第160話「戦乱への序章」
黒影衆本部。
秋の風が、里の木々を静かに揺らしていた。
東側の訓練場では、蒼真が木刀を手に立っていた。
向かいには風間コウガがいる。
「……脇腹の痛みはどうだ?」
「普段はほとんど気にならなくなりました。でも、身体を捻るとまだ少し痛みます」
「なら、今日は構えを確認するだけだ」
「はい」
蒼真は木刀を正面に構えた。
以前なら、すぐに風遁を使っていたかもしれない。
だが、今は違う。
足の位置。
腕の角度。
そして、呼吸。
一つずつ確かめながら、ゆっくりと姿勢を整える。
「……悪くない」
コウガが頷いた。
「ただし、無理に腰を落とすな」
「分かりました」
蒼真は少しだけ姿勢を戻した。
その時、訓練場の入口から声がした。
「おーい、蒼真!」
振り返ると、蓮司が手を振っていた。
その後ろには凛とレイもいる。
「みんな!」
蒼真は木刀を下ろした。
蓮司が笑いながら近づく。
「もう修行してるのかよ。俺も早く戻りたいぜ」
「まだ軽い訓練だけだよ」
「それでも羨ましいな」
凛が呆れたように言った。
「あなたは、まず診察で許可をもらうことね」
「分かってるって!」
レイは少し離れた場所で立ち止まった。
左腕は、まだ固定されている。
蒼真はその姿を見て尋ねた。
「レイ、調子はどうだ?」
「……少しずつだ」
「そっか」
「まだ刀は握れない」
レイは静かに続けた。
「だが、焦っても仕方がない」
蒼真は頷いた。
「うん。俺もそう思う」
コウガは四人を見渡した。
「……全員揃ったなら、少し話をしておくか」
四人は訓練場の端にある長椅子へ移動した。
コウガは腕を組み、静かに口を開いた。
「最近、東国の情勢が不安定になっている」
蓮司が顔を上げた。
「東国?」
「ああ。各地の大名が兵を動かし始めている」
凛が眉を寄せた。
「……戦が始まるんですか?」
「まだ大規模な戦にはなっていない。だが、国境付近では小さな衝突が続いている」
蒼真は黙って聞いていた。
これまで彼らが戦ってきた相手は、主に忍の組織だった。
夜叉衆。
冥刃衆。
そして、正体の分からない敵。
しかし、今度は違う。
大名同士の争いが始まれば、多くの兵や民が巻き込まれる。
「……黒影衆も戦に参加するんですか?」
蒼真が尋ねた。
コウガは首を振った。
「まだ決まっていない」
「……」
「だが、護衛や偵察、民の避難支援を求められる可能性はある」
蓮司が拳を握った。
「だったら、早く傷を治さないとな」
「その意気込みはいい」
コウガは頷いた。
「ただし、今の状態で戦場へ出れば、守れるものも守れなくなる」
蓮司は苦笑した。
「……はい」
同じ頃。
黒影衆本部、情報部門。
如月セツナは、犬飼シンと佐伯イツキから新たな報告を受けていた。
二人は医療班の手当てを受け、現在は任務を制限されている。
「榊原ユウマの所在は?」
セツナが尋ねた。
「まだ確認できていません」
シンが答える。
「ただし、旧街道で回収した仮面と札の破片は、ミコトに渡しました」
「そう」
セツナは報告書を確認した。
「ユウマが黒札を使っていたことは、二人が直接確認しているのね」
「はい」
イツキが頷いた。
「それと、三枝ナオトの名前を出した時、明らかに反応しました」
「……重要な証言ね」
セツナは筆を置いた。
「でも、まだユウマがすべての事件を起こしたとは限らない」
シンが答えた。
「分かっています」
「彼が誰と連絡を取っていたのか、どの命令書に関わっていたのか。そこを調べる必要があるわ」
セツナは別の書類を取り出した。
「それと、三枝ナオトの弟については、引き続き保護を続ける」
イツキが尋ねた。
「ナオト本人は?」
「情報提供への協力を続けているわ。ただし、処分については調査が終わってから判断する」
セツナは窓の外を見た。
「……まだ終わっていない」
黒影衆内部に潜む不正。
失われた古文書。
そして、逃亡した榊原ユウマ。
すべての真相が明らかになったわけではなかった。
それでも、調査は確実に前へ進んでいた。
夕方。
黒影衆本部の医療棟。
白石ユズハは、四人の診察記録を確認していた。
