第158話「破られた仮面」
北側旧街道。
月明かりが差し込む森の中で、三人の忍が向かい合っていた。
犬飼シンの右腕には、封印術による痺れが残っている。
佐伯イツキも右肩を負傷し、短刀を握るだけで痛みが走っていた。
対する黒装束の忍は、黒い仮面の奥から二人を見つめている。
「……まだ、やるつもりか」
仮面の忍が尋ねた。
シンは短刀を構え直した。
「お前が武器を捨てるなら、こちらも攻撃をやめる」
「……随分と甘いな」
「無駄な犠牲を出したくないだけだ」
男は小さく笑った。
「それが甘いと言っている」
次の瞬間、仮面の忍が地面を蹴った。
狙いはイツキだった。
「……!」
イツキは短刀を横に構え、攻撃を受け流した。
しかし、右肩に痛みが走る。
「……くっ!」
男はすぐに二撃目を繰り出した。
イツキは後退する。
その背後へ、シンが回り込んだ。
「イツキ、下がれ!」
シンの短刀が男の脇腹を狙う。
仮面の忍は身体を捻り、刃を避けた。
「……連携か」
「一人で戦っていると思うな!」
シンが答えた。
仮面の忍は距離を取った。
そして、懐から黒札を取り出す。
「……また術か!」
イツキが警戒した。
だが、男はすぐには札を使わなかった。
表面に刻まれた三本の線を、親指でなぞっている。
シンはその動きを見つめた。
(……左手の親指)
札を押さえる指の付け根に、細い傷痕が見えた。
三枝ナオトが証言していた特徴と似ている。
しかし、暗闇の中では断定できない。
「……その札を、どこで手に入れた?」
シンが尋ねた。
男は答えなかった。
「三枝ナオトを脅したのも、お前か?」
その瞬間。
仮面の忍の手が止まった。
「……その名前を、どこで聞いた」
シンは目を細めた。
「本人からだ」
男は黙った。
イツキが一歩前へ出る。
「弟まで脅して、何をさせようとしていた?」
「……」
「答えろ!」
仮面の忍は、ゆっくりと黒札を握り込んだ。
「……あの男、余計なことを話したようだな」
シンの表情が引き締まった。
「……やはり、知っているんだな」
男は答えなかった。
代わりに、札を地面へ投げた。
黒い文字が地面に広がった。
シンはすぐに後方へ跳ぶ。
「イツキ、離れろ!」
二人は距離を取った。
だが、今回は以前のような巨大な檻は現れなかった。
地面から伸びた文字が、細い線となって二人の間を走る。
「……分断する気か!」
イツキが叫んだ。
シンは線を避けながら、男の動きを観察した。
(……術の規模が小さい)
黒札に亀裂が入っている。
先ほどの幻封陣で、術の道具を消耗したのかもしれない。
「イツキ!」
「何だ!」
「札を使う瞬間を狙え! あいつは術を発動する時、動きが止まる!」
イツキは頷いた。
「分かった!」
二人は左右に分かれた。
仮面の忍は、シンへ視線を向ける。
その隙に、イツキが距離を詰めた。
「……!」
男は短刀を振り上げた。
イツキは刃を受け流し、左足を踏み込んだ。
右肩の痛みを抑えながら、身体を低くする。
「……そこだ!」
短刀の柄が、男の右腕を打った。
仮面の忍の手から黒札が離れる。
「……っ!」
札が地面に落ちた。
シンはすぐに踏み込み、男の退路を塞いだ。
「終わりだ!」
シンが短刀を突きつけた。
しかし、仮面の忍は止まらなかった。
左手を伸ばし、シンの腕を掴む。
「……甘いと言ったはずだ!」
男は身体を回転させ、シンを投げようとした。
だが、シンは足を踏ん張った。
右腕に痺れが走る。
「……っ!」
それでも、相手の手首を離さなかった。
「イツキ!」
