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影狼ノ忍  作者: 次男坊
第5章「黒影衆内部抗争編」
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第142話「風を持つ者の責任」

黒影衆の里。

朝の空には薄い雲が広がり、山々の間を穏やかな風が流れていた。

里の東側にある第二修行場。

そこには、まだ人の姿が少なかった。

蒼真は修行場の中央に立ち、一本の木刀を握っていた。

目を閉じる。

ゆっくりと息を吸い、吐く。

地下での戦いから帰還して、しばらくが経った。

脇腹の傷は順調に回復している。

しかし、白石ユズハからは、まだ本格的な修行を許されていなかった。

「……」

蒼真は木刀を持ち上げる。

右足を半歩前へ。

腰を落とし、肩の力を抜く。

風間コウガから教わった基本の構えだった。

以前なら、そのまま踏み込み、木刀を振り抜いていただろう。

だが、今は違う。

蒼真は動かなかった。

ただ、自分の足の位置を確かめていた。

「……ここから踏み込んだら」

視線を左へ向ける。

「後ろが空くな」

木刀を下ろし、もう一度構え直した。

その時だった。

「随分と慎重になったな」

背後から声がした。

蒼真が振り返る。

「コウガさん!」

風間コウガが、修行場の入り口に立っていた。

「朝から熱心だな」

「はい。でも、まだ木刀を振るのは控えてます」

「それでいい」

コウガは近づいてきた。

「今日は何を考えていた?」

蒼真は少し考えた。

「……自分の立ち位置です」

「立ち位置?」

「はい。戦っている時、どこに立てば仲間を守れるのかって」

コウガは頷いた。

「なるほど」

蒼真は続ける。

「地下では、目の前の敵を倒すことばかり考えてしまった時がありました」

「……」

「そのせいで、凛やレイのところへ戻るのが遅れたこともあって」

コウガは蒼真の構えを見た。

「なら、今日はそれを考える修行にしよう」

「……はい!」


第二修行場。

コウガは地面に四つの小石を置いた。

蒼真は首を傾げる。

「これは?」

「仲間の位置だ」

コウガは一つ目の石を指差した。

「これがお前」

続いて、二つ目。

「これが蓮司」

三つ目。

「凛」

四つ目。

「レイ」

蒼真は頷いた。

「なるほど」

コウガは少し離れた場所に、もう一つ石を置いた。

「そして、これが敵だ」

蒼真は地面を見つめる。

仲間の四人が横に広がり、正面に敵が一人いる形だった。

「さて、蒼真」

「はい」

「敵が凛を狙ったとする。お前ならどうする?」

蒼真はすぐに答えた。

「凛の前に出ます」

「なぜ?」

「凛を守るためです」

コウガは頷いた。

「悪くない」

そして、敵を示す石を動かした。

「だが、お前が凛の前に出た瞬間、敵がレイへ向かったら?」

「……!」

蒼真は考え込んだ。

「その時は、蓮司に……」

「蓮司が別の敵と戦っていたら?」

「……」

「レイが負傷して動けなかったら?」

蒼真は黙った。

コウガは小石を元の位置へ戻した。

「お前一人で、全員の前に立つことはできない」

「……はい」

「それを忘れるな」

蒼真は地面を見つめた。

「……俺、全部自分で守ろうとしてました」

コウガは首を振った。

「その気持ち自体が悪いわけじゃない」

「……」

「だが、仲間には仲間の力がある」

コウガは蓮司の石を動かした。

「蓮司には剣がある」

凛の石へ指を移す。

「凛には水遁がある」

最後に、レイの石を示した。

「レイには、周囲の動きを読む力と双短刀がある」

蒼真は頷いた。

「……はい」

「お前が全てを引き受ければ、仲間が動く余地を奪うこともある」

その言葉に、蒼真は顔を上げた。

「……仲間が動く余地」

「ああ」

コウガは蒼真を見た。

「守るというのは、必ずしも自分が前に出ることじゃない」

