第153話「仕組まれた罠」
黒影衆本部、情報部門。
朝早くから、如月セツナは机に広げた地図を見つめていた。
地図には、北側第二補給所へ続く道と、その周辺にある複数の脇道が記されている。
「……ここなら、使えるかもしれないわね」
セツナは一か所に印をつけた。
その時、扉が開いた。
「セツナ様、お呼びでしょうか」
佐伯イツキと犬飼シンが入ってきた。
「二人とも、座って」
セツナは地図を二人の前に広げた。
「今日は、少し危険な作戦について話したいの」
イツキが身を乗り出した。
「黒札の件ですか?」
「ええ。これまでの調査で、相手が私たちの動きを警戒している可能性が出てきた」
シンが頷いた。
「古い井戸の件ですね」
「そう。ただ、誰が情報を伝えているのかは、まだ分からない」
セツナは地図を指差した。
「だから、こちらから情報を流してみようと思うの」
「……情報を流す?」
イツキが首を傾げた。
セツナは頷いた。
「偽の補給予定よ」
「三日後、北側第二補給所へ特別な荷物を運ぶ」
セツナは用意していた書類を机に置いた。
「そういう予定を、一部の担当者だけに知らせるの」
シンが書類を確認した。
「……荷物の内容は?」
「古文書庫から回収された資料、ということにするわ」
イツキの表情が変わった。
「それなら、相手が興味を示す可能性がありますね」
「ええ。ただし、実際に運ぶのは普通の補給品だけ」
セツナは続けた。
「それに、本物の古文書を囮に使うつもりもない」
シンが尋ねた。
「相手が現れたら捕らえるのですか?」
「状況次第ね」
「……」
「相手の人数も、術も分からない。無理に捕縛すれば、こちらに被害が出るかもしれない」
セツナは二人を見た。
「今回の第一目的は、情報がどこから漏れるかを確かめることよ」
イツキが頷いた。
「では、複数の経路に違う情報を流すんですね」
「その通り」
セツナは三枚の紙を取り出した。
それぞれに、異なる補給予定が記されていた。
一枚目は、北側第二補給所への搬入。
二枚目は、西側倉庫への移送。
三枚目は、東側の小さな保管所への運搬。
「この三つを、別々の担当者に伝える」
シンが尋ねた。
「もし特定の場所に不審な動きがあれば……」
「その情報を知っていた範囲を絞れるわ」
セツナは頷いた。
「ただし、それだけで内通者を決めつけないこと。偶然や、別の経路で情報が伝わった可能性もあるから」
「承知しました」
昼過ぎ。
黒影衆本部、西側倉庫。
佐伯イツキは、補給担当の中忍と向かい合っていた。
「三日後、西側倉庫に特別な荷物が届く予定です」
「特別な荷物?」
「はい。詳しい内容は、情報部門で管理しています」
担当者は少し驚いた。
「……そんな話は聞いていませんが」
「急に決まったことです。まだ正式な搬入命令ではありません」
イツキは書類を差し出した。
「今は、保管場所の確保だけお願いします」
「分かりました」
担当者は書類を受け取った。
「それと、この件は当面、担当者以外には話さないようお願いします」
「承知しました」
イツキは頭を下げ、倉庫を後にした。
廊下へ出ると、手帳に時刻を記録する。
誰に。
いつ。
どの情報を伝えたのか。
一つずつ、正確に残していった。
同じ日の午後。
北側第二補給所。
犬飼シンは、補給所の責任者と話していた。
「三日後、古文書庫に関係する資料が運ばれる可能性があります」
責任者は眉を寄せた。
「また古文書か。最近は妙な荷物が多いな」
「今回は情報部門の管理下で行います」
「……分かった」
シンは続けた。
「ただし、予定は変更になる可能性があります。現時点では準備だけお願いします」
「了解した」
責任者は頷いた。
シンは補給所を出ると、周囲の道を確認した。
以前、正体不明の忍が姿を消した北側の旧道。
その近くには、現在の地図に記されていない古い脇道もある。
「……また、ここへ来るのか」
シンは静かに呟いた。
しかし、今は追跡を始める時ではない。
相手が動くかどうかを、まず見極める必要があった。
夕方。
情報部門の執務室。
セツナは二人から報告を受けていた。
「西側倉庫への伝達は完了しました」
イツキが言った。
「北側第二補給所も同様です」
シンが続ける。
セツナは頷いた。
「東側保管所への情報も、私から伝えておいたわ」
机の上には、三つの伝達経路が整理されていた。
「これで準備は整ったわね」
イツキが尋ねた。
「監視はいつから始めますか?」
「今夜から。ただし、目立つ配置は避けて」
「承知しました」
セツナは地図を見つめた。
「相手が本当に情報を集めているなら、すぐに動くとは限らない」
シンが頷く。
「こちらの罠を警戒する可能性もありますね」
「ええ」
セツナは静かに答えた。
「だから、焦らず待ちましょう」
その夜。
黒影衆本部、西棟。
一人の中忍が、人気のない廊下を歩いていた。
榊原ユウマだった。
勤務を終えたばかりの彼は、手にした書類を見つめていた。
そこには、三日後の補給予定が記されている。
「……特別な荷物、か」
ユウマは足を止めた。
最近、情報部門が補給関係の記録を調べていることは知っている。
その直後に、新たな特別搬入の話が出てきた。
「……妙だな」
ユウマは書類を畳んだ。
しばらく考えた後、廊下の奥へ歩き始める。
だが、その足取りには迷いがあった。
翌朝。
黒影衆本部の中庭。
セツナは犬飼シンから、最初の監視報告を受けていた。
「昨夜、西側倉庫に不審な出入りはありませんでした」
「北側は?」
「今のところ、異常は確認されていません」
「そう」
セツナは頷いた。
「東側保管所も同じよ」
シンは少し残念そうな表情を浮かべた。
「……まだ、動きませんね」
「始めたばかりだもの」
セツナは穏やかに答えた。
「相手が慎重なら、なおさら時間がかかるわ」
その時、イツキが駆け寄ってきた。
「セツナ様!」
「どうしたの?」
「北側第二補給所から報告です」
セツナの表情が引き締まった。
「何があったの?」
「昨夜、補給所の外側で不審な足跡が見つかったそうです」
シンが顔を上げた。
「足跡?」
「はい。ただ、誰のものかは分かっていません」
セツナは少し考えた。
「……補給所の中には?」
「侵入された形跡はありません」
「分かったわ」
セツナは地図を取り出した。
「シン、現場を確認してきて。足跡がいつ付いたものか、できるだけ慎重に調べて」
「承知しました」
シンはすぐに出発した。
イツキが尋ねた。
「……罠にかかったのでしょうか?」
セツナは首を振った。
「まだ分からないわ」
「……」
「でも、北側に何かが起きたのは確かね」
セツナは地図の北側第二補給所を見つめた。
三つの異なる情報。
そのうち、古文書に関係する予定を伝えた場所で、不審な足跡が見つかった。
偶然なのか。
それとも、誰かが情報を得て動いたのか。
答えは、まだ出ていない。
「……ようやく、動きが見え始めたかもしれないわね」
セツナは静かに呟いた。
しかし、相手もまた、こちらの動きを警戒している。
仕組まれた罠が、誰を捕らえることになるのか。
それは、まだ誰にも分からなかった。
第153話 完




