もし見張りのための仕掛けなら、もっと高い位置に張る方法もある」
サキが考え込んだ。
「……では、人の動きを制限するため?」
「それも考えられる」
トウマは頷いた。
「だが、別の用途だった可能性もある」
ユウトは木の間を見つめた。
「……ここを通る人を止めるためだったんでしょうか」
トウマは答えなかった。
まだ、判断するには材料が足りなかった。
しばらく進むと、林の奥に小さな空き地が現れた。
そこには、倒れた木が一本横たわっている。
「……何かあります」
サキが声をかけた。
ハヤセが近づく。
倒木の根元に、黒く変色した土が残されていた。
「……火を使った跡か?」
ハヤセは指先で土を確かめた。
「灰が混じっている」
トウマも近づいた。
「焚き火の跡だな」
ユウトが周囲を見渡した。
「誰かがここで休んでいたんでしょうか?」
「その可能性はある」
トウマは頷いた。
「だが、村人や旅人が使った場所かもしれない」
サキは倒木の裏側へ回った。
「……こちらにも何かあります」
三人が顔を向ける。
サキが指差したのは、木の根元に置かれた小さな石だった。
その下には、折り畳まれた紙片が挟まっている。
「……紙?」
ハヤセが慎重に取り出した。
紙は湿っていたが、文字の一部が残っていた。
「……何か書いてあります」
トウマが近づいた。
「読めるか?」
ハヤセは紙を広げた。
そこには、短い文字が記されていた。
『北の見張り、三刻後に交代』
ユウトが目を見開いた。
「……見張りの交代時間?」
サキが眉を寄せた。
「村の警備についての情報でしょうか」
トウマは紙を見つめた。
「……その可能性はある」
しかし、紙には日付も名前も記されていない。
「……これだけでは、いつの情報か分からんな」
ハヤセは紙片を丁寧に包んだ。
「村の見張りについて、確認してみましょう」
「そうだな」
トウマは頷いた。
「ただし、この紙が襲撃者のものとは限らない」
ユウトが尋ねた。
「でも、見張りの交代時間なんて、普通の人は書かないんじゃないですか?」
トウマは少し考えた。
「確かに不自然だ」
「……」
「だが、村の警備を担当していた者が書いた可能性もある」
サキが頷いた。
「まずは、村の記録と照らし合わせる必要がありますね」
「そういうことだ」
トウマは空き地を見渡した。
「ほかに何か残されていないか調べよう」
四人は周囲の確認を続けた。
昼過ぎ。
白瀬村の仮設詰所。
トウマは、村の長老から話を聞いていた。
「……見張りの交代時間ですか」
長老は紙片を見つめた。
「はい。村では夜間の見張りを置いていましたか?」
「ええ。以前から二人ずつ交代で見回っておりました」
トウマが頷いた。
「交代の時間は?」
長老は少し考えた。
「……夜半を過ぎた頃に、一度交代しておりました」
ハヤセが紙片を確認した。
「三刻後という表現を使うことは?」
「……いいえ」
長老は首を振った。
「村の者は、もっと分かりやすい言い方をしておりました」
トウマの目が細くなった。
「……そうですか」
長老は続けた。
「ただ、村の見張りの時間を知っている者は多かったと思います」
「村人以外にも?」
「行商人や旅人が、何度も村へ来ておりましたから」
トウマは頷いた。
「……なるほど」
紙片の内容が、村の警備を指しているとは限らない。
だが、外部の人間が村の見張りについて調べていた可能性は残った。
その後。
サキとユウトは、村の入口で聞き込みを続けていた。
「……襲撃の前に、不審な旅人を見ませんでしたか?」
サキが尋ねた。
相手は、村で小さな茶屋を営んでいた女性だった。
「旅人ですか……」
女性は少し考えた。
「……そういえば、何日か前に二人組が来ました」
ユウトが顔を上げた。
「どんな人たちでしたか?」
「一人は背の高い男で、もう一人は少し若い男でした」
「何か話していましたか?」
「……村の道について聞かれました」
サキが眉を寄せた。
「道?」
「ええ。北側の林を抜ける道があるか、と」
ユウトはサキを見た。
「……今日、調べた場所ですね」
サキは頷いた。
「その二人は、何か名乗っていましたか?」
女性は首を振った。
「いいえ。ただ、商人だと言っていました」
「荷物は?」
「小さな包みを持っていましたが、商売の品は見せてくれませんでした」
サキは記録を取った。
「……ありがとうございます」
女性は不安そうに尋ねた。
「その人たちが、村を襲ったんでしょうか?」
サキは首を振った。
「まだ分かりません」
「……そうですか」
「ただ、調べる価値のある情報です」
夕方。
調査隊は、村の詰所に集まっていた。
トウマは報告書を読み進めた。
「……襲撃前に、北側の林について尋ねた二人組か」
「はい」
サキが答えた。
「商人を名乗っていたそうですが、詳しい身元は分かっていません」
ハヤセが紙片を机に置いた。
「こちらの見張り交代の記録と関係があるかもしれません」
トウマは腕を組んだ。
「……可能性はある」
ユウトが尋ねた。
「じゃあ、襲撃者たちは事前に村を調べていたんでしょうか?」
トウマは少し考えた。
「……その可能性が高くなった」
「……」
「ただし、二人組が襲撃に関わっていたという証拠はない」
ハヤセが頷いた。
「今後は、旅人の足取りを調べる必要がありますね」
「ああ」
トウマは紙片を見つめた。
「それと、見張りの情報がどこから漏れたのかも確認したい」
サキが顔を上げた。
「村の内部に協力者がいた可能性も?」
「……まだ分からん」
トウマは静かに答えた。
「外部から観察しただけかもしれない」
ユウトは小さく息を吐いた。
「……調べることが増えましたね」
トウマは頷いた。
「そうだな」
そして、真剣な表情で続けた。
「だが、一つずつ確かめていけばいい」
夜。
白瀬村の北側。
トウマは林の入口に立ち、暗い木々を見つめていた。
襲撃前に現れた二人組。
見張りの交代時間を記した紙片。
そして、林に残された不自然な痕跡。
それぞれが同じ事件に繋がっているのかは、まだ分からない。
だが、偶然として片付けるには気になる点が多すぎた。
「……何者だ」
トウマは小さく呟いた。
村を襲い、両家の争いを激化させようとする者がいるのなら。
その目的を明らかにしなければならない。
トウマは静かに踵を返した。
東国の戦乱は、まだ始まっていない。
しかし、その足音は確実に近づいていた。
第167話 完