蒼真は小石を見つめた。

しばらくして、ゆっくり口を開く。

「……じゃあ、仲間が動ける場所を作るのも、守ることなんですね」

コウガは僅かに笑った。

「そういうことだ」


しばらくして。

コウガは小石の配置を変えた。

今度は、蒼真と蓮司が前方。

凛とレイが後方にいる。

敵を示す石は、二つに増えていた。

「次だ」

蒼真は地面へ目を向けた。

「はい」

「敵が二人。片方はお前に向かい、もう片方は凛を狙っている」

「……」

「どうする?」

蒼真は少し考えた。

「蓮司に、凛の方を頼みます」

「蓮司は、お前の隣で敵と戦っている」

「……なら」

蒼真は木刀を置き、小石を動かした。

「俺が、少し後ろへ下がります」

コウガが眉を上げる。

「ほう」

「そうすれば、敵二人の動きを見られるので」

「それで?」

「凛には、水壁で攻撃を防いでもらいます」

蒼真は凛の石を少し後方へ動かした。

「その間に、俺が敵の進路を塞ぐ」

コウガは頷いた。

「悪くない」

蒼真が顔を上げる。

「本当ですか?」

「ああ。ただし、凛が水壁を使える状態とは限らない」

「……確かに」

「戦場では、想定通りに動けないことも多い」

コウガは石を一つ動かした。

「なら、もう一度考えろ」

蒼真は地面を見つめた。

「……」

すぐには答えが出なかった。

しかし、コウガは急かさなかった。

蒼真は何度も石を動かした。

自分が前へ出る形。

蓮司と位置を入れ替える形。

凛とレイを後退させる形。

どれにも利点があり、弱点があった。

やがて、蒼真が呟いた。

「……正解って、一つじゃないんですね」

コウガは頷いた。

「その通りだ」

「……」

「だからこそ、仲間と話し合っておく必要がある」

蒼真は顔を上げた。

「……今度、みんなで考えてみます」

「ああ。怪我が治ったらな」

「はい!」


昼前。

修行場の端にある木陰。

蒼真は腰を下ろし、水筒の水を飲んでいた。

コウガも隣に座る。

しばらく、二人は黙って風に揺れる木々を見つめていた。

やがて、蒼真が口を開いた。

「……コウガさん」

「何だ?」

「風影刀のことなんですけど」

コウガは蒼真へ視線を向けた。

「調査の話か?」

「はい」

蒼真は頷いた。

「ジン様から説明を受けました」

「そうか」

「コウガさんと影宗様も立ち会ってくれるって」

「ああ。その予定だ」

蒼真は少し安心した表情を見せた。

しかし、すぐに真剣な顔になる。

「……俺、少し怖いんです」

コウガは黙って聞いていた。

「何が怖い?」

「……刀のことを知るのが、です」

「……」

「もし、風影刀に危険な力があったら」

蒼真は膝の上で拳を握った。

「もし、俺が今まで知らずに使っていた力が、仲間を傷つけるものだったら……」

コウガは静かに答えた。

「その可能性を考えるのは、大切なことだ」

蒼真が顔を上げる。

「……はい」

「だが、怖いからといって、知らないままでいる方が危険なこともある」

「……」

「お前は、刀を使い続けたいんだろう?」

蒼真は頷いた。

「はい」

「なら、知る必要がある」

コウガは続けた。

「何ができるのか。何ができないのか。どんな時に危険なのか」

蒼真は真剣に聞いていた。

「……はい」

「それを知って初めて、使うかどうかを自分で判断できる」

蒼真は少し考えた。

「……ジン様も、同じことを言っていました」

コウガが僅かに笑う。

「そうか」

「最初は、刀を取り上げられると思ってました」

「……」

「でも、ちゃんと話してくれたので」

蒼真は少し笑った。

「今は、調べてもらいたいと思ってます」

コウガは頷いた。

「それならいい」


蒼真は腰に差した風影刀へ目を向けた。

黒い鞘。

古い装飾。

地下の風の道で、何度も不思議な反応を見せた刀。

蒼真は鞘に触れた。

「……この刀」

コウガが顔を向ける。

「どうした?」

