第141話「情報部の追跡」
黒影衆本部・情報室。
朝の陽光が窓から差し込み、机の上に積まれた書類を照らしていた。
如月セツナは、昨夜届いた報告書を読み返していた。
北側第二補給所から持ち去られた古文書。
正式な記録のない物資の運搬。
そして、三枝ナオトに接触していた正体不明の忍。
それぞれの情報は集まり始めている。
しかし、肝心の人物の正体だけが分からない。
「……」
セツナは筆を取り、報告書の一部分に印をつけた。
『黒い札』
これまで、少なくとも二人の忍が、その札を目撃している。
北側監視塔の北条ユウキ。
そして、補給担当の三枝ナオト。
二人とも、札を提示した人物から命令を受けていた。
「……同じ人物とは限らない」
セツナは小さく呟いた。
黒い札が一枚だけとは限らない。
複数の人物が使っている可能性もある。
その時、扉が叩かれた。
「セツナ様」
「入って」
情報部門の若い忍が姿を現した。
「三枝ナオトが面会を求めています」
セツナが顔を上げる。
「……本人が?」
「はい。至急、お話ししたいことがあるそうです」
「分かったわ。通して」
「承知しました」
若い忍が退出する。
セツナは机の上の書類を片付けた。
「……決めたのね、三枝さん」
しばらくして。
三枝ナオトが情報室へ入ってきた。
その顔には疲労の色が濃く残っていた。
「……おはようございます」
「おはよう、三枝さん」
セツナは椅子を示した。
「座って」
「……はい」
ナオトはゆっくり腰を下ろした。
しばらく沈黙が続く。
セツナは急かさなかった。
やがて、ナオトが懐から一通の手紙を取り出した。
「……これを」
セツナは受け取った。
「読んでも?」
「……はい」
紙を広げる。
そこには、ナオト自身の筆跡で、これまでの行動が記されていた。
正式な手続きを経ない物資の移動。
北側補給路の情報提供。
正体不明の人物から受けた指示。
そして、弟への脅迫。
セツナは最後まで読み終えた。
「……自分で書いたのね」
ナオトが頷く。
「はい」
「書かれていることに、間違いはない?」
「……ありません」
セツナは手紙を机へ置いた。
「分かったわ」
ナオトは顔を伏せた。
「……処罰は覚悟しています」
「それについては、私だけでは決められない」
「……はい」
「でも、あなたが自分から話してくれたことは、きちんと報告するわ」
ナオトは小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
セツナは続けた。
「それと、弟さんについて」
ナオトが顔を上げる。
「……ハルキは?」
「昨日の時点では無事を確認しているわ」
「……!」
ナオトの表情が変わった。
「本当ですか?」
「ええ。宿場町の薬草店で働いていることも確認できている」
ナオトは深く息を吐いた。
「……よかった」
しかし、セツナは続けた。
「ただ、周囲に不審な旅人が現れているという報告もある」
ナオトの表情が再び強張った。
「……やっぱり」
「心当たりがあるのね」
「……はい」
ナオトは昨日の出来事を話し始めた。
補給倉庫の裏手で、頭巾を被った忍と接触したこと。
相手から、セツナに何を話したのか確認されたこと。
そして、最後に言われた言葉。
『明日の朝になれば分かる』
セツナは黙って聞いていた。
「……その言葉を聞いた時、弟に何か起こるんじゃないかと思いました」
「……」
「だから、もう黙っていられなくなったんです」
セツナは頷いた。
「話してくれてありがとう」
ナオトは俯いた。
「……俺は、遅すぎました」
セツナは少し考えた。
「遅かったかどうかは、これからの行動にもよるわ」
「……」
「あなたが知っていることを、できるだけ正確に教えてほしい」
ナオトは顔を上げた。
「……はい」
セツナは机の上に白い紙を広げた。
「まず、相手について確認するわ」
「はい」
「最初に接触されたのは、いつ?」
ナオトは少し考えた。
「……二十日ほど前です」
「場所は?」
「補給倉庫の裏手でした」
「その時から顔を隠していた?」
「はい」
セツナは筆を動かした。
「身長は?」
「俺と同じくらいか、少し高い程度です」
「体格は?」
「細身でした」
「声は?」
「低い声でした。ただ……」
ナオトが言葉を止める。
セツナが顔を上げた。
「ただ?」
「……少し、不自然だったんです」
「どういうこと?」
「言葉の途中で、声が変わるような感じがありました」
セツナは目を細めた。
「……声色を変えていた可能性があるわね」
「はい」
「歩き方に特徴は?」
ナオトはしばらく考えた。
「……右足を、少し引くように歩いていた気がします」
セツナの筆が止まった。
「右足?」
「はい。でも、毎回ではありませんでした」
「……なるほど」
セツナは書き留めた。
歩き方まで偽装していた可能性もある。
あるいは、複数の人物が同じ装いをしていたのかもしれない。
「他に気づいたことは?」
