第144話「譲れぬ信念」
黒影衆本部。
昨日の評定から、一夜が明けた。
風影刀の管理方針は、ひとまず定められた。
しかし、上忍たちの考えが完全に一致したわけではない。
鬼塚ジンは規律を重んじ、影宗は忍の自主性を尊重する。
どちらも黒影衆を守るための考えだった。
その一方で、神楽トウマと風間コウガもまた、今回の決定に対して、それぞれ思うところがあった。
午前。
黒影衆の第三修行場。
神楽トウマは、若い忍たちの訓練を見守っていた。
「そこまで!」
トウマの声に、二人の中忍が動きを止めた。
一人は刀を構え、もう一人は短槍を握っている。
「……ありがとうございました!」
二人が頭を下げた。
トウマは頷く。
「悪くない。だが、最後の動きは危険だった」
短槍を持つ忍が顔を上げる。
「……どこでしょうか?」
「相手の刀を受けた後、すぐに反撃しようとしただろう」
「はい」
「その時、左側が完全に空いていた」
トウマは木製の短槍を手に取った。
「もう一度、同じ構えをしてみろ」
「はい!」
若い忍が構える。
トウマはゆっくりと短槍を動かした。
刃先を受ける動作。
そこから半歩、身体をずらす。
「ここだ」
短槍の先端が、若い忍の左脇へ向けられていた。
「……!」
「お前が反撃を急いだ瞬間、相手にはこの隙が見える」
若い忍は自分の姿勢を確認した。
「……確かに」
トウマは短槍を下ろした。
「攻撃することばかり考えるな」
「はい」
「生き残ることも、任務の一部だ」
若い忍は深く頭を下げた。
「ありがとうございました!」
トウマは頷いた。
「次は、その隙をどう補うか考えてみろ」
訓練が終わる頃。
修行場の入り口に、風間コウガが姿を現した。
「相変わらず厳しいな、トウマ」
トウマが振り返る。
「コウガ殿」
「少し見ていたが、いい指導だった」
トウマは首を振った。
「まだまだです」
コウガは修行場を見渡した。
若い忍たちは、先ほど指摘された動きを繰り返している。
「……熱心な連中だな」
「ええ」
トウマは小さく笑った。
「失敗したところを、そのままにしたくないのでしょう」
コウガが頷く。
「いいことだ」
二人は修行場の端にある木陰へ移動した。
トウマは水筒を取り出し、コウガへ差し出した。
「飲みますか?」
「ありがたい」
コウガは水を一口飲んだ。
しばらく、二人は訓練を続ける忍たちを眺めていた。
やがて、コウガが口を開く。
「……昨日の評定、どう思った?」
トウマは少し考えた。
「必要な話し合いだったと思います」
「そうか」
「ただ、まだ足りない部分もあります」
コウガは顔を向けた。
「……例えば?」
トウマは修行場の若い忍たちを見た。
「現場で命令を受ける者たちのことです」
「……現場の忍か」
コウガが呟いた。
トウマは頷いた。
「はい」
「昨日は、蒼真が風影刀を使う条件について話し合った」
「ええ」
「だが、蒼真と同じ部隊に入る者たちは、どこまで知っているのでしょうか」
コウガは黙って聞いていた。
トウマは続ける。
「風影刀の危険性が分からないまま、仲間に使用を任せることになるかもしれません」
「……確かにな」
「逆に、蒼真が刀を使わないと判断した時、その理由を仲間が理解できなければ、連携が乱れる可能性もあります」
コウガは腕を組んだ。
「つまり、蒼真だけが刀を理解していても足りないということか」
「そうです」
トウマは頷いた。
「全ての秘密を共有する必要はありません。しかし、部隊として行動する以上、必要な情報は伝えなければならない」
コウガは少し考えた。
「……蓮司たちにも、ということだな」
「ええ」
「ただ、レイはまだ重傷だ」
「承知しています」
トウマは静かに答えた。
「今すぐ訓練に参加させるつもりはありません」
「……」
「ですが、復帰した時に何も知らない状態では困ります」
コウガは頷いた。
「その通りだ」
トウマは水筒を置いた。
「私は、蒼真だけを特別扱いすることにも慎重であるべきだと思っています」
コウガが顔を上げる。
「……どういう意味だ?」
「蒼真が特別な刀を持っていることは事実です」
「……ああ」
「しかし、だからといって、他の三人がただ守られる存在になるわけではありません」
