第149話「弟への脅迫」
黒影衆本部から南東へ離れた宿場町。
朝日が昇る頃、通りには商人や旅人の姿が増え始めていた。
その一角に、小さな薬草店がある。
「ハルキ、裏の荷物を運んでくれるか?」
「はい、すぐに!」
三枝ハルキは店主の呼びかけに答え、裏庭へ向かった。
二十二歳のハルキは、ここで働き始めて三年になる。
薬草の種類を覚えるのは大変だったが、今では客の症状を聞いて、店主に必要な品を取り次げるようになっていた。
「今日は随分と荷物が多いですね」
「北の方で薬草が不足しているらしい。しばらく忙しくなるぞ」
「分かりました。頑張ります」
ハルキは木箱を持ち上げた。
その時、店の前を通り過ぎる二人の旅人が目に入った。
一人は背が高く、もう一人は小柄だった。
二人とも笠を深く被っている。
ハルキは一瞬だけ足を止めた。
(……昨日も見たような)
だが、宿場町には同じ旅人が何日も滞在することもある。
特に気にせず、荷物を店内へ運んだ。
昼過ぎ。
店内には数人の客がいた。
ハルキが薬草を棚へ戻していると、一人の男が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
男は灰色の旅装を身につけ、顔の半分を布で覆っていた。
「薬草を探している」
「どのようなものですか?」
「傷に使うものだ」
「それでしたら、こちらに何種類かございます」
ハルキが棚を案内すると、男は薬草を手に取った。
しかし、品物を見るよりも、ハルキの顔を観察しているようだった。
「……お前、三枝というのか?」
突然の質問に、ハルキは驚いた。
「え? はい、そうですが……」
「兄がいるそうだな」
ハルキの手が止まる。
「……兄をご存じなんですか?」
「黒影衆にいるんだろう?」
「はい。兄は忍をしています」
男は薬草を棚へ戻した。
「最近、連絡はあったか?」
「……いえ。しばらく会っていませんけど」
「そうか」
男は懐から銅銭を取り出した。
「これを一つもらおう」
「ありがとうございます」
ハルキが薬草を包もうとすると、男が小さな紙を差し出した。
「ついでに、これを預かってくれ」
「……何ですか?」
「兄への伝言だ」
ハルキは戸惑った。
「兄に直接渡せばいいのでは?」
「会う機会がない」
男の声が低くなった。
「お前から伝えればいい」
ハルキは紙を受け取らなかった。
「申し訳ありません。知らない方からの伝言を、勝手に預かるわけには……」
男はしばらく黙っていた。
やがて、紙を棚の上に置いた。
「なら、そこに置いておく」
「ちょっと、お客様……」
「兄に知らせておけ」
男は出口へ向かった。
「余計なことを話せば、家族に迷惑がかかるとな」
ハルキの背筋が冷たくなった。
「……どういう意味ですか?」
男は答えず、店を出ていった。
夕方。
薬草店の裏庭。
ハルキは棚の上に残された紙を見つめていた。
店主には、怪しい客が来たことをすでに伝えてある。
「ハルキ」
店主が裏口から顔を出した。
「さっきの男、知り合いじゃないんだな?」
「はい。初めて会いました」
「だったら、妙な伝言なんか気にするな」
「……そうですね」
店主は心配そうに続けた。
「最近、この辺りで見慣れない旅人が増えている。用心しろよ」
「はい」
店主が戻ると、ハルキは紙を開いた。
そこには短い文章が記されていた。
『三枝ナオトへ。約束を忘れるな。弟の居場所は分かっている』
「……兄さん?」
ハルキは何度も読み返した。
兄が誰かと約束をしている。
その相手が、自分の居場所を知っている。
それだけは理解できた。
だが、何の約束なのかは分からない。
「……何をしてるんだよ、兄さん」
ハルキは紙を握り締めた。
幼い頃から、兄のナオトは自分を守ってくれていた。
両親を亡くしてからは、働きながらハルキの生活を支えてくれた。
忍として忙しくなってからも、時折手紙を送ってくれていた。
そんな兄が、何か危険なことに巻き込まれているのだろうか。
不安が胸に広がった。
日が沈み始めた頃。
ハルキは店主に許可をもらい、買い出しに出かけた。
通りにはまだ人が多い。
しかし、少し歩いたところで、背後に妙な気配を感じた。
振り返る。
背の高い旅人が、少し離れた場所に立っていた。
昼間、店の前で見かけた人物に似ている。
ハルキは歩く速度を上げた。
すると、旅人も歩き始めた。
(……まさか)
ハルキは人通りの多い市場へ向かった。
その途中、道の反対側から小柄な旅人が現れた。
