第156話「隠された術」
北側旧街道の奥深く。
犬飼シンと佐伯イツキは、黒い仮面をつけた忍の足跡を追っていた。
月明かりは木々に遮られ、足元さえ見えにくい。
「……シン、まだ続いているか?」
「ああ。ただ、妙だ」
シンは地面に膝をついた。
湿った土には、確かに足跡が残されている。
しかし、その間隔が不自然だった。
「……歩幅が一定すぎる」
イツキが覗き込む。
「どういうことだ?」
「さっきまで逃げていた人間の足跡とは思えない。まるで、同じ動きを繰り返しているようだ」
「……偽物か?」
「その可能性がある」
シンは顔を上げた。
「一度、止まろう」
二人は木の陰に身を寄せた。
その時だった。
「……随分と慎重になったな」
頭上から声がした。
見上げると、太い枝の上に黒装束の忍が立っていた。
黒い仮面が、月明かりを鈍く反射している。
「……やはり、誘い込んでいたか」
シンが短刀を構えた。
仮面の忍は静かに答えた。
「追ってきたのは、お前たちだろう」
「北側第二補給所で何をしていた?」
イツキが尋ねる。
「その答えを聞いて、どうする?」
「身元を確認する」
「……できると思うか?」
仮面の忍は懐から一枚の札を取り出した。
シンの表情が引き締まる。
「イツキ、警戒しろ!」
札が木の幹へ貼りついた。
すると、周囲の木々に細い文字が浮かび上がった。
「……また封印術か!」
イツキは後方へ跳んだ。
だが、着地した瞬間、身体が重くなる。
「……っ!」
足元には何もない。
それなのに、腕を持ち上げようとすると強い抵抗を感じた。
シンも異変に気づいた。
(……地面に触れていなくても作用するのか)
先ほどの術とは違う。
シンは周囲を見渡した。
木の幹に浮かぶ文字。
枝に貼られた札。
そして、仮面の忍の指先。
(……術の起点が複数ある?)
「イツキ、木から離れろ!」
「分かった!」
二人は開けた場所へ移動しようとした。
しかし、仮面の忍が指を動かすと、木々の位置が歪んで見えた。
「……!」
進もうとした先に、突然大きな木が現れる。
イツキは慌てて足を止めた。
「こんな場所に木があったか!?」
シンは目を細めた。
「……幻術だ。見えているものを信じるな!」
仮面の忍が笑った。
「気づいたところで、どうする?」
シンは短刀を握り直した。
「イツキ、さっきと同じだ。互いの位置を確認するぞ」
「ああ!」
イツキは足元の小石を拾った。
そして、シンの声が聞こえる方向へ投げた。
石は地面を転がり、何かに当たって止まった。
「……そこか!」
イツキは慎重に進んだ。
だが、次の瞬間。
「動くな!」
シンの声が響いた。
イツキは足を止めた。
目の前には、確かにシンが立っている。
しかし、本物の声は別の方向から聞こえていた。
「……偽物か!」
目の前のシンが、ゆっくりと笑った。
その顔が黒い仮面へ変わっていく。
「判断が遅いな」
仮面の忍が短刀を振り下ろした。
イツキは咄嗟に身を捻った。
刃が肩を掠め、衣服が裂ける。
「……っ!」
浅い傷だったが、痛みは確かにあった。
(……幻影じゃない!)
イツキは後方へ跳んだ。
しかし、身体が再び重くなる。
「……くそっ!」
仮面の忍は距離を取った。
「見えているものが偽物とは限らない。見えないものが本物とも限らない」
その声が、林のあちこちから聞こえた。
「イツキ!」
シンが駆け寄った。
「大丈夫か?」
「ああ、肩を少し切られただけだ」
イツキは傷口を押さえた。
シンは周囲の木々を見た。
「……この術、単なる幻術じゃない」
「どういうことだ?」
「幻術で位置を誤認させながら、封印術で動きを鈍らせている」
イツキが眉を寄せた。
「……二つの術を同時に?」
「恐らくな」
シンは木の幹に浮かぶ文字を指差した。
「あの文字が、封印術の起点になっている可能性がある」
「なら、札を剥がせば……」
「試す価値はある。ただし、近づくのは危険だ」
イツキは頷いた。
「俺が注意を引く。お前は札を調べてくれ」
シンは首を振った。
「無理をするな。肩を負傷している」
「浅い傷だ。まだ動ける」
「……分かった。だが、危険だと思ったらすぐ退け」
二人は短く頷き合った。
イツキが前へ出た。
「おい、仮面野郎!」
林の奥から声が返る。
「……何だ?」
「随分と術に頼るんだな!」
「挑発のつもりか?」
「顔を隠して逃げ回るだけなら、誰にでもできる!」
その瞬間、右側の木陰から黒装束の忍が現れた。
イツキは短刀を構える。
「……来たか!」
仮面の忍が斬りかかった。
イツキは刃を受け止めた。
だが、腕が重い。
(……まだ術が効いている!)
一方、シンは木の幹へ近づいていた。
札には細かな文字が記されている。
その一部が、淡く光っていた。
(……この文字、黒札の模様と似ている?)
シンは慎重に観察した。
札の端には、三本の細い線が刻まれている。
以前、天野ミコトが調べた黒札の破片にも、似た特徴があったと聞いている。
(……同じ仕組みなのか?)
シンは短刀の先で札の端を持ち上げた。
すると、文字の光が僅かに弱まった。
「……!」
その瞬間、イツキの身体が軽くなった。
「シン! 今、少し動きやすくなった!」
「やはり、札が関係している!」
シンは札を完全に剥がそうとした。
しかし、その時。
仮面の忍が振り返った。
「……余計なことをするな!」
男はイツキを押し返し、シンへ向かって跳んだ。
シンは咄嗟に身を屈めた。
短刀が頭上を通り過ぎる。
「……っ!」
シンは木の幹を蹴り、距離を取った。
その手には、剥がしかけた札の一部が握られていた。
仮面の忍は、木の前に立った。
「……なるほど」
その声には、僅かな苛立ちが混じっていた。
「ただの追跡役ではないようだな」
シンは札の破片を懐へしまった。
「お前の術には、何か仕組みがある」
「……」
「それを調べれば、突破できるかもしれない」
仮面の忍は静かに笑った。
「なら、試してみろ」
男は両手を合わせた。
周囲の木々に浮かんでいた文字が、一斉に光を強める。
イツキが顔を上げた。
「……シン!」
「ああ、分かっている!」
二人は背中を合わせた。
足元の土が僅かに震える。
木々の間には、無数の黒い文字が浮かび上がっていた。
「……これが本来の術か」
シンが呟いた。
仮面の忍はゆっくりと手を下ろした。
「お前たちが知りたがっていたものだ」
男の声が、林全体に響いた。
「幻と封印を重ねる術……」
一瞬、周囲の景色が暗くなる。
「幻封陣・黒迷ノ檻」
次の瞬間、シンとイツキの周囲に黒い文字の壁が現れた。
二人は退路を塞がれた。
「……閉じ込められたか」
イツキが短刀を握り直す。
シンは壁を見つめた。
「いや……まだ終わりじゃない」
仮面の忍は、黒い文字の向こうで二人を見下ろしていた。
「この檻から出られるものなら、出てみろ」
夜の森に、静かな緊張が広がった。
情報部門の二人は、未知の術の中に閉じ込められていた。
第156話 完