「宗玄が持っていた風守刀と、何か関係があるんですよね」

「ああ。少なくとも、古い記録には二つの刀が一緒に描かれていたそうだ」

「……」

蒼真は目を閉じた。

地下で見た光景を思い出す。

古い石柱。

消された名前。

そして、風の中から聞こえた言葉。

『守るべきものを、間違えるな』

蒼真は静かに口を開いた。

「……俺、まだ分からないことがあるんです」

「何だ?」

「地下で見た、あの記録です」

コウガは黙って聞いた。

「名前が消されていた人がいました」

「……ああ」

「その人が何をしたのか、どうして名前を消されたのか」

蒼真は風影刀を見つめた。

「……何も分からないままなんです」

コウガは少し考えた。

「なら、急いで答えを出す必要はない」

「……」

「分からないことを、分からないまま覚えておくのも大切だ」

蒼真が顔を上げる。

「……覚えておく?」

「ああ」

コウガは続けた。

「忍は、時に少ない情報で判断しなければならない」

「はい」

「だが、少ない情報から勝手に真実を決めつければ、間違えることもある」

蒼真は頷いた。

「……そうですね」

「だから、今は覚えておけ」

コウガは風影刀へ視線を向けた。

「お前が見たものを。宗玄から聞いた言葉を。そして、あの地下で何を守ろうとしたのかを」

蒼真は静かに答えた。

「……はい」


午後。

黒影衆・医務室。

蒼真は白石ユズハの診察を受けていた。

「……傷口は、かなり落ち着いてきたわね」

ユズハが包帯を確認する。

蒼真は少し期待した表情になった。

「じゃあ、そろそろ修行も……」

「まだ駄目」

即答だった。

蒼真は肩を落とした。

「……ですよね」

ユズハは新しい包帯を巻きながら言った。

「歩くことや軽い姿勢の確認はいいけど、急な踏み込みや風遁の使用は禁止」

「はい」

「特に風影刀を使った術は、まだ試さないこと」

蒼真は頷いた。

「分かってます」

ユズハは手を止めた。

「……本当に?」

「本当です!」

「蓮司と同じ返事をしないで」

蒼真は思わず笑った。

「蓮司、また何かしたんですか?」

「今朝、廊下で走ろうとしていたわ」

「……あいつ」

ユズハは呆れたように息を吐いた。

「あなたたち、元気になるとすぐ動こうとするんだから」

蒼真は苦笑した。

「すみません」

包帯を巻き終えると、ユズハは椅子へ座った。

「蒼真」

「はい」

「怪我が治ることと、以前と同じように戦えることは、必ずしも同じじゃないの」

蒼真は真剣な顔になった。

「……はい」

「傷が塞がっても、筋肉の動きや身体の感覚が戻るまでには時間がかかる」

「……」

「だから、焦らず戻していきなさい」

蒼真は頷いた。

「分かりました」

ユズハは少し表情を和らげた。

「……今日は素直ね」

「コウガさんにも、同じことを言われたので」

「いい先生がいるじゃない」

蒼真は笑った。

「はい」


夕方。

第二修行場。

診察を終えた蒼真は、再び修行場へ立ち寄った。

しかし、木刀は持っていない。

ただ、地面に置かれた小石を見つめていた。

朝、コウガと考えた仲間の配置。

蒼真はしゃがみ込んだ。

一つ目の石。

自分。

二つ目。

蓮司。

三つ目。

凛。

四つ目。

レイ。

「……」

蒼真は一つずつ石を動かした。

蓮司が前へ出る。

凛が後方から援護する。

レイが敵の側面へ回る。

そして、自分は仲間の動きに合わせて位置を変える。

「……こういう戦い方もあるのか」

以前なら、自分が先頭に立つ形しか考えなかった。

しかし、仲間の力を信じれば、別の戦い方が見えてくる。

蒼真は小さく笑った。

「……蓮司なら、絶対に前へ出たがるだろうな」

凛は、それを叱るかもしれない。

レイは黙って周囲を確認し、必要な時だけ短い言葉で指示するだろう。

そんな三人の姿が浮かんだ。

「……早く、みんなで戦いたいな」

蒼真は呟いた。

しかし、すぐに首を振る。