「分かってる!」
イツキが背後から回り込む。
男は振り返ろうとした。
その瞬間、シンが相手の右腕を引いた。
体勢が崩れる。
イツキは短刀を振り上げた。
狙ったのは首ではない。
黒い仮面を固定している紐だった。
刃が紐を断ち切る。
仮面が外れ、地面へ落ちた。
「……!」
男は咄嗟に顔を隠そうとした。
だが、間に合わなかった。
月明かりが、その素顔を照らした。
「……お前は」
シンが息を呑んだ。
見覚えのある顔だった。
黒影衆本部で、何度か見かけたことがある。
補給部門と各部署の連絡を担当していた中忍。
「……榊原ユウマ?」
イツキも目を見開いた。
「まさか……本部の忍だったのか」
榊原ユウマは、ゆっくりと顔を上げた。
その表情には、諦めとも怒りともつかない感情が浮かんでいた。
「……見られたか」
シンは短刀を構えたまま尋ねた。
「なぜ、こんなことをした?」
ユウマは答えなかった。
「お前が偽の命令書を運んだのか?」
「……」
「三枝ナオトを脅したのも、お前なのか?」
ユウマは、僅かに口元を歪めた。
「……質問が多いな」
イツキが声を荒らげた。
「ふざけるな! 仲間を裏切ったんだぞ!」
その言葉に、ユウマの表情が変わった。
「……仲間?」
低い声だった。
「お前たちは、何も知らない」
シンは眉を寄せた。
「どういう意味だ?」
ユウマは答えなかった。
代わりに、足元の黒札へ視線を落とした。
シンは、その動きを見逃さなかった。
「イツキ、札を確保しろ!」
イツキが駆け寄る。
しかし、ユウマは突然、地面を蹴った。
「……!」
男はイツキの脇をすり抜け、黒札へ手を伸ばす。
シンは短刀を振るった。
刃がユウマの袖を裂いた。
だが、男は止まらない。
黒札を掴み、後方へ跳んだ。
「……逃がすか!」
イツキが追おうとする。
しかし、右肩の傷が痛み、足が止まった。
「……くっ!」
ユウマは黒札を握りしめた。
その表面には、大きな亀裂が走っている。
「……ここまでか」
男は小さく呟いた。
シンが一歩前へ出る。
「ユウマ、もうやめろ」
「……」
「今なら、まだ話せる」
ユウマは二人を見つめた。
そして、静かに言った。
「……俺一人を捕まえても、何も終わらない」
シンの表情が変わった。
「……どういうことだ?」
「そのままの意味だ」
ユウマは黒札を地面へ押し当てた。
次の瞬間、周囲に薄い霧のようなものが広がった。
「……!」
シンはすぐに口元を覆った。
「イツキ、下がれ!」
二人は後方へ退いた。
霧の中で、ユウマの姿が薄れていく。
「待て!」
シンが叫んだ。
しかし、返事はなかった。
やがて霧が晴れた時。
そこにユウマの姿はなかった。
しばらくして。
シンとイツキは、旧街道の石碑の前に立っていた。
「……逃げられたな」
イツキが悔しそうに言った。
シンは地面を見つめた。
そこには、割れた黒い仮面が残されていた。
「……だが、正体は分かった」
シンは仮面を拾い上げた。
「榊原ユウマ。黒影衆本部の中忍」
イツキは頷いた。
「しかも、ナオトのことを知っていた」
「そうだ」
シンは仮面を布に包んだ。
「ただし、まだ分からないことが多すぎる」
偽造命令書。
消えた古文書。
黒札。
そして、ユウマの言葉。
『俺一人を捕まえても、何も終わらない』
シンは夜空を見上げた。
「……まずは、セツナ様へ報告しよう」
イツキが頷いた。
「分かった」
二人は負傷した身体を支えながら、黒影衆本部へ向かって歩き始めた。
夜明けは、まだ遠かった。
第158話 完




