第154話「闇夜の追跡」
黒影衆本部から北へ続く旧街道。
夕暮れが近づく頃、犬飼シンは北側第二補給所の裏手に立っていた。
足元には、昨日の夜に発見された足跡が残されている。
「……ここから来たのか」
シンは膝をつき、地面を調べた。
足跡は二種類あった。
一つは補給所の見回りを担当する忍のもの。
もう一つは、少し離れた林の中へ続いていた。
「……妙だな」
シンは土に触れた。
足跡の深さが一定ではない。
途中から急に浅くなり、木の根元で途切れている。
「体重を分散させたのか。それとも……」
シンは顔を上げた。
木の枝が、僅かに揺れていた。
だが、そこに人影はない。
「……」
シンは手帳を取り出し、足跡の位置を記録した。
その時、背後から声がした。
「シンさん」
振り返ると、佐伯イツキが歩いてきた。
「セツナ様からの伝言です。今夜、この周辺の監視を強化するそうです」
「……やはり、動くか」
「はい。ただし、無理な捕縛は避けるようにと」
シンは頷いた。
「相手の人数も分かっていないからな」
二人は林の奥を見つめた。
かつて、正体不明の忍が姿を消した北側の旧道。
その道が、再び事件の中心になろうとしていた。
夜。
北側第二補給所の周辺は、深い静寂に包まれていた。
補給所の灯りが、木々の間から僅かに見える。
シンは林の中に身を潜めていた。
少し離れた場所にはイツキがいる。
二人は、あらかじめ決めておいた合図で連絡を取ることになっていた。
「……」
シンは呼吸を整えた。
夜風が木々を揺らす。
遠くから、巡回する忍たちの足音が聞こえてきた。
その時だった。
林の奥で、小さな影が動いた。
シンの目が細くなる。
(……来たか)
影は木々の間を慎重に進んでいた。
黒い装束。
深く被った頭巾。
そして、腰には小さな袋を下げている。
シンは動かなかった。
相手が何をするのか、見極める必要がある。
影は補給所の裏手へ近づいた。
だが、すぐには中へ入ろうとしなかった。
周囲を何度も確認している。
(……警戒しているな)
シンは小さな石を一つ拾った。
それを、イツキのいる方向へ静かに転がす。
合図だった。
少し離れた茂みが、僅かに揺れた。
イツキも気づいたようだ。
黒装束の忍は、補給所の裏手にある木箱の近くで足を止めた。
腰の袋から、何かを取り出す。
月明かりを受け、小さな黒い板が光った。
(……黒札!)
シンは目を見開いた。
黒い板の表面には、細い線が刻まれているように見えた。
しかし、距離があり、正確な形までは分からない。
黒装束の忍は、札を木箱の側面へ近づけた。
その瞬間、木箱に貼られていた封印札が僅かに光った。
「……」
忍は何かを確かめるように、封印札を見つめた。
だが、すぐに手を引いた。
(……開けないのか?)
シンは眉を寄せた。
黒装束の忍は、木箱の周囲を一度見渡した。
そして、突然動きを止めた。
頭巾の奥から、鋭い視線が林へ向けられる。
(……気づかれたか?)
シンは息を潜めた。
数秒の沈黙。
やがて、黒装束の忍は札を懐へしまった。
そして、補給所から離れ始めた。
(……逃がすわけにはいかない)
シンは慎重に立ち上がった。
追跡を開始する。
旧街道。
黒装束の忍は、木々の間を素早く進んでいた。
シンは一定の距離を保ちながら、その後を追う。
少し遅れて、イツキも合流した。
「……見えたか?」
シンが小声で尋ねる。
「ああ。黒札らしきものを持っていたな」
「確証はないが、可能性は高い」
二人は足音を抑えながら進んだ。
黒装束の忍は、何度も進路を変えていた。
一直線には逃げない。
時折、木の上へ移動し、再び地面へ降りる。
追跡者の有無を確かめているようだった。
「……慣れているな」
イツキが呟く。
「かなりの手練れだ」
シンは頷いた。
「無理に距離を詰めるな。相手がこちらに気づいている可能性がある」
「分かった」
二人は追跡を続けた。
やがて、黒装束の忍は古い石碑の前で足を止めた。
以前、シンが発見した旧道の分岐点だった。
忍は石碑の周囲を確認する。
そして、地面に片膝をついた。
(……何をしている?)
シンは木の陰から様子を窺った。
黒装束の忍は、小さな布袋を地面に置いた。
その中から、細長い金属片を取り出す。
石碑の根元へ差し込むと、何かを探るように動かし始めた。
「……」
シンは目を細めた。
(……隠し場所か?)
だが、その時。
黒装束の忍が突然、顔を上げた。
「……そこにいるのは分かっている」
低い声が、夜の林に響いた。
シンとイツキは動きを止めた。
「いつまで隠れているつもりだ?」
黒装束の忍は立ち上がった。
その右手には、細長い金属片が握られている。
シンはイツキへ視線を送った。
二人は頷き合った。
そして、木の陰から姿を現した。
「黒影衆情報部門、犬飼シンだ」
シンが名乗った。
「その札について、話を聞かせてもらいたい」
黒装束の忍は答えなかった。
イツキが一歩前へ出る。
「北側第二補給所で何をしていた?」
「……」
「正式な許可があるなら、確認させてもらいたい」
黒装束の忍は、ゆっくりと二人を見た。
「……情報部門か」
その声には、驚きよりも警戒が含まれていた。
シンは相手の手元を見つめた。
「抵抗しなければ、こちらも無理に拘束するつもりはない」
「……随分と丁寧だな」
黒装束の忍が初めて笑った。
「だが、俺に答える義務はない」
「なら、身元を確認させてもらう」
イツキが言った。
黒装束の忍は、細長い金属片を懐へしまった。
「……断る」
その瞬間、シンは相手の足元に目を向けた。
右足が、僅かに後ろへ引かれている。
(……右足を引く癖)
三枝ナオトと藤堂アキラの証言が脳裏をよぎった。
だが、同じ人物とは限らない。
シンは慎重に距離を測った。
「……最後に聞く」
黒装束の忍が、ゆっくりと腰を落とした。
「ここで引く気はないのか?」
イツキは短刀を抜いた。
「それはこちらの台詞だ」
黒装束の忍は小さく息を吐いた。
「……仕方ない」
右手を上げる。
指先には、薄い札が挟まれていた。
「なら、少し眠ってもらおう」
札の表面に、淡い光が走った。
シンの表情が変わる。
「イツキ、目を逸らせ!」
二人はすぐに視線を外した。
しかし、足元の地面に奇妙な模様が浮かび上がり始めていた。
「……何だ、これは」
イツキが呟いた。
黒装束の忍は、静かに後退した。
「追ってきたことを、後悔するなよ」
シンは短刀を構えた。
「……幻術か、封印術か」
目の前の模様が、少しずつ広がっていく。
二人は互いの位置を確認し、距離を取った。
夜の旧街道。
黒札を持つ忍との対峙が、ついに始まろうとしていた。
第154話 完