「いや……」

戦うことが目的ではない。

四人で無事に帰ること。

それが、一番大切だった。


日が沈み始めた頃。

コウガが修行場へ戻ってきた。

「……まだいたのか」

蒼真が振り返る。

「コウガさん」

「何をしていた?」

蒼真は地面の石を指差した。

「朝の続きを考えてました」

コウガは近づいてきた。

「ほう」

蒼真は一つの石を動かした。

「俺、今まで仲間を守るって、自分が前に出ることだと思ってました」

コウガは黙って聞いていた。

「でも、それだけじゃないんですよね」

「ああ」

「仲間が動ける場所を作ることも、守ることになる」

蒼真は続けた。

「だから、これからは自分一人で全部やろうとしないようにします」

コウガは少し笑った。

「いい心掛けだ」

蒼真は顔を上げた。

「……でも」

「何だ?」

「それでも、俺が前に出なきゃいけない時はあると思うんです」

コウガは頷いた。

「もちろんだ」

「その時は、逃げたくありません」

「……」

「仲間が危険なら、俺が守りたいです」

コウガは蒼真を見つめた。

しばらくして、静かに答えた。

「……それでいい」

蒼真が少し驚く。

「いいんですか?」

「ああ」

コウガは続けた。

「前に出ることが悪いんじゃない。何も考えずに前へ出ることが危険なんだ」

「……」

「お前が状況を見て、仲間を信じた上で前に出るなら、それは立派な判断だ」

蒼真は頷いた。

「……はい」

コウガは地面の石を一つ拾った。

「ただし、忘れるな」

「何をですか?」

「お前も、守られる側の一人だ」

蒼真の表情が変わった。

「……俺も?」

「ああ」

コウガは静かに続ける。

「蓮司も、凛も、レイも、お前を失いたいとは思っていない」

「……」

「お前が仲間を守りたいように、仲間もお前を守りたいんだ」

蒼真は何も言えなかった。

地下での戦いを思い出す。

蓮司が傷つきながらも隣に立ってくれたこと。

凛が残された力で仲間を守ったこと。

レイが重傷を負いながらも、最後まで周囲を警戒していたこと。

誰も、自分だけが守られるつもりなどなかった。

「……そうですね」

蒼真は小さく笑った。

「俺、そこまで考えてませんでした」

コウガも笑った。

「なら、今日の修行は意味があったな」

「はい!」


夜。

蒼真は自室へ戻っていた。

机の上には、風影刀が置かれている。

黒い鞘を見つめながら、今日の会話を思い返した。

『お前も、守られる側の一人だ』

蒼真はゆっくりと鞘に触れた。

「……風影刀」

刀は何も答えない。

それでも、蒼真は言葉を続けた。

「俺は、お前のことをまだ何も知らない」

地下で見た古い記録。

風守刀との関係。

消された名前。

そして、刀が持つ未知の力。

分からないことばかりだった。

「……でも」

蒼真は静かに続ける。

「知らないまま、使い続けるつもりはない」

刀を手に取る。

抜くことはせず、その重さだけを確かめた。

「俺は、もっと強くなりたい」

少し間を置く。

「でも、強くなるだけじゃ駄目なんだよな」

蒼真は鞘を見つめた。

「仲間を守るために、何をするべきなのか」

「自分が、どこまでできるのか」

「それをちゃんと考えられる忍になりたい」

窓の外では、夜風が木々を揺らしていた。

蒼真は風影刀を机へ戻した。

「……まずは、怪我を治すところからだな」

小さく笑う。

そして、灯りを消した。

風影刀の調査は、まだ始まっていない。

刀に隠された秘密も、何一つ明らかになっていない。

しかし、蒼真の中では、一つの変化が生まれていた。

力を持つこと。

力を使うこと。

そして、その力で誰かを守ること。

その三つは、同じではない。

風を持つ者として、何を選ぶのか。

蒼真は、ようやくその意味を考え始めていた。

第142話 完

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