コウガは静かに頷いた。
「そうだな」
「蓮司にも、凛にも、レイにも、それぞれの判断があります」
トウマは続けた。
「その判断を尊重しなければ、部隊として成長できないでしょう」
コウガは少し笑った。
「……昨日、蒼真にも似た話をした」
「そうなのですか?」
「ああ」
コウガは地面へ目を向けた。
「一人で全員を守ろうとするな、と」
トウマが頷いた。
「……蒼真らしいですね」
「そうだな」
二人は小さく笑った。
昼前。
第三修行場の訓練が終わった。
若い忍たちが片付けを始める。
その姿を見つめながら、トウマが口を開いた。
「……コウガ殿」
「何だ?」
「一つ、昔の話をしてもよろしいでしょうか」
コウガは頷いた。
「ああ」
トウマはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと話し始めた。
「私がまだ若い上忍だった頃、東国の山間部で護衛任務を担当したことがあります」
「……」
「護衛対象は、ある村の長老でした」
コウガは静かに聞いていた。
「その村は、周辺の争いに巻き込まれていました」
「……戦国大名の争いか?」
「ええ。小さな村でしたが、山道を押さえる重要な場所だったのです」
トウマは続ける。
「私たちは長老を安全な場所へ移す命令を受けていました」
「……」
「ですが、撤退の途中で敵の部隊と遭遇しました」
コウガの表情が引き締まる。
「……それで?」
「私は、護衛対象を守ることを最優先にしました」
「当然の判断だな」
「そう思っていました」
トウマは少し視線を落とした。
「しかし、部下の一人が、敵に囲まれた村人たちを見つけたのです」
「……」
「その部下は、助けに向かいたいと進言しました」
コウガは黙った。
「ですが、私は許可しませんでした」
「……なぜだ?」
「護衛対象を危険にさらすわけにはいかなかったからです」
トウマは静かに続けた。
「結果として、長老は無事に避難できました」
「……」
「任務は成功と判断されました」
コウガは、トウマの表情を見た。
「……だが、何かあったんだな」
トウマは頷いた。
「はい」
「……」
「私たちが撤退した後、村人たちの一部が敵に捕らえられました」
コウガは何も言わなかった。
「後に救出部隊が向かいましたが、全員を助けることはできませんでした」
トウマは目を閉じた。
「……今でも、あの時のことを考えます」
風が木々の葉を揺らした。
コウガはしばらく黙っていた。
やがて、静かに尋ねる。
「……お前は、自分の判断が間違っていたと思うのか?」
トウマはすぐには答えなかった。
「……分かりません」
コウガは頷いた。
「そうか」
「護衛対象を守ることは、私たちの任務でした」
「……」
「もし救出に向かっていれば、長老まで危険にさらしていたかもしれません」
トウマは続けた。
「しかし、あの時、別の方法を考える余地はなかったのか」
「……」
「部下の提案を、もっと聞くべきだったのではないか」
コウガは静かに答えた。
「……難しい判断だな」
「ええ」
トウマは苦笑した。
「何年経っても、答えが出ません」
コウガは少し考えた。
「……だから、お前は現場の判断を重んじるのか」
トウマは頷いた。
「はい」
「……」
「規律は必要です。命令系統がなければ、部隊は動けません」
「そうだな」
「ですが、命令を出す者が全てを見ているとは限らない」
トウマは真剣な表情になった。
「現場にいる忍が気づいたことを、上に伝えられる組織でなければならないと思っています」
コウガは頷いた。
「……いい考えだ」
トウマは首を振った。
「まだ、理想に過ぎません」
「理想でも構わん」
コウガは続けた。
「目指すものがなければ、変わることもできんからな」
トウマは少し笑った。
「……ありがとうございます」
午後。
二人は修行場を離れ、本部の中庭を歩いていた。
石畳の両側には、小さな木々が植えられている。
コウガは空を見上げた。
「……俺にも、昔の話がある」
トウマが顔を向ける。
「……コウガ殿にも?」
「ああ」
コウガは少し笑った。
「風遁の修行を始めた頃の話だ」