ナオトは首を振りかけた。
しかし、何かを思い出したように顔を上げた。
「……手です」
「手?」
「札を持っていた手に、傷がありました」
セツナが身を乗り出した。
「どこに?」
「左手の親指の付け根です」
「傷の形は?」
「……細長い傷でした」
セツナは慎重に記録した。
「いつ見たの?」
「昨日です。札を懐へ戻す時に見えました」
「……分かったわ」
それだけで人物を特定することはできない。
忍なら、手に傷のある者など珍しくない。
しかし、照合できる特徴が一つ増えた。
「……それと」
ナオトが懐へ手を入れた。
セツナは顔を上げる。
「何?」
ナオトは小さな布包みを取り出した。
「これを、渡そうと思っていました」
布を開く。
中には、黒い札の欠片があった。
セツナの表情が変わった。
「……これは」
「相手が持っていた札の一部です」
「どうしてあなたが?」
「以前、命令書を受け取った時、札の角が欠けて落ちたんです」
セツナは欠片を見つめた。
表面には、細い文字。
そして、縁には三本の線の一部が残っている。
「……いつから持っていたの?」
「最初に接触された頃からです」
「なぜ保管していたの?」
ナオトは少し俯いた。
「……最初から、どこかおかしいと思っていたんです」
「……」
「でも、正式な命令印があったから、疑うのをやめようとしていました」
セツナは静かに頷いた。
「そう」
ナオトが続ける。
「もし何かあった時、証拠になるかもしれないと思って……」
「よく残してくれたわ」
セツナは直接触れず、清潔な布の上へ欠片を移した。
「これはこちらで調べる」
「……はい」
「ただし、札が本物かどうかも含めて確認する必要があるわ」
ナオトは頷いた。
セツナは欠片を見つめた。
黒い札。
北条ユウキを監視塔から離れさせたもの。
本部の扉を開けるために使われた可能性があるもの。
そして、三枝ナオトへ偽装命令を伝えるために提示されたもの。
ようやく、実物の一部が手に入った。
昼前。
黒影衆本部・情報室。
ナオトが別室で待機する間、セツナは部下を呼んだ。
「この欠片を調べたいの」
若い情報忍が覗き込む。
「……黒い札ですか?」
「ええ」
「封印術の痕跡があるように見えますね」
セツナは頷いた。
「私もそう思う」
「専門の者を呼びますか?」
「お願い」
「誰を?」
「天野ミコト」
部下が顔を上げる。
「封印術の解析を担当している、あの方ですね」
「ええ。札を壊さずに調べてもらいたい」
「承知しました」
部下が退出する。
セツナは欠片を小さな箱へ収めた。
しばらくして、扉が開いた。
「……呼ばれたと聞いたけど」
一人の女性が入ってきた。
肩まで伸びた黒髪を後ろでまとめ、腰には複数の封印札を下げている。
天野ミコト。
黒影衆の封印術を専門とする忍だった。
「久しぶりね、セツナ」
セツナが顔を上げる。
「来てくれてありがとう」
「何を調べればいいの?」
セツナは箱を差し出した。
「これよ」
ミコトは蓋を開いた。
そして、黒い欠片を見つめる。
「……」
表情が僅かに変わった。
「……珍しいわね」
セツナが尋ねる。
「何か分かる?」
「少し待って」
ミコトは欠片を机へ置いた。
懐から白い封印札を取り出す。
そして、黒い欠片の隣へ並べた。
指先に少量のチャクラを集める。
白い札に刻まれた文字が、淡く光った。
しかし、黒い欠片には変化がない。
ミコトは眉を寄せた。
「……なるほど」
「どう?」
「普通の封印札とは違うわ」
セツナが身を乗り出す。
「詳しく聞かせて」
ミコトは欠片を指差した。
「この細い文字。見た目は封印術に似ているけど、術式の流れが途中で途切れている」
「欠けているから?」
「それもある。でも、元から一枚だけでは成立しない構造だった可能性があるわ」
セツナは考えた。
「……複数の札を組み合わせる術?」
「その可能性もあるし、札そのものが何か別の術式に反応する仕組みかもしれない」
「……」
ミコトは続けた。
「それに、表面の黒い顔料にも細工がある」
セツナが顔を上げる。
「幻術?」
「断定はできない。ただ、チャクラを留めやすい材料が混ざっているようね」
「……なるほど」
ミコトは欠片を箱へ戻した。
「もっと詳しく調べたい」
「お願いできる?」
「ええ。ただし、数日は必要よ」
セツナは頷いた。
「構わないわ」
ミコトは少し考えた。
「……セツナ」
「何?」
「この札、どこで手に入れたの?」
セツナは答えた。
「内部調査の証拠品よ」
ミコトの表情が引き締まる。
「……そう」
「今は詳しく話せないけど、慎重に扱ってほしい」
「分かった」
ミコトは箱を受け取った。
「解析の途中で分かったことがあれば、すぐに知らせるわ」
「ありがとう」
午後。
黒影衆本部・情報室。
セツナは、三枝ナオトの証言をまとめていた。
そこへ、南東の宿場町へ向かった情報忍から連絡が届いた。
「……三枝ハルキの状況は?」
セツナが尋ねる。
伝令役の忍が答えた。