「蒼真は軽い訓練まで。蓮司はまだ走り込み禁止。凛はチャクラを大量に使う術を控えること」
三人が頷いた。
「はい」
「分かりました」
「……了解です」
ユズハは最後にレイを見た。
「レイは引き続き、左肩の固定と安静。右手だけの刀の訓練も禁止よ」
「……承知しています」
「本当に?」
「……はい」
蓮司が小さく笑った。
「レイが一番真面目に聞いてるな」
レイは蓮司を見た。
「……お前も少しは見習え」
「なんで俺だけ!」
凛が笑った。
「普段の行いじゃない?」
蒼真も笑いを堪えられなかった。
ユズハは呆れたように息を吐いた。
「……まったく。元気なのはいいけれど、怪我人だということを忘れないでね」
四人は改めて頷いた。
その夜。
黒影衆本部、頭領執務室。
黒崎玄十郎は、一通の書簡を読んでいた。
差出人は、東国の大名家。
東雲家だった。
書簡には、国境付近での兵の移動と、周辺領地で起きた衝突について記されている。
さらに、隣接する黒田家との関係が悪化しているという。
「……東雲マサツグと黒田シゲノリか」
玄十郎は低く呟いた。
その時、扉が開いた。
神楽トウマが入ってくる。
「頭領、お呼びでしょうか」
「ああ。これを見てくれ」
トウマは書簡を受け取った。
読み進めるにつれ、その表情が険しくなる。
「……東雲家が動き始めたのですか」
「まだ全面的な戦ではない。だが、黒田家も兵を集めているらしい」
「……衝突は避けられないかもしれませんね」
玄十郎は頷いた。
「黒影衆としても、情勢を把握する必要がある」
「偵察隊を?」
「ああ。ただし、今は深入りするな」
玄十郎は窓の外を見た。
「内部の問題も、まだ解決していない」
トウマが静かに答えた。
「……承知しています」
「だが、戦は我々の都合を待ってくれん」
玄十郎は立ち上がった。
「まずは東国の情報を集める。どの家が、何のために兵を動かしているのかを確かめるのだ」
「はっ」
トウマは頭を下げた。
翌朝。
黒影衆本部の高台。
蒼真は一人、遠くの山々を眺めていた。
腰には風影刀がある。
だが、刀を抜くことはなかった。
「……蒼真」
振り返ると、影宗が立っていた。
「師匠」
影宗は隣に立った。
「東国の話を聞いたそうだな」
「はい」
「……どう思った?」
蒼真は少し考えた。
「正直、まだ実感がありません」
「そうか」
「でも、戦が始まれば、きっとたくさんの人が傷つきますよね」
影宗は頷いた。
「ああ」
蒼真は遠くを見つめた。
「……俺は、もっと強くなりたいです」
影宗は黙って聞いていた。
「でも、前みたいに無茶をして強くなるんじゃなくて……」
蒼真は腰の刀に触れた。
「仲間を守れる強さを身につけたい」
影宗は静かに微笑んだ。
「……それでいい」
「師匠」
「何だ?」
「いつか、風影刀のことも全部分かる日が来ますか?」
影宗は一瞬、言葉を失った。
失われた第三巻。
そこに何が記されているのか、まだ分からない。
「……ああ」
影宗は静かに答えた。
「必ず、真実を探そう」
蒼真は頷いた。
「はい」
二人の間を、穏やかな風が通り抜けた。
その日の昼。
黒影衆本部の門前には、東国へ向かう偵察隊が集まっていた。
蒼真たちは少し離れた場所から、その出発を見送っていた。
「……いよいよ、戦が近づいてるんだな」
蓮司が呟いた。
凛が頷いた。
「そうね」
レイは静かに隊列を見つめていた。
「……俺たちが動けるようになる頃には、状況が変わっているかもしれない」
蒼真は答えた。
「それでも、今できることをやろう」
蓮司が笑った。
「まずは全員、ちゃんと治すことだな!」
「そうね。特にあなた」
「また俺かよ!」
凛の言葉に、蒼真が笑った。
レイも僅かに口元を緩めた。
やがて、偵察隊が出発する。
その背中を見送りながら、蒼真は遠くの空を見つめた。
黒影衆内部の争いは、完全には終わっていない。
風影刀の謎も、まだ残されている。
それでも、時代は動き始めていた。
忍びの戦いから、国と国との争いへ。
そして、蒼真たちの運命もまた、新たな戦乱へと向かっていく。
第160話 完




