第165話「揺れる家臣団」
東国、東雲城。
朝の光が差し込む大広間には、十数名の家臣たちが集まっていた。
上座には、東雲家当主・東雲マサツグ。
その左右には、重臣の真壁重蔵と若き武将・雨宮景綱が控えている。
議題は、黒田家との和平交渉だった。
「殿! 私は反対でございます!」
重蔵が声を上げた。
「我が領地の村が襲われ、民が命を落としております! そのような状況で黒田家と話し合うなど、あまりにも弱腰ではありませんか!」
マサツグは静かに答えた。
「重蔵。黒田家が襲撃を命じたという証拠は、まだみつかっていない」
「しかし、黒田家の旗が残されていたのですぞ!」
「旗だけでは証拠にならん」
「……殿!」
重蔵の声が大広間に響いた。
ほかの家臣たちも、互いに顔を見合わせている。
「真壁殿の言う通りです」
一人の武将が立ち上がった。
東雲家家臣・高坂義久。
国境警備を担当する武将で、重蔵と同じく強硬な姿勢を取っていた。
「黒田家は以前から白瀬川周辺の土地を狙っております。今回の襲撃も、その一環と考えるべきでは?」
景綱が口を開いた。
「高坂殿。その可能性は否定しません」
「ならば!」
「ですが、黒田領でも同じ夜に襲撃が起きています」
義久は眉を寄せた。
「……それが何だ?」
「黒田家も被害を受けているということです」
「自作自演かもしれんだろう!」
景綱は静かに頷いた。
「その可能性もあります。しかし、証拠はありません」
義久は言葉を詰まらせた。
景綱は続けた。
「疑わしいという理由だけで兵を動かせば、取り返しのつかない戦になる恐れがあります」
「景綱」
重蔵が低い声で呼んだ。
「お前は、黒田家を信用しているのか?」
「いいえ」
景綱は即座に答えた。
「信用しているわけではありません」
「ならば、なぜ和平を主張する?」
「戦を避けられる可能性が残っているからです」
重蔵は腕を組んだ。
「……若いな」
景綱は黙った。
「お前はまだ、大きな戦を知らん」
重蔵は続けた。
「敵に隙を見せれば、そこを突かれる。話し合いをしている間に、黒田家が兵を集めていたらどうする?」
「こちらも警戒を続けるべきです」
「それでは足りん!」
重蔵は立ち上がった。
「先に兵を動かし、相手に我らの力を見せつける必要がある!」
大広間が静まり返った。
その時、マサツグが口を開いた。
「……重蔵」
「はっ」
「お前が東雲家を守ろうとしていることは分かっている」
重蔵は頭を下げた。
「ありがたきお言葉」
「だが、俺は民を守るために戦を避けたい」
マサツグは家臣たちを見渡した。
「兵を動かすことはできる。だが、その結果として村が焼かれ、民が死ぬのであれば、何のための戦なのか分からなくなる」
重蔵は黙った。
「……和平交渉は予定通り行う」
マサツグは言い切った。
「ただし、国境の警戒は緩めるな。黒田家が攻めてきた場合に備え、守りを固める」
「……承知しました」
重蔵は不満を残した表情で頭を下げた。
会議終了後。
東雲城の廊下。
景綱は重蔵の背中を追いかけた。
「真壁殿!」
重蔵が足を止めた。
「……何だ、景綱」
「先ほどの軍議について、少しお話が」
「まだ何か言いたいのか?」
景綱は首を振った。
「いいえ。ただ、真壁殿がなぜそこまで戦を警戒されているのか、知りたいのです」
重蔵は景綱を見つめた。
「……お前は、俺が戦を好んでいると思っているのか?」
「そうは思っていません」
「ならば、なぜ聞く?」
景綱は真っ直ぐに答えた。
「真壁殿の考えを、理解したいからです」
重蔵はしばらく黙っていた。
やがて、窓の外へ視線を向けた。
「……二十年前のことだ」
景綱は黙って耳を傾けた。
