第159話「裂けた信頼」
黒影衆本部、上忍会議室。
朝の光が障子越しに差し込む中、三人の男が向かい合っていた。
黒影衆頭領、黒崎玄十郎。
雷遁を得意とする上忍、鬼塚ジン。
そして、蒼真の師である影宗。
机の上には、一通の報告書が置かれていた。
「……榊原ユウマ、か」
玄十郎が低く呟いた。
報告書には、昨夜の旧街道で起きた戦闘の経緯が記されている。
情報部門の犬飼シンと佐伯イツキが、黒札を所持する忍と交戦。
その仮面を破り、正体を確認した。
黒影衆所属の中忍、榊原ユウマ。
「本部の人間だったとはな」
ジンが腕を組んだ。
「しかも、補給関係の連絡を担当していた男だ」
影宗は報告書を見つめていた。
「……まだ、すべての事件に関与したと決まったわけではない」
ジンが顔を上げる。
「何?」
「ユウマが黒札を持ち、情報部門の忍と戦ったことは事実だ。だが、古文書を盗んだ本人かどうかは分からない」
「そこまで慎重になる必要があるのか?」
「ある」
影宗は静かに答えた。
「疑いと証拠は違う」
玄十郎が頷いた。
「影宗の言う通りだ。ユウマの身柄を確保し、事情を聞く必要がある」
ジンは小さく息を吐いた。
「……分かっている」
玄十郎は別の書類を取り出した。
「問題は、これだけではない」
机に置かれたのは、古文書庫の調査報告だった。
影宗の表情が僅かに変わる。
「……第三巻の件か」
「ああ」
玄十郎は頷いた。
「風影刀に関する古文書。その第三巻が、現在も見つかっていない」
ジンは書類を手に取った。
「以前、影宗から聞いていたが……まだ行方が分からないのか」
「そうだ」
影宗が答えた。
「ただし、北側第二補給所から持ち出された巻物と同じものかは確認できていない」
ジンは眉を寄せた。
「……もし同じものなら、風影刀についての情報が外部に渡ったことになる」
「その可能性はある」
「ならば、なおさら刀の管理を厳しくするべきだ」
影宗が顔を上げた。
「……ジン」
「蒼真を疑っているわけではない」
ジンは先に言った。
「だが、刀の力を狙う者がいるなら、本人の意思だけで守り切れる問題ではなくなる」
影宗は黙って聞いていた。
「敵が蒼真を狙う可能性もある。刀を奪おうとする可能性もある」
ジンは机に手を置いた。
「俺は、あいつを危険に晒したくない」
影宗は、ゆっくりと口を開いた。
「その気持ちは分かる」
「ならば……」
「だが、刀を取り上げれば解決するとは限らない」
ジンの表情が険しくなった。
「なぜだ?」
「風影刀は、蒼真がこれまで幾度も命を懸けて扱ってきた刀だ」
影宗は続けた。
「その力には未知の部分が多い。だからこそ、本人を研究から遠ざけるべきではない」
「研究には賛成している」
ジンは答えた。
「俺が問題にしているのは、危険が判明した場合の対応だ」
「……」
「もし刀が暴走したらどうする? 蒼真自身が止められなかったら?」
影宗はすぐには答えなかった。
ジンの言葉には、無視できない重みがあった。
以前、未知の忍具によって仲間を失った経験。
その記憶が、ジンの判断に影響していることを影宗も知っていた。
「……俺も、蒼真に無茶をさせるつもりはない」
影宗が言った。
「今は負傷している。刀を使った実戦訓練も認めていない」
「ならば、今のうちに保管を……」
「それは違う」
影宗の声が強くなった。
「危険が確認されていない段階で、本人の意思を無視することには反対だ」
二人の視線が交わった。
「そこまでだ」
玄十郎が口を開いた。
二人は黙った。
「お前たちが蒼真を案じていることは分かっている」
玄十郎は机の上の書類を揃えた。
「だが、今ここで感情的に決める問題ではない」
ジンは腕を組み直した。
「……頭領は、どうお考えですか」