トウマは黙って聞いた。
「当時の俺は、誰よりも強い風を使いたかった」
「……」
「風弾の威力を高め、風刃の切れ味を磨くことばかり考えていた」
トウマが小さく笑う。
「今のコウガ殿からは、想像しにくいですね」
「そうか?」
「ええ」
コウガは苦笑した。
「昔は、随分と無茶をしたものだ」
そして、静かに続ける。
「ある日、師匠から一つの課題を出された」
「……どんな課題ですか?」
「木の葉を一枚、風で運べと言われた」
トウマは首を傾げた。
「……木の葉を?」
「ああ」
「それだけですか?」
「それだけだ」
コウガは笑った。
「俺は簡単だと思った」
「……」
「だが、何度やっても上手くいかなかった」
トウマが尋ねる。
「なぜですか?」
「風が強すぎたんだ」
コウガは続けた。
「木の葉を遠くへ飛ばすことはできた。だが、決められた場所へ静かに運ぶことができなかった」
トウマは頷いた。
「……なるほど」
「俺は、強い風こそ優れた風遁だと思っていた」
コウガは足を止めた。
「だが、師匠は違うことを教えようとしていた」
「……何を?」
コウガは静かに答えた。
「力を抑えることも、技術の一つだということだ」
トウマは黙った。
コウガは続ける。
「強い風を起こすだけなら、修行を重ねればできるようになる」
「……」
「だが、必要な時に必要なだけの風を使うには、別の技術がいる」
トウマは頷いた。
「……だから、蒼真にも力の使い方を教えているのですね」
「ああ」
コウガは小さく笑った。
「今のあいつは、昔の俺に少し似ている」
二人は中庭の長椅子へ腰を下ろした。
トウマが尋ねる。
「……蒼真の才能を、どう見ていますか?」
コウガは少し考えた。
「風遁の感覚は優れている」
「……」
「だが、それだけで強い忍になれるわけではない」
トウマは頷いた。
「確かに」
「蒼真には、まだ経験が足りない」
コウガは続けた。
「相手の動きを読むこと。仲間の位置を把握すること。自分の限界を知ること」
「……」
「学ばなければならないことは山ほどある」
トウマは少し笑った。
「厳しいですね」
「当然だ」
コウガも笑う。
「命が懸かっているからな」
しばらくして、トウマが口を開いた。
「……風影刀については、どう考えていますか?」
コウガは空を見上げた。
「……難しいな」
「……」
「俺は、あの刀のことをほとんど知らない」
「そうですね」
「だが、蒼真が地下で経験したことには、何か意味があると思っている」
トウマは頷いた。
「……」
コウガは続けた。
「ただし、その意味を急いで決めつけるつもりはない」
「……なぜですか?」
「刀が蒼真に反応したからといって、あいつが特別な存在だと決まったわけではない」
トウマは真剣に聞いていた。
「……」
「逆に、危険な力があるからといって、悪い刀だと決めつけることもできない」
コウガは静かに答えた。
「だから、調べる必要がある」
トウマは頷いた。
「……ジン殿と同じ考えですね」
「ああ」
コウガは少し笑った。
「違うのは、調べた後に何を重視するかだろうな」
「……」
「ジンは、危険を管理することを重視する」
「はい」
「影宗は、蒼真の意思を重視する」
「……」
「俺は、蒼真がその力を扱えるようになることを重視したい」
トウマは頷いた。
「……なるほど」
コウガは続けた。
「ただし、扱えないと分かった時は、使わせない判断も必要だ」
「……」
「それが、教える側の責任だと思っている」
トウマは静かに答えた。
「……私も、そう思います」
夕方。
第三修行場。
若い忍たちは、最後の訓練を終えようとしていた。
トウマとコウガは、再び修行場へ戻っていた。
「……今日の訓練はここまで!」
トウマの声に、忍たちが整列する。
「ありがとうございました!」
全員が頭を下げた。
トウマは頷いた。
「今日、指摘されたことを忘れるな」
「はい!」
「強い技を使うことだけが、強さではない」
忍たちは真剣に聞いていた。
「仲間の動きを見ること。自分の弱点を知ること。そして、危険な時に退く判断をすること」
トウマは続けた。
「それも、忍として必要な力だ」
「はい!」
訓練が終わり、若い忍たちは片付けを始めた。