「東雲家は、隣国との戦で多くの兵を失った」
「……はい」
「その時、敵は和平を申し入れてきた」
重蔵の表情が険しくなる。
「だが、交渉の最中に別働隊が動き、我らの補給路を断った」
景綱は目を伏せた。
「……そのようなことが」
「俺の弟も、その戦で死んだ」
重蔵は静かに続けた。
「だから、俺は交渉という言葉を簡単には信じられん」景綱は深く頭を下げた。
「……失礼しました」
「謝る必要はない」
重蔵は景綱を見た。
「お前の考えが間違っているとも思わん。だが、相手が同じ考えとは限らないことを忘れるな」
「……はい」
「和平を望むなら、裏切られた時の備えも必要だ」
景綱は頷いた。
「そのお言葉、忘れません」
昼過ぎ。
東雲城の兵舎。
高坂義久は、数名の部下と地図を囲んでいた。
「……白瀬川の北側か」
義久は国境の地図を見つめた。
副官の村瀬タケルが尋ねる。
「高坂様。兵の配置を変更するのですか?」
「いや、まだだ」
義久は首を振った。
「殿は和平交渉を進めると決められた。命令に背くつもりはない」
「では、何を?」
「黒田家の兵の動きを確認したい」
義久は地図の一点を指差した。
「この街道は、黒田領から白瀬川へ続いている」
「はい」
「もし黒田家が兵を増やすなら、ここを通る可能性が高い」
タケルは頷いた。
「見張りを増やしますか?」
「そうだ。ただし、川を越えるな」
義久は真剣な表情で続けた。
「俺たちが先に手を出せば、殿の和平交渉を台無しにする」
「承知しました」
「……だが、黒田家が攻めてきた時は別だ」
義久は地図から目を離さなかった。
「その時は、俺たちが村を守る」
夕方。
東雲城の中庭。
景綱は一人、木刀を手にしていた。
先日の救助で負傷した左肩には、まだ包帯が巻かれている。
軽く構えを取ったところで、背後から声がした。
「……景綱」
振り返ると、マサツグが立っていた。
「殿!」
景綱は木刀を下ろした。
「傷はどうだ?」
「浅い傷です。日常の動作には支障ありません」
「無理はするな」
「承知しました」
マサツグは隣に立った。
「……重蔵と話したそうだな」
「はい」
「どうだった?」
景綱は少し考えた。
「真壁殿が戦を警戒する理由が、少し分かりました」
マサツグは頷いた。
「あいつは、昔から東雲家を守ってきた男だ」
「……はい」
「だからこそ、失うことを恐れている」
景綱は静かに答えた。
「私も、守りたいものは同じです」
「分かっている」
マサツグは微笑んだ。
「だから、お前たちには互いの考えを理解してほしい」
景綱は頭を下げた。
「……承知しました」
その夜。
東雲城の書院。
マサツグは、黒田家へ送る書状を確認していた。
内容は、白瀬川周辺の領地問題についての協議。
そして、両領で発生した襲撃事件の情報交換だった。
「……これでよい」
マサツグは書状を閉じた。
隣に控える景綱が尋ねた。
「使者は明朝、出発させますか?」
「ああ」
「護衛は?」
「十名ほどつけろ。ただし、武装を誇示するな」
「承知しました」
マサツグは少し考えた
「それと、黒影衆にも交渉の日程を伝えておけ」
「調査との連携ですか?」
「ああ。襲撃事件について何か分かれば、交渉の材料になる」
景綱は頷いた。
「すぐに手配します」
マサツグは窓の外を見つめた。
東国の夜は静かだった。
しかし、その静けさの下では、いくつもの思惑が動き始めている。
和平を望む者。
戦に備える者。
そして、まだ姿を見せない襲撃者たち。
東雲家の家臣団は、同じ主君に仕えながらも、それぞれ異なる考えを抱いていた。
その違いが、やがて大きな決断を迫ることになる。
第165話 完