二人は互いに目を合わせることもなく、ハルキとの距離を縮めてくる。
「……」
ハルキは足を止めた。
その時だった。
「お兄さん、落としましたよ」
背後から声がかかった。
振り返ると、荷物を抱えた若い女性が立っていた。
「え?」
女性は小さな布袋を差し出した。
「これ、あなたのものでは?」
「……いえ、違いますけど」
女性は笑顔のまま、小声で告げた。
「振り返らずに、私についてきてください」
ハルキは目を見開いた。
「……あなたは?」
「お兄さんのことを心配している人から頼まれています」
女性は布袋を持ち直した。
「詳しい話は、ここではできません」
ハルキは迷った。
見知らぬ人物を信用していいのか分からない。
だが、女性は続けた。
「薬草店のご主人にも、後で説明します。まずは人の多い場所へ」
ハルキは小さく頷いた。
二人は市場の中へ歩き始めた。
背の高い旅人が後を追おうとしたが、別の買い物客が進路を塞いだ。
その隙に、ハルキたちは人混みへ紛れた。
市場の奥にある茶屋。
ハルキは女性と向かい合って座っていた。
「……本当に、兄の知り合いなんですか?」
女性は首を振った。
「直接の知り合いではありません」
「じゃあ、どうして僕を?」
「あなたの安全を確認するよう、頼まれています」
女性は声を落とした。
「私は黒影衆の者です」
ハルキの表情が変わった。
「……兄さんと同じ?」
「はい。ただし、詳しい所属は今は話せません」
「兄は無事なんですか?」
女性は少し間を置いた。
「最後に確認した時点では、無事です」
ハルキは安堵しかけたが、すぐに顔を曇らせた。
「……何かあったんですね」
女性は否定しなかった。
「あなたを利用して、ナオトさんに圧力をかけようとしている人物がいる可能性があります」
「僕を……?」
「今日、何か変わったことはありませんでしたか?」
ハルキは昼間の出来事を説明した。
灰色の旅装の男。
兄への伝言。
そして、紙に書かれた脅迫文。
女性の表情が険しくなった。
「その紙は、まだ持っていますか?」
「はい」
ハルキは懐から取り出した。
女性は受け取らず、文字を確認した。
「……これは重要な手掛かりになるかもしれません」
「兄さんは、何をしたんですか?」
ハルキの声が震えた。
「悪いことをしたんでしょうか?」
女性は静かに答えた。
「今、調べているところです。私から断定することはできません」
「……」
「ですが、あなたが脅される理由にはなりません」
ハルキは俯いた。
「兄さんは、昔から何でも一人で抱え込むんです」
女性は黙って聞いていた。
「僕に心配をかけないようにって……いつも」
ハルキは拳を握った。
「でも、僕だってもう子供じゃない」
その目には、不安と悔しさが浮かんでいた。
「……兄さんを助けたいんです」
女性は頷いた。
「なら、今日の出来事を正確に伝えてください。それが今できる、一番大切なことです」
夜。
宿場町の外れ。
背の高い旅人と小柄な旅人が、人気のない道で向かい合っていた。
「……見失ったのか?」
背の高い男が尋ねる。
小柄な男は不機嫌そうに答えた。
「途中で女が割り込んできた」
「黒影衆か?」
「分からん。だが、動きが妙に落ち着いていた」
背の高い男は黙り込んだ。
「……警護がついている可能性があるな」
「どうする?」
「これ以上、無理に近づくな」
「だが、伝言は?」
「もう届いている」
男は宿場町の灯りを見つめた。
「目的は、三枝ナオトに弟の危険を思い知らせることだ」
小柄な男が尋ねる。
「それで、ナオトが黙ると思うか?」
「分からん」
背の高い男は答えた。
「だからこそ、次の反応を見る」
二人は暗い道を歩き去った。
ハルキは薬草店の二階で、窓の外を眺めていた。
黒影衆の女性から、しばらく一人で外出しないよう頼まれている。
店主にも事情の一部が伝えられ、店の周囲には目立たない形で警護が置かれていた。
ハルキは机の引き出しを開けた。
中には、兄から届いた古い手紙が何通も収められている。
一番新しい手紙を取り出す。
そこには、いつもの几帳面な文字が並んでいた。
『無理をするな。困ったことがあれば、必ず知らせろ』
ハルキは苦笑した。
「……それはこっちの台詞だよ、兄さん」
手紙を丁寧に畳む。
そして、窓の向こうに広がる夜空を見上げた。
「……今度は、僕にも頼ってくれよ」
兄弟の間に迫る危険。
その全貌を、ハルキはまだ知らない。
だが、何者かが自分を利用して兄を脅していることだけは、確かだった。
第149話 完




