第155話「仮面の忍」
北側旧街道。
月明かりの下、犬飼シンと佐伯イツキは黒装束の忍と向かい合っていた。
地面には、薄い光を放つ奇妙な模様が広がっている。
「イツキ、足元に気をつけろ!」
シンの声に、イツキは後方へ跳んだ。
だが、着地した瞬間、右足が動かなくなった。
「……何だ?」
足首に何かが絡みついている。
見下ろすと、地面から伸びた黒い文字が足に巻きついていた。
「動くな!」
シンが叫んだ。
「無理に引き剥がすと危険だ!」
黒装束の忍が静かに笑った。
「気づくのが遅い」
男は指先に挟んだ札を掲げた。
「この道に踏み込んだ時点で、お前たちは術の内側にいる」
イツキは短刀を構え直した。
「……封印術か?」
「さあな」
男は答えをはぐらかした。
シンは地面を見つめた。
模様は、先ほど黒装束が石碑の根元に金属片を差し込んだ場所から広がっている。
(あれが起点か……?)
確証はない。
しかし、何かを仕掛けた可能性は高かった。
「イツキ、身体を捻るな。まずは呼吸を整えろ」
「分かった……!」
イツキは焦りを抑え、足元の文字を観察した。
黒装束の忍は、二人との距離をゆっくりと詰めた。
「情報部門がここまで来るとはな」
シンは短刀を構えたまま尋ねた。
「北側第二補給所で何を探していた?」
「……」
「古文書か?」
その言葉に、男の動きが僅かに止まった。
シンは見逃さなかった。
「やはり、何か知っているな」
「余計な詮索は身を滅ぼすぞ」
男は懐からもう一枚の札を取り出した。
シンはすぐに横へ移動する。
次の瞬間、先ほどまで立っていた地面に黒い文字が浮かび上がった。
「……!」
シンは木の幹を蹴り、距離を取った。
だが、男の姿が突然二つに分かれた。
「幻術……?」
右側の男が札を投げる。
シンは身を屈めて避けた。
しかし、札は地面に落ちる前に消えた。
(……偽物か!)
左側から短刀が迫る。
シンは刃を受け止めた。
金属同士が擦れ、鋭い音が夜の林に響く。
「判断が遅い」
黒装束の忍が低く言った。
シンは相手の刃を押し返した。
「……まだ、終わっていない!」
その頃、イツキは足元の術を調べていた。
黒い文字は足首を囲んでいるが、完全に身体を固定しているわけではない。
(……動けないのは右足だけ)
イツキは左足に重心を移した。
すると、文字の光が僅かに弱まった。
「……そういうことか」
術は足そのものではなく、地面との接触を利用しているのかもしれない。
イツキは短刀を逆手に持った。
そして、足元の土へ刃を差し込む。
土を少しずつ削り、足首の周囲を崩していく。
黒い文字が揺らいだ。
「……いける!」
だが、その瞬間。
背後から声がした。
「無駄だ」
振り返ると、黒装束の忍が立っていた。
「……!」
イツキは短刀を構えた。
しかし、目の前の男は動かない。
その姿が、僅かに揺れている。
(……幻影か?)
イツキは目を細めた。
男の足元には影がない。
「……騙されるか!」
イツキは視線を戻し、土を削り続けた。
やがて、足首を囲んでいた文字が薄れていく。
右足が動いた。
「……よし!」
イツキはすぐに立ち上がった。
一方、シンは黒装束の忍と短刀を交えていた。
相手の動きは速い。
しかも、時折姿が二重に見えるため、攻撃の方向を読みづらかった。
(……幻術と体術を組み合わせているのか)
シンは後退しながら、相手の足運びを観察した。
右足を僅かに引く癖。
だが、戦闘中の動きには大きな乱れがない。
(怪我ではないのか……?)
その時、男が短刀を振り下ろした。
シンは刃を受け流し、相手の懐へ踏み込んだ。
「……!」
黒装束の忍が後方へ跳ぶ。
その拍子に、頭巾の端がずれた。
月明かりが、男の顔の一部を照らす。
そこには、黒い仮面があった。
「……仮面?」
シンが呟く。
男は頭巾を直した。
「見られたか」
「顔を隠す理由があるようだな」
「忍が顔を隠すのは珍しくないだろう」
男は静かに答えた。
そして、再び札を構えた。
「シン!」
イツキが駆け寄ってきた。
「足は大丈夫か?」
「ああ。地面を崩したら術が弱まった!」
シンは頷いた。
「なるほど。地面に描かれた文字が重要なのかもしれないな」
黒装束の忍は二人を見つめた。
「……あの術を抜けたか」
イツキが短刀を構える。
「次はそう簡単には捕まらないぞ」
男は小さく笑った。
「威勢がいいな」
その手に、新たな札が現れた。
シンはすぐに警戒した。
「イツキ、距離を取れ!」
だが、男は札を投げなかった。
代わりに、自分の足元へ押し当てた。
地面に細い線が走る。
「……何をする気だ?」
イツキが尋ねた。
男は答えなかった。
次の瞬間、周囲の景色が歪み始めた。
木々の位置が変わる。
石碑が二つに見える。
そして、月明かりが突然消えた。
「……幻術か!」
シンは目を閉じた。
しかし、耳に届く風の音まで変わっている。
(視覚だけじゃない……!)
イツキの声が聞こえた。
「シン! どこだ!」
「ここだ! 動くな!」
二人は互いの声を頼りに位置を確認した。
だが、黒装束の忍の姿は見えなくなっていた。
暗闇の中。
シンは短刀を構えたまま、ゆっくりと呼吸を整えた。
「イツキ、聞こえるか?」
「ああ!」
「今いる場所から動くな。相手は俺たちを分断しようとしている」
「分かった!」
シンは地面へ手を伸ばした。
土の感触は変わらない。
(……景色は偽物でも、地面は本物か)
指先で小石を拾う。
それを、声の聞こえる方向へ転がした。
少しして、石が何かに当たる音がした。
「……シン?」
イツキの声が近づいた。
「石が足元に来た!」
「よし。その位置を覚えておけ」
二人は少しずつ距離を詰めた。
やがて、暗闇の中で互いの手が触れた。
「……合流できたな」
「ああ」
その瞬間、周囲の景色が元に戻った。
月明かり。
木々。
古い石碑。
だが、黒装束の忍は姿を消していた。
「……逃げられたか」
イツキが悔しそうに呟いた。
シンは周囲を見渡した。
「いや……」
地面には、新しい足跡が残っていた。
それは、旧道のさらに奥へ続いている。
「まだ遠くへは行っていないはずだ」
イツキが顔を上げる。
「追うか?」
シンは少し考えた。
相手の術は未知数だ。
無理に追えば、再び罠にかかる可能性がある。
だが、ここで完全に見失えば、次の手掛かりがいつ得られるか分からない。
「……距離を保つ」
シンは答えた。
「無理に戦わず、行き先を確かめる」
イツキは頷いた。
「了解」
二人は足跡を追い、旧道の奥へ進み始めた。
その先には、深い森が広がっていた。
そして、森の奥。
黒い仮面をつけた忍が、木の上から二人の動きを見下ろしていた。
「……まだ追ってくるか」
男は懐から黒札を取り出した。
表面には、三本の細い線が刻まれている。
「……なら、次は少し本気を出す必要があるな」
月明かりが、黒い仮面を照らした。
正体不明の忍との戦いは、まだ始まったばかりだった。
第155話 完