「本日も薬草店に出勤しています。今のところ、怪我や異常は確認されていません」
「不審な旅人は?」
「二人のうち、一人を確認しました」
「特徴は?」
「背の高い男です。店の前を通りましたが、立ち寄ることなく去っています」
セツナは頷いた。
「追跡は?」
「距離を保って追いましたが、宿場町の西側で見失いました」
「……そう」
「申し訳ありません」
「謝る必要はないわ。無理に追えば、こちらの存在を知られる可能性もある」
「はい」
セツナは少し考えた。
「ハルキ本人には、まだ兄の事情を話さないで」
「承知しました」
「ただし、身の危険が迫った場合は安全を優先して」
「はい」
伝令役が退出する。
セツナは椅子へ腰を下ろした。
「……」
ナオトの証言。
黒い札の欠片。
そして、弟の周囲に現れる不審な旅人。
脅迫が実際の危険につながっている可能性は、無視できなくなっていた。
夕方。
情報室の奥にある小さな面談室。
三枝ナオトは、セツナから弟の無事を伝えられていた。
「……今日も無事なんですね」
「ええ」
ナオトは深く息を吐いた。
「……ありがとうございます」
セツナは向かいに座った。
「三枝さん。これからのことを話したいの」
ナオトが顔を上げる。
「……はい」
「あなたには、しばらく補給業務から離れてもらう」
「……分かりました」
「正式な処分については、頭領の判断を仰ぐことになるわ」
「……はい」
セツナは続ける。
「それまで、こちらで安全を確保できる場所にいてほしい」
ナオトの表情が変わった。
「……俺を拘束するんですか?」
「今は保護を優先したいの」
「……」
「あなたが証言したことを、相手が知れば危険かもしれない」
ナオトは俯いた。
「……そうですね」
「無理に外へ出ないこと。誰かから連絡があったら、すぐに知らせて」
「分かりました」
セツナは少し表情を和らげた。
「弟さんのことも、引き続き確認するわ」
ナオトは深く頭を下げた。
「……お願いします」
しばらくして、ナオトが口を開いた。
「……セツナ様」
「何?」
「俺は、黒影衆に戻れるんでしょうか」
セツナはすぐには答えなかった。
「……それは、今の私には約束できない」
ナオトは静かに頷いた。
「……そうですよね」
「でも」
セツナは続けた。
「これから何をするかは、まだ選べるわ」
ナオトが顔を上げる。
「……」
「あなたが知っていることを話してくれたおかげで、調査は進んだ」
「……はい」
「だから、今は逃げずに協力してほしい」
ナオトは目を閉じた。
そして、ゆっくり頷いた。
「……分かりました」
夜。
黒影衆本部・情報室。
セツナは一人、今日の記録を整理していた。
三枝ナオトの証言。
黒い札の欠片。
天野ミコトによる解析の開始。
弟の安全確認。
ようやく、調査が前へ進み始めている。
しかし、まだ分からないことが多すぎた。
黒い札を使っている人物は何者なのか。
正式な命令印を、どうやって偽装したのか。
そして、古文書を持ち出した目的は何なのか。
「……」
セツナは机の上の地図を広げた。
北側監視塔。
東棟小会議室。
補給倉庫。
北側第二補給所。
それぞれの場所に、小さな印をつける。
「……移動経路だけなら、ある程度見えてきた」
しかし、相手の目的までは見えない。
セツナは筆を置いた。
その時、扉が叩かれた。
「セツナ様」
「入って」
若い情報忍が姿を現した。
「三枝ナオトの自宅を確認していた者から報告です」
セツナが顔を上げる。
「何かあった?」
「はい」
部下は巻物を開いた。
「昨夜、ナオトの自宅前に頭巾を被った人物が現れていたそうです」
セツナの目が細くなる。
「……昨夜?」
「はい。巡回中の忍が遠目に確認していました」
「なぜ、今まで報告がなかったの?」
「その時点では、不審者と判断できなかったそうです。今日になって、ナオトの証言と照合した結果、報告が上がりました」
セツナは静かに頷いた。
「……分かったわ」
部下が続ける。
「それと、もう一つ」
「何?」
「その人物は、ナオトの家を離れた後、北側へ向かったようです」
セツナは地図へ視線を落とした。
「……北側」
「はい」
「どこまで追えたの?」
「本部の外周に近い通りまでです」
セツナは少し考えた。
「……その先には、旧街道へ続く道がある」
部下が頷いた。
「はい」
セツナは立ち上がった。
「明日、その周辺の監視記録を確認しましょう」
「承知しました」
部下が退出する。
セツナは窓の外を見た。
夜の里には、静かな灯りが並んでいる。
「……黒い札」
小さく呟いた。
「あなたたちは、何を隠そうとしているの?」
答えは、まだ見つからない。
しかし、三枝ナオトが沈黙を破ったことで、情報部門は初めて実物の証拠を手にした。
その小さな欠片が、黒影衆内部に潜む何者かへ繋がるのか。
それとも、さらに深い謎を明らかにするのか。
調査は、まだ始まったばかりだった。
第141話 完