「以前に決めた方針を維持する」
玄十郎は答えた。
「任務での風影刀の使用には、上忍の許可を必要とする。研究は蒼真の同意を得た上で、影宗とコウガを中心に進める」
影宗が頷いた。
「承知しました」
「そして、明確な危険が確認された場合は、一時的に使用を停止する」
玄十郎はジンを見た。
「ただし、本部での保管については、その時点で改めて協議する」
ジンはしばらく沈黙した。
やがて、静かに頭を下げた。
「……承知しました」
玄十郎は続けた。
「今は内部の情報が漏れている可能性がある。刀の保管場所を変更すれば、それ自体が新たな危険を生むかもしれん」
影宗が顔を上げた。
「……確かに」
「守るための行動が、逆に敵へ情報を与えることもある」
玄十郎の言葉に、二人は黙った。
会議が終わりに近づいた頃。
影宗が尋ねた。
「……蒼真には、第三巻の件を伝えますか」
玄十郎は少し考えた。
「今は、まだ待とう」
「……」
「ユウマの関与がどこまで及んでいるのか、確認が必要だ」
ジンが口を開いた。
「いつまでも隠しておくわけにはいかないでしょう」
「分かっている」
玄十郎は頷いた。
「だが、負傷した蒼真に不確かな情報を伝え、無理に動かすことも避けたい」
影宗は静かに答えた。
「……承知しました」
玄十郎は二人を見渡した。
「今回の事件で、黒影衆内部の信頼は揺らいでいる」
窓の外では、忍たちがいつも通り任務へ向かっていた。
「だが、疑いだけで仲間を敵と決めつければ、組織は内側から崩れる」
ジンは目を伏せた。
影宗も黙っていた。
「必要なのは、事実を確かめることだ」
玄十郎は立ち上がった。
「ユウマの捜索は情報部門に任せる。各部署には、必要な範囲で警戒を強めるよう伝えよ」
「はっ」
二人は頭を下げた。
会議室を出た後。
影宗とジンは、廊下で足を止めた。
「……影宗」
ジンが声をかけた。
「何だ」
「俺は、お前の考えを否定したいわけではない」
影宗は振り返った。
ジンは窓の外を見つめていた。
「蒼真には、才能がある。あいつが仲間を守ろうとしていることも分かっている」
「……ああ」
「だからこそ、失わせたくない」
影宗は静かに頷いた。
「俺も同じだ」
ジンが顔を向ける。
「……ならば、なぜそこまで刀を持たせることにこだわる?」
影宗は少し考えた。
「刀を持つことより、蒼真自身が判断できるようになることを大切にしたいんだ」
「……」
「危険を知り、使うべき時と使わない時を選ぶ。それができなければ、刀を取り上げても同じことが起こる」
ジンは黙っていた。
やがて、小さく息を吐いた。
「……お前らしい考えだ」
「お前も変わらないな」
影宗が答える。
「昔から、仲間を守ることになると頑固だ」
ジンは僅かに笑った。
「……お互い様だろう」
二人はそれ以上、言い争わなかった。
意見は違う。
だが、守りたいものまで違うわけではなかった。
その日の夕方。
玄十郎は一人、執務室で新たな報告書を読んでいた。
北側旧街道で確認された榊原ユウマ。
三枝ナオトへの脅迫。
そして、消えた第三巻。
それぞれの事件には繋がりがあるように見える。
しかし、まだ確かな証拠は揃っていない。
玄十郎は報告書を閉じた。
「……戦が近づいているというのに」
机の隅には、別の書簡が置かれていた。
東国の大名たちの動きが活発になっているという報告だった。
国境付近では兵の移動が増え、小さな衝突も起き始めている。
「内側の問題だけに構っているわけにもいかんか……」
玄十郎は窓の外を見た。
黒影衆が抱える問題は、まだ終わっていない。
それでも、外の世界は待ってくれない。
やがて訪れる大きな戦乱。
その気配が、忍びの里にも静かに迫っていた。
第159話 完