その中の一人が、トウマへ近づいてきた。
「……トウマ様」
「何だ?」
「一つ、質問してもいいですか?」
「ああ」
若い忍は少し迷った。
「……任務で、命令と仲間の命のどちらかを選ばなければならなくなったら、どうすればいいんでしょうか」
トウマは言葉を止めた。
コウガも、静かに顔を向ける。
若い忍は続けた。
「命令を守ることが大切なのは分かっています」
「……」
「でも、目の前で仲間が危険な時、命令を破ってでも助けたいと思うんです」
トウマはしばらく考えた。
そして、静かに答えた。
「……簡単に答えられることではない」
若い忍は頷いた。
「……はい」
「命令には、理由がある」
「……」
「だが、現場の状況が変われば、命令を出した時とは違う判断が必要になることもある」
トウマは続けた。
「だから、まず状況を見ろ」
「……」
「自分に何ができるのか。仲間はどう動いているのか。助けに向かえば、別の誰かが危険にならないか」
若い忍は真剣に聞いていた。
「……はい」
「その上で、できる限り最善の判断をしろ」
若い忍が顔を上げた。
「……それでも、間違えたら?」
トウマは静かに答えた。
「その判断から逃げるな」
「……」
「なぜそうしたのか、説明できるようにしておけ」
若い忍はしばらく黙っていた。
そして、深く頭を下げた。
「……ありがとうございました!」
トウマは頷いた。
「ああ」
若い忍が立ち去る。
コウガは隣で小さく笑った。
「……難しい質問だったな」
トウマも苦笑した。
「ええ」
「だが、いい答えだった」
トウマは首を振った。
「……私自身、まだ答えを探しているところです」
夜。
黒影衆本部の中庭。
訓練を終えた里は、静けさに包まれていた。
トウマとコウガは、最後にもう一度顔を合わせた。
「……今日は、ありがとうございました」
トウマが頭を下げる。
コウガは笑った。
「こちらこそ、いい話ができた」
「……」
「昨日の評定では、ジンと影宗の意見が目立っていたからな」
トウマは頷いた。
「そうですね」
コウガは続けた。
「だが、俺たちにも考えがある」
「……はい」
「それぞれの考えが違うからこそ、話し合う必要があるんだろう」
トウマは静かに答えた。
「……その通りだと思います」
コウガは空を見上げた。
「黒影衆は、大きな組織になった」
「……」
「昔より多くの忍がいて、多くの任務を抱えている」
トウマは頷いた。
「ええ」
「だからこそ、一人の判断で全てを決めることは難しい」
「……」
「だが、意見が違うからといって、敵になるわけじゃない」
トウマは少し笑った。
「……ジン殿と影宗様にも、そうあってほしいですね」
コウガは頷いた。
「ああ」
しばらく、二人は夜空を見つめていた。
やがて、トウマが口を開く。
「……コウガ殿」
「何だ?」
「もし、今後さらに意見が対立することがあれば」
「……」
「私たちも、黙って見ているだけではいけませんね」
コウガは静かに頷いた。
「そうだな」
「……」
「必要なら、俺たちも自分の考えを伝える」
トウマは頷いた。
「はい」
コウガは小さく笑った。
「ただし、誰かを言い負かすためじゃない」
「……」
「黒影衆を、より良い組織にするためだ」
トウマも笑った。
「……ええ」
二人は、それぞれの帰路についた。
黒影衆本部。
その夜も、里を守るために多くの忍が働いていた。
任務に出る者。
負傷した仲間を治療する者。
若い忍を育てる者。
そして、組織の未来を考える者。
鬼塚ジンは規律を重んじる。
影宗は信頼を重んじる。
神楽トウマは現場の判断を重んじる。
風間コウガは力を扱う責任を重んじる。
四人の考えは、それぞれ異なっていた。
しかし、目指しているものまで違うわけではない。
仲間を守ること。
里を守ること。
そして、次の世代へ黒影衆を繋ぐこと。
それぞれの信念は、時に衝突する。
だが、その違いを受け入れられるかどうかが、組織の未来を左右する。
黒影衆内部の亀裂は、まだ小さい。
しかし、その亀裂が広がるのか。
それとも、互いを理解するきっかけになるのか。
答えは、まだ誰にも分からなかった。
第144話 完